生まれ出でる意味
生まれ出でる意味
第29話 力なき者たち
【ブラックジャックによろしく】
漫画家の佐藤秀峰さんは8月20日、「ブラックジャックによろしく」について、自由に2次利用できるようにする方針を明らかにした。9月15日以降、商用・非商用を問わず、作品を出版したり、小説化や映画化などを無料で自由に行うことができる。
佐藤さんは「従来の著作権を振りかざして利益を得る方法は段々と古くなっていくはずです」として、自作を2次利用フリーとすることで「どのように作品が拡散し、利用され、著者に利益をもたらすのか、もたらさないのか、その調査をしたいと思っています」と狙いを記している。
2次利用の自由化では、商用・非商用問わず、作品をネットに掲載したり、国内外で書籍として出版したり、翻案やアニメ化、小説化、映画化、テレビドラマ化したり、グッズを製作して販売したり、同人作品で2次創作を行い同人誌として販売する──といったことが自由に行える。利用について事前連絡は不要で、使用料なども一切要求しないという。
佐藤さんは「著作権は放棄しませんが、行使しない」というスタンス。「ご自由に作品をお使いいただければ嬉しいです」としている。具体的な規約は9月15日に明らかにする。
生まれ出でる意味とは?
地獄の蓋
地獄の蓋
急速に進む日本の貧困
ホームレスの言葉を最近聞かなくなりましたが、からくりがわかりました。
今でもよく憶えているのですが、今から数十年も前の私が中学生の頃、一億総中流と言われ始めました。
その言葉を聞いて、私は我が家は中流なのか、それとも下流なのかと考えたことをよく憶えています。
今の日本は何と言われているでしょうか。
一億総中流だった層のほとんどが沈んでしまいました。巷では、1%と99%と言われるようになっています。
アルバイトで細々と生計を立てている今の私は、おそらく貧困層に入るのだろうと思います。
しかし家族がいない気楽さで、私はビンボーをあまり苦と感じていませんでした。それゆえ、自分が貧困層だという自覚がなかったことに気づきました。
今回は、『「闇の支配者」最後の日々』(ベンジャミン・フルフォード著、KKベストセラーズ)から抜粋して紹介したいと思います。
バブル崩壊後の日本が、失われた20年を過ごしてきたことは誰でも知っています。日本が貧困化してきたことは、こうした20年以上も続いた経済の不調がもたらしたものだと思ってしまいます。
しかし『「闇の支配者」最後の日々』でのベンジャミン氏の主張は、日本人は政府によって、意図的に貧困化させられたというのです。
単純に貧困は経済の不調のせいだと思い込んでいた私は、考え込んでしまいました。
まず数字で、日本の貧困化の度合いを見てみたいと思います。
・・・<『「闇の支配者」最後の日々』、p180~p184から抜粋開始>・・・
日本人の3割近い世帯がすでに貧困層
2016年3月、ホリエモン(堀江貴文)の発言が話題となった。
あのネオリベ(ネオリベラル/新自由主義)の権化のような男が「日本は格差社会によって貧困化している」と認めているのだ。アベノミクスを完全否定していると言っていい。
どんな発言をしているのかと言えば、「今の20歳の地方在住の社会人女子の生活水準は、タイ・バンコクの同年代の女性と大差ない」、「日本の非正規雇用の中高年はタイ・シンガポール・インドネシアの一般レベルより貧しい」という内容だ。出所後、世界各地を旅行した実感らしいが、あながち間違いではあるまい。昨今の中国人観光客の爆買いについても「日本の一般庶民の購買力が弱まった結果、日本で売っている商品やサービスが異常なレベルで安くなってしまい、中国人から見てもビックリするほど安いから買いまくっている。日本人が『高い』と言って買わない商品をアジア人は『安すぎる』と思っている」と指摘。日本とアジア各国では購買力の逆転現象が起きているという認識は正しい。
IMFの「World Economic Outlook Databases 2015年10月版」によれば、2014年度の1人当たりの名目GDP(USドル)ランキングで日本は27位の3万6221.81USドル(約380万円)。アメリカは11位の5万4369.83USドルと大きく引き離されている。
20年前、バブル崩壊後の1995年は3位、1990年から2001年まで日本は常にトップ5に入っていた。世界でも屈指の豊かな国だったのだ。小泉純一郎政権が発足後、ものすごい勢いで下落していった。歴代政権がパパ・ブッシュ、つまり、ナチス勢力にせっせと日本の富を差し出すようになった何よりの証拠であろう。
しかも実態はさらに悪いと言わざるを得ない。1人当たりの名目GDPは、実は国の豊かさを示しても国民の豊かさを意味しているわけではない。これまでも述べてきたように、わずか1%に99%の富が集中している以上、多くの国民は、統計データ以下の生活を余儀なくされている。
2016年1月に発表された労働組合「連合」の調査によれば、非正規労働者2000万人のうち、7割が年収200万円以下であった。驚くのは年収100万円未満が38.4%と全体の4割近くに達していることだろう。主稼得者(しゅかとくしゃ)(世帯で仕事をしている人)の世帯で見ても非正規雇用の男性37.5%、女性48.9%が「ワーキングプア(年収200万円以下の貧困層)」なのだ。こうした非正規雇用は、2016年、全労働者数の4割を突破している。つまり、日本人の3割近い世帯がすでに貧困層という計算になるのだ。
年収200万円あれば中進国や途上国ならば十分、暮らしていけよう。しかし物価の高い先進国では、厳しい生活を余儀なくされる。先進国でそれなりの収入を得るには高度な教育が必要だ。その教育には高いコストがかかる。その結果、いったん貧困層に陥った世帯は貧困が固定化して抜け出せなくなる。先進国のメリットは充実した福祉制度だが、それも国家財政が厳しくなるなかで、どんどん、切り捨てられている。貧困問題で言うならば途上国より、先進国の貧困層のほうが悲惨になりやすいのだ。
ホリエモンが指摘するように中進国でそれなりに収入を得ている人のほうが、先進国で貧困に陥っている人より、生活が豊かになっている。日本に観光に来る中国人やアジア各国の人たちは、普通の日本人と同等か、より豊かな生活をしている。
これは日本に限ったことではない。先進国に住んでいる人の相当数が、すでに貧困化して中進国の人よりも貧しくなっている。ところが、日本を含む先進国の人々は、その「現実」を認めたくない。自分たちが没落していることを受け入れられないのだ。だから何かあれば中国の悪口を言い、ロシアやブラジル、インドの社会問題を取り上げて、自分たちの価値観で文句をつける。そうして溜飲を下げてプライドを守っているのだろう。これまで通り、先進国の立場を維持したいがゆえに、変化や変革を望まなくなっているのだ。
その結果、BRICSなどの台頭で新しい時代の枠組みを作る動きに、とにかく反対してしまう。そこを国際ハザールマフィアたちにつけ込まれて、結果的にマフィアどもの延命を手助けしている。自分たちを苦しめる敵を味方と信じているのだ。
今の先進国の人々の多くは「茄(ゆ)でガエル」になっている。水のなかにいるカエルをゆっくり温めていくと、熱湯になるまで気づかない。それと同様、自分たちがマフィアたちに茄(ゆ)でられていることに気づかず、危険な道を突き進もうとしている。
日本人は現実をきちんと理解して向き合うべきだろう。
安倍政権発足後、アベノミクスのかけ声をよそに、日本の貧困率は急上昇している。それにもかかわらず貧困問題がクローズアップされることは少ない。逆にあたかも景気が回復しているかのようなプロパガンダを信じている人も多い。
確かに街に行けば、一見景気が回復したように感じる。街はこぎれいになり、デパートは人で賑(にぎ)わっている。それは中国人などの観光客が増えたことと、もう一つ、忘れてならないのは、街からホームレスがすっかり消えたからなのだ。貧しい人が目の前から見えなくなり、景気のいい人が遊んでいれば、なんとなく豊かになった気がする。あくまでも「気がする」だけであり、実態は違う。見えないところで、かつてないほど悲惨な状況が生まれつつあるのだ。
日本の貧困は非常に見えにくい。国民性もあるのだろうが、貧困になった人は「自分が悪い」と自罰(じばつ)的になって声を上げず、周囲も「自業自得(じごうじとく)」「怠け者」と切り捨てる傾向が強い。確かに戦後、社会がリセットされて、努力すれば誰でも豊かになれた。しかし、現在は違う。政府が構造的に貧困層をつくっている。いや、ハザールマフィアに貢(みつ)ぐために日本人を貧困化して、その金を奪っているのだ。貧困になった人は犠牲者であり、まだ貧困になっていない人も、いつ自分がそうなるかもしれない危険な状況を理解していない。
2016年7月には参院選がある。それまでに、一人でも多くの日本人に、現実を伝えたいと思っている。
・・・<抜粋終了>・・・
では具体的に、貧困がどのように進んでいるか見てみましょう。
ベンジャミン氏は、AV嬢というとてもユニークな切り口をしています。そこから若者が奨学金で借金奴隷になっている実態を紹介しています。
・・・<『「闇の支配者」最後の日々』、p191~p196から抜粋開始>・・・
貧困風俗嫌の陰に奨学金「借金奴隷」
実は日本の貧困を計るわかりやすいバロメーターがある。
AV女優のルックス、である。AV女優のルックスがよければよいほど、その国の景気は悪い。景気と風俗嬢のルックスは反比例するのだ。
別に変な話ではない。風俗で働くのはお金が必要だからだ。景気がよければ、風俗でなくとも稼げる。男に貢がせるなり、お金持ちと結婚もできよう。逆に景気がいいときは、「かわいくない」風俗嬢でもたくさん稼げる。
さて、この視点で日本の風俗産業を見てほしい。女性アイドルとAV女優のルックスに差はない。アイドルはルックスよりもキャラクターが重要なこともあってか美人度合いで言えばAV女優のほうが上というのがもっぱらだろう。
で、アイドルやモデル顔負けのAV女優や風俗嬢の儲けはどうか。
これは私も聞いて本当に驚いたのだが、いま、それなりにかわいい風俗嬢でもフルタイム働いて月20万円稼ぐのが精一杯で、コンビニやファミリーレストランでバイトしないと生活できないという。コンビニのバイトだけでは生活できないので風俗でも働いているのではなく、風俗だけでは食えないためにコンビニでバイトしているのだ。
それで調べたところ理由があった。
2006年、風営法(風俗営業法)が大幅改正とり、店舗型は原則禁止となった。新規店はすべてデリバリーヘルス(派遣型)に切り替わったらしい。デリヘルは都内全域に女性を車で配送する。それで移動などに時間がかかってフルタイムでも数人しか相手をできないらしい。店舗型ならば待機料も支払われるが、デリヘルの場合、自宅待機でギャラはゼロ。デリヘルの相場は一時間1万円で女性の取り分は半分の5000円を切る。月20日働いても30万円を稼げないのだ。
しかも風俗を希望する女性はたくさんいて過当競争になる一方、肝心の男性客は減っている。それで風俗産業自体がデフレになって「それなりにかわいい程度」だとバイトしなければ、やっていけなくなっているらしいのだ。
日本の風俗嬢は35万人。この数字自体は1960年代から変化はないが、2006年以降、ごく普通の女性の割合が増えている。
これにも理由がある。
その一つが大学の奨学金制度の「改悪」の影響なのだ。あえて風俗の話をしたのは。この大学の奨学金制度の実態を知ってほしかったからだ。
2001年、小泉政権下で未納問題があった育英会の奨学金制度を廃止して公金を貸し付ける「学生支援機構」に移管した。それで多くの学生が400万円から800万円の「借金」を抱えて社会人になるようになった。それ以前、育英の時代3割前後だった受給率が4割を突破したのが2006年であり、最初の受給者の返済もこの年から始まる。だから風俗嬢が増えて、風俗に行く男性客が減っていたのだ。
育英会の奨学金は学費免除の給付型や返済免除項目もたくさんあった。それだけに審査条件が厳しく2割程度しか受給できなかった。だから親の世代は奨学金を「借金」とは考えず、子供が奨学金で進学したいと言えば賛成する。ところが学生支援機構の奨学金は、年金などの公金を貸し付ける「借金」であり、税金と同じ扱いとなる。つまり、公権力が取り立てるのだ。新入社員になったばかりで国家に800万円の借金をした現実に気づけば、風俗で働くしかないと選択する人がいても、また風俗に行かなくなる人がいても当然であろう。
女性に関心のない男性を「草食系」と呼ぶが、その言葉が生まれたのが2006年。そして第1次安倍政権が発足した年でもある。これは偶然か。
2015年以降、奨学金受給者は5割に達した。公権力で強制徴収できる強みなのだろう。消費者金融よりも簡単に何百万円を貸してくれる。
こうして「奨学金で大学に行って勉強しよう」という真面目で優秀な学生の多くが借金漬けの「奴隷」となっている。年収300万円程度の若い世代にすれば、奨学金返済は税金と一緒なのだから収入の半分が税金という「五公五民」の状態となる。今の若い世代に「ネトウヨ」と呼ばれる、他国や他民族に攻撃的な発言をする人が多いのは、外国人排斥をそうした不満のはけ口にしているからなのかもしれない。
奨学金という名の「国家のヤミ金」で借金漬けにされた学生たちは、どうなるのか。その答えはアメリカにある。
アメリカも大学の学費が高すぎて奨学金で借金漬けになる学生が多い。その返済免除になるのが軍隊なのだ。貧しい家庭の場合、まず軍に入って給付型の奨学金を得て大学に進学する。こうしてアメリカ軍は人材を確保している。間違いなく日本も追従するはずだ。
自衛隊入隊を返済免除条件にするだけではない。目的は軍属の確保であろう。
軍隊を外国で大規模に展開するには兵士より、輸送や基地の運営といった業務ができるスタツフが必要となる。これを軍属というが、自衛隊は国内での活動に限定していたために軍属の数が他の国の軍隊に比べて圧倒的に少ない。それで海外派遣に限界があった。ところが、今や何十万人という大卒の「借金奴隷」がいるのだ。自衛隊をイラクに派兵するとき、現地基地までの輸送や基地内業務をすれば返済を免責すると言えば、人員はいくらでも集まる。奨学金の借金奴隷を使えば、自衛隊を海外派兵のできる軍にすることは簡単なのだ。
いずれにせよ、数十万人の大卒者が国家の「借金奴隷」となっている。もし、日本に極右の軍事政権ができるとすれば、間違いなく、その先兵となるのは、彼ら「借金奴隷」である。すでに日本を軍事国家にする下準備は終わっている。
この現実を知っておいてほしいのだ。
・・・<抜粋終了>・・・
私は、堤未果(つつみみか)氏の著作から、アメリカの学生が高騰する学費で借金奴隷となっていて、それがアメリカ軍が軍属を確保する手段になっている実態は知っていました。
いずれ日本のそうなるかもしれないと思っていたのですが、実態は私の認識よりずっと進んでいて、すでに日本の若者は借金奴隷になっていたようです。
では次に、悲惨極まる介護の現場の話を紹介します。
・・・<『「闇の支配者」最後の日々』、p199~p204から抜粋開始>・・・
介護制度は合法的「高齢者処分システム」
もう一つ、現代のアウシュヴィッツとなっているのが介護の現場であろう。組織的に老人を「間引く」システムになっているからである。
まさか、と思う人もいるだろう。残念ながら事実なのだ。昨今、ニュースになっているような単に人手不足とか、過酷な労働現場、給料が安いのが問題ではない。介護制度を通じて効率よく高齢者を「間引いて」、それで浮いた予算を国際ハザールマフィアに貢いでいるのが、介護問題最大のタブーなのだ。
日本の介護制度は、本来、非常によくできていた。1997年の草案なので、国際ハザールマフィアの影響が少なく、本当に高齢者と日本の未来のために官僚たちが知恵を絞って作った制度なのだ。実際、介護保険を導入すれば、年金と合わせて個人でも最低限度の介護が受けられる。超高齢化社会への対策としては、まずまずの完成度であったのだ。
1997年から一部自治体で実験したところ、長生きする老人が急増した。老人介護のポイントは骨折だ。70歳を過ぎたお年寄りの場合、骨折すると回復せず、寝たきりになりやすい。骨折から数年でだいたい亡くなる。自宅介護では、痴呆もそうだが、この骨折が防げないのだ。きちんとした介護施設を誰でも利用できるようになれば骨折が減って「長生き」する。つまり、介護保険制度が正しく機能すれば、医療費や福祉の負担が増大することが分かったのだ。
普通ならば保険料の値上げや医療費の削減方法を検討する。
ところが、ここで天下の売国奴・小泉政権が発足。日本の金をナチスに貢ぐために作られた政権だけに、真っ先に、この介護制度がターゲットになった。予算ばかり使い、働かない老人たちは「ナチス」にすれば害でしかない。手っ取り早く殺して、その浮いた金を寄こせと要求したのだろう。そうして介護保険制度は、「どうすれば確実に老人たちを早死にさせるか」という観点で制度が見直されていくことになる。
小泉政権下、介護制度は全面施行となる。それに合わせて、一億総中流だった日本社会は突如、「勝ち組」「負け組」という言葉で、中流から下がった「下流層」が激増する。生活がギリギリの人が増えれば、残念ながら自分の親でも「そこまで長生き」してほしいとは思わなくなる。早死にするような悪質な介護施設のほうがありがたい、となってしまう。そこまで追い詰められていない人も介護保険料の値上げには反対の声を上げ、保険点数の削減に諸手を挙げて賛成するようになる。
保険点数の削減は介護施設の収入減となる。当然、職員の給料も下がる。介護職は命を預かっている。生活できるだけの給料があれば真面目な職員も自然と集まり、スタッフの質はすぐに向上する。そこで保険点数の大幅ダウンなのだ。まともに働いても生活できない給与水準となれば、介護職を希望する能力の高いスタッフは、やりたくてもできなくなる。
実際、介護施設の職員の多くは非正規雇用の派遣社員で、1カ月働いても給料は月に15万円程度。ダブルワークもできないので、職員の多くは「自宅通勤」が前提となる。自宅から通うのが条件で過酷な介護職を希望する人は、ほとんどいない。
そこで政府はリーマンショック後の2009年、麻生太郎政権時、不況対策として介護を中核事業に指定した(重点分野創業事業)。これで介護職の施策が緩和、さらに採用した事業者に補助金が入るようした。それでも給料は月15万円なのだ。リーマンショックの不況で職を失った人だろうが、介護職を選ぶことはない。
その結果、やってきた大半の職員は、いわゆる「ニート」となった。逆に言えば介護職を希望するのは、長年、自宅で引きこもり、30代、40代になったニートしかいなかった。いや、ニートを掻(か)き集めるのが目的だった、そう指摘するのはジャーナリストの中村淳彦(あつひこ)氏である。彼は2008年、ジャーナリストを辞めて介護施設の経営者に転身した人物で、あまりにも酷(ひど)い実態を告発した『崩壊する介護現場』(ベスト新書、2013年)を執筆、ジャーナリストに復帰した。
編集部からの資料に彼の生々しいインタビューがあった。職員はコンビニのバイトすらできない能力で、人間性も劣悪。そんなスタッフしか集まらず、崩壊する介護の現場の苦悩が綴(つづ)られている。一部、引用しよう。
「これで『まともな介護ができるのか』と疑問に持つ人もいよう。
もちろん、できない。できるはずもない。
それでも施設が回るのは、顧客自体が親を捨てているからだ。介護施設の大半は「21世紀の姥(うば)捨て山」であって、むしろ、酷い介護によって早く死んでほしいと願っているのが実情なのだ。ゆえに底辺と中年童貞が蠢(うごめ)く最低の介護施設は、ある意味、最高の施設となる。
いや、昨今の政府の政策を見ていると、介護システムそのものを「合法的な高齢者処分場」に仕立てようとしているとしか思えなくなってくる。そうして高齢者の医療負担を減らす、そんな国家ぐるみの「陰謀」と疑いたくなるのが介護の現場なのである。
金持ちは質の高い施設を利用している。間違っても私が経営していたような介護施設にはこない。介護の仕事で「普通に生活できる」収入があれば、介護の質は上がり、高齢者の寿命は延びることだろう。それでは自治体と政府の福祉負担の増大を意味する。
だからこそピンボー人たちを長生きさせないよう介護制度を設計し直したのだろう。
親を捨てたい家族が増えるのは貧困が原因であり、職に就けない「底辺」たちを介護業界に集めるのもまた貧困である。 貧困は介護という地獄の釜の蓋を開け、その釜に叩き落とされるのもまた「貧困者」なのである……。
(『実録!超ド貧乏 ヤバすぎる最底辺の生現場』宝島社、2016年、より)
中村淳彦氏は、一点、間違っている。介護システムそのものを「合法的な高齢者処分場」に仕立てようとしているとしか思えない、ではない。仕立てているのだ。国家ぐるみの「謀略」なのである。
介護は3世代の家族関係がなければ成立しない。70代の老人でいえば息子、娘が子育ての一段落した50代。孫が学校を出て20代、30代で働き出していれば小市民でもきちんとした介護を行えるのだ。
ところが今の50代は保険料の負担などでアップアップ、孫の世代は、先にも述べた「奨学金」でローン地獄にはまり、生活がギリギリで支えたくても支えられなくなっている。とくに50代は、年金も、本当にもらえるのかわからないために「自衛」する意識が高まっている。こうして親を見捨てる人を増やし、結果的に福祉予算と医療費の削減に成功し、その浮いた分を株式市場へと流して国際ハザールマフィアに貢いでいる。
本当に酷い話であろう。繰り返すが、これが、いまの日本の現状なのだ。それでいて、どうして安倍政権を支持できるのか、私は不思議でならない。
・・・<抜粋終了>・・・
実は私の知り合いに定年退職後、介護の仕事に就いた人がいます。
彼に介護の仕事の報酬を聞いて驚きました。介護の仕事は腰を悪くする人が多く、重労働です。その割に賃金の額が少ないのです。これでは介護の仕事に就くインセンティブがなくなってしまうと感じました。
私は、どうして政府は介護に仕事に就く人々の給料を上げないのだろうと不思議だったのですが、ベンジャミン氏が言うように、意図的に上げないという説には説得力があります。
では最後に、都会で、(以前は多く見かけたのに)すっかり見なくなったホームレスの話題を紹介したいと思います。
・・・<『「闇の支配者」最後の日々』、p190~p199から抜粋開始>・・・
東京の街からホームレスが消えた
今の日本は、ものすごい勢いで貧困層が増えている。
だが、日本の貧困は見えにくいために気づかない人も多い。実際、あれほどいたホームレスが街から消えた。もちろん景気が回復したからではない。バブル時代だってホームレスは東京駅や新宿駅にいた。2000年代まで新宿駅から東京都庁までの地下道には、何十人という数のホームレスが「住んでいた」。いつもいるホームレスの顔を覚えていたぐらいだ。ちょっとした公園ならばブルーテントがあった。花見で有名な上野公園など100人単位のホームレスがいた。電車で古雑誌を拾って駅前で売っている人もたくさんいたものだ。
しかし、今、東京でホームレスを見かけることはない。昨今、日本に観光に来る外国人のなかには「日本にはホームレスがいない」と真顔で語る人もいるぐらいだ。
では、彼らはどこにいったのか?
気になって調べたところ、ホームレスを連れて行けば「一人当たり5万円」の報奨金で収容所に集めて、目立つ場所から消していたのだ。
人々の目の前からいなくなったからといって「貧困」問題が解決するわけではない。どんなに隠そうとしても必ずボロが出る。
・・・(中略)・・・
先に街からホームレスが消えた、と書いた。では、彼らはどこに行ったのか。ホームレスを収容する「無料宿泊施設」の大半は、ヤクザのフロント企業が運営している。生活保護を受給させるなどして貧しい人から搾(しぼ)り取る貧困ビジネスの現場なのだ。行政は、その実態を知っていながら見て見ぬ振りをしている。劣悪な収容所のホームレスほど優先的に生活保護を受給させて、どんどん「間引(まび)いている」。私が取材した関係者は、はっきりと語っていた。2010年、臓器移植法案の改正で海外での移植が事実上、禁止になった。その途端、街からなぜか、ホームレスが消えたのだ。それを偶然と思うほど、私は初心(うぶ)ではない。収容所に集めて一人当たり5万円を支給する。早死にさせることを条件に生活保護を受給させて死ぬ寸前までその金をヤクザが奪う。死にそうになったら金持ちに臓器を売却する……。
死体から石鹸を作る「アウシュヴィッツ」のメンタリティを感じるのは私だけではあるまい。
・・・<抜粋終了>・・・
私は、(半分冗談ですが)いざとなったらホームレスになればいいやと考えていたのですが、それは改めることにしました。
私の認識は甘すぎました。
どうやら日本は、恐ろしい国になってしまったようです……。
(2016年5月7日)
本山よろず屋本舗さんのサイトより
画像、リンクは追加しています。
掲げてた理想は、今は遠く…。
古舘伊知郎
時代の実況者、古館伊知郎が走りぬけた12年
自らの意見や思い、感じ方を、自らの言葉で視聴者に語りかけた古舘伊知郎キャスターが3月31日、「報道ステーション」における最後の出演を終えた。前任の久米宏と同じく、アナウンサーというしゃべりのプロからキャスターへ転身した古舘の12年間を明治学院大学文学部芸術学科の古川柳子教授が振り返る。
■ 古舘報道ステーション、最後の7分38秒
花束贈呈も、儀式的な送る言葉も、奇をてらった演出もなかった。無遅刻無欠勤で「報道ステーション」を勤め上げた古舘伊知郎キャスターは最後はしっかりカメラと向き合い、想いの詰まった見事な一人語りで12年間の幕を引いた。
毎日毎日、目を通し続けた視聴者からの膨大なメール。賛辞に喜び、徹底的な罵倒に傷つきながら、結果そのすべてが自分を育ててくれたと思えるようになった心境と感謝。「圧力」による降板説を明確に否定しながら、返す刀で、以前より報道番組で自由にものが言い難くなっている空気も指摘。人が皆空気を読み一方向に流れる時こそ、「水を差す」行為や言動が必要だとする言葉を引きながら、「つるんつるんの無難な言葉で語られた番組などちっとも面白くありません」と力をこめる。人間が情熱をもって番組を創れば多少の偏りは生じるけれど、全体的にほどよいバランスをとればいい。
12年続ける中で育ってきた「言うべきことは言う」という報道ステーション魂を引き継いでほしいと、後任の富川悠太キャスターにエールを送る。視聴者には新しいキャスターや番組を長い目で見守ってもらいたいと懇願し、最後に「皆さん、ありがとうございました!」と深く頭を下げた、刹那、画面はCMに切り替わる。最後の一秒まで語りつくした7分38秒間。実に、実況の達人古舘伊知郎らしいファイナルだった。
キャスターにも「芸風」というものがある。キャスターとしての資質云々ではなく、その人物が核とする思考や表現のスタイルのようなものだ。そこには彼らがキャスターの座につくまでのメディアとの関わり方が濃くにじみ出るように思う。たとえば新聞記者(筑紫哲也)、テレビディレクター(田原総一朗)、ラジオパーソナリティ(久米宏)。そして古舘の原点がテレビ実況者であることは言うまでもないだろう。
■ 社会の実況という「芸風」
一般的に、実況者はその場の状況をただ口先で描写しているだけと思われがちだが、実況とはそんな生易しいものではない。卓抜な実況者には、伝える対象についての膨大な知識と、刻々と展開する現実のどこに着目し、何を切り取るのかを瞬時に判断する凡庸でない視点が求められる。そのうえで初めて、正確かつ豊かにイメージを伝える言葉の力が問われてくるのだ。
古舘がまだ駆け出しアナウンサーで早朝番組のやじうま新聞を読んでいた大昔、私もADとして同じフロアを這いずり回っていた一時がある。その頃から古舘の実況に対する努力は尋常ならざるものがあった。日常の中の風景を常に脳内実況し、手垢にまみれた予定調和を破る言葉を捜し、イメージを喚起する語りを編み出す努力が水面下で続けられていた。
対象がたとえ動かぬものであっても、奔放に視点を動かしながら実況しきってやるという意欲は、後にトークライブで自分の脳のレントゲン写真一枚を肴に2時間半しゃべり倒すという快作も生む。何をどう見て、いかに語るか。「知識」「視点」「言葉」の三点セットの鍛錬は、古舘がさまざまなジャンルの番組をこなしてきた原動力であり、キャスターとしての「芸風」を確立してきた基盤だったといえるだろう。
今でこそ自分の考えを鮮明に打ち出すキャスターだったと見られる古舘だが、彼が報道ステーションを始めた頃、必ずしもそういうイメージはなかったように思う。転機はやはり東日本大震災だっただろうか。被災地、原発、辺野古、安保法案など、さまざまな連鎖の中で生まれていった出来事の現場に、古舘自身が赴くことも多くなった。現場を目の当たりにし、そこで出会った人々の姿に共感を寄せる時、それを伝える古舘の言葉は熱を帯びた。
古舘の反原発姿勢を語る際、よく引き合いに出されるのが、東日本大震災1周年特番の最後に語った「私は日々の報道ステーションの中でもそれを追求していきます。もし圧力がかかって番組を切られても、私はそれはそれで本望です」というコメントだ。この時は「圧力」の有無に関心が集まり、切り取られたフレーズだけが有名になってしまったために、古舘がどんな文脈でこの言葉を吐いたかは忘れ去られてしまったように思う。
彼は都会のまばゆい光を顧みつつ、主な産業がない地域が都会のための原発を誘致せざるをえない現実を根本的に議論していかないと「生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません」と語り、その後に例の言葉を続けたのだ。福島の現場で出会った被災者の心中や原発の事故現場で向き合った風景。そこで感じた、自分自身も無自覚に加担している東京と福島の矛盾。感覚的といってしまえばそれまでだが、あの言葉を古舘に言わせたものは、自分が感受した現場に対する真面目さだったのではなかったか。
さまざまなバランスをとることが求められる報道番組での日々を、古舘は「言っていいこととダメなことの綱渡りの不自由な12年間」と総括した。自分の想いをそのまま語れない「視点」と「言葉」のせめぎ合いの中で、それでも「言うべきことは言う」という姿勢を支えていたものは、観念的なジャーナリズム論ではなく、自分が見て、聞いて、知ってしまった現実を正直に語ろうとする、社会の実況者としての矜持のようなものではないかと思う。
■ 環境変化のなかで「偏り」とは何かを考える
古舘が降板を発表した後の3か月間、腹をくくったコメントが続発したと話題になった。
5年目の3・11の特集は福島県の子どもたちの甲状腺癌。5年間で166人出ている状況が専門家の間でも意見が分かれ、県の検討委員会が原発事故との因果関係は考えにくいとの見解を出していることについて、「因果関係は考えにくいという言葉は都合がいい言葉だなと私は感じています。因果関係がはっきり否定はできないと言っているわけですから、因果関係があるんじゃないかという前提でじっくり調べていくプロセスが必要だと思うんですね」。
偏向報道に対して停波も有り得るとの高市総務大臣の発言に対するジャーナリストたちの抗議のニュースを受けて、「現在の政権の考え方に沿う放送をやることがイコール放送法でいう放送の公平公正かというと、私は違うという風に考えております」。
古舘の最後の現場レポートは、ドイツのワイマールからだった。世界で最も民主的といわれた憲法の中の国家緊急権という一条項が結果的にナチス独裁に道を開いてしまった史実を伝え、自民党の憲法改正案にある緊急事態条項が持つ危うさを指摘した特集の最後に、「とにかく立ち止まってじっくり議論することが重要ではないかという思いでこの特集を組みました」。
■ 「偏り」についての投げかけは問題提起だった
見返してみて改めて思う。古舘のコメントは自分の意見を前面に出すというより、あくまで議論や熟慮を求めるものだった。逆にいうと、このような当たり前なことを言うために「窮屈さ」を感じたり、「ぶれちゃいけない」と踏んばったりしなくてはならない現状自体について、私たちは今、猛烈に考えなくてはならないのではないだろうか。そう考えた時、古舘の「偏り」についての投げかけは、今の状況に対する大きな問題提起だった。
「人間がやっているんです。人間は少なからず偏っています。だから情熱をもって番組を創れば、多少は番組は偏るんです。しかし、全体的にほどよいバランスに仕上げ直せば、そこに腐心していけばいいのではないかと、私は信念をもっています」
古舘があえて最後にこれを言わなくてはならなかった背景には、キャスターが自分の意見を言うことを「偏っている」とする、このところの奇妙な風潮が、猛烈な古舘批判に繋がっていたからだろう。テレビ局に寄せられた古舘についてのコメントやネットの中の議論を見てみると、当然のことながら、自分の意見が古舘と同じ人は彼を賞賛し、違う人は「古舘は偏っている」と非難する。つまり、キャスターの「偏り」を判断する根拠は、多くの場合、自分の視点が中立だという前提なのだ。
問題は安倍政権がテレビ局に対して「偏向」と文句をつける基準も、自分と違う意見は「偏っている」というネット世論のレベルと大して違いがないことだ。そしてさらに問題なのは、この政府の幼稚な圧力やネットの炎上を恐れて、報道機関が協力しあって筋の通った反論をするでもなく、空気を読んで自己規制に陥り始めていることだろう。自分の考えを言うことは、放送法以前に憲法で「言論出版その他一切の表現の自由」として保障されている。個人の視点なき言論は有り得ない。本来、人間が10人いれば10の視点があるということが前提のはずだ。
アメリカではチャンネル数が少なかった時代にテレビ局に課されていた「公平原則」が1980年代に撤廃された。さまざまな立場の発信が担保できる多チャンネル時代に入っていくなかで、「公平原則」はむしろ言論の自由を侵害するとの考え方からだ。論点のあるテーマにおいては、視聴者自身が公平性を判断するための多様な情報を提供することが重要だと考えられている。日本としてどう考えるかは議論の余地はあるとしても、テレビの外の場外乱闘も激しくなっている時代、「中立」という言葉が多様な視点を撚り合わせていくための議論を阻むものであってはならないだろう。
「報道ステーション」が始まった2004年は、ブログ、SNS、動画投稿サイトなどの普及と共に、一般の人々が自ら発信するハードルが急激に下がり始めた時期だった。ネットの中のコミュニケーションは次第に影響力を持ち始め、良し悪し両方の側面で現実の出来事の起こり方をも変え始めた。
古舘がキャスターとして走り抜けた12年は、メディア環境の構造変化がかたちとして見え始めた過渡期に重なっていたともいえる。それまでだって視聴者はテレビの前でキャスターに毒づいていただろう。しかし政治家や評論家のみならず、一般の人々が自分の好き嫌いや憶測、断片情報をもとにキャスター批評を公共空間に発信するような事態は、20世紀のキャスターたちは経験していないはずである。それが「言っていいことと悪いことの綱渡り」の難易度を上げていた要因となっていた側面も否定できないだろう。
■ 「言論の偏り」の意味を考える機会に繋がればいい
言葉があふれているようでいながら議論はなく、ひとたび空気が動き出せば一方向に流れていってしまう時代。だからこそこれまで以上に、大勢の中で見落としてしまうような視点を提示し、そこに意味を見つけていく力量が、キャスターには求められる。願わくば、古舘の渾身の問題提起が、報道現場やメディア批評のなかで、「言論の偏り」とは何なのかを改めて考え本質的な議論の機会に繋がればと思う。
日々のニュースシーンから古舘キャスターが退場した後、いったい誰が「水を差す」役割を果たすようになるのだろう。だが一方で、彼が12年間で培った知識と視点と言葉を携え、次にどんなフィールドを選ぶのかは楽しみだ。
社会の空気を作っているのは報道だけではない。時代が暗転していく時、真っ先に人質に取られるのは実は娯楽である。次なるフィールドがどこであっても、自由な視点と洒脱な言葉で存分語り続けてほしい。投げた言葉が議論を呼ぶなら、それを逆手にとって多様な視点を実況してもらいたい。言いたいこと、言うべきことをどこまで言えるか、それはその国の民主主義のバロメーターでもあるのだから。
東洋経済オンライン記事より
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古舘伊知郎と言えば
プロレス、F1、テレビアカヒで、
偏向するなと言う方が無理です。
もう偏向しなくとも、
国民はみんな気が付いてしまった?ですね。
昔の古舘伊知郎に戻れるか?
衝撃!山葡萄人を見た!?
衝撃!山葡萄人を見た!?
衝撃の朗報発見!「朝鮮人はヒト科ではなかった!」:ヒトモドキ科に属した!?
みなさん、こんにちは。
どんなに大学入学基準を下げてやって大学で学位やっても結局「キチガイ朝鮮人」化する。最終的には凶悪殺人者か、性犯罪者か、社会犯罪者か、裏社会のアダルト俳優か、売春婦になる。上に行っても犯罪者、下に落ちても犯罪者、金持ちになっても犯罪者。つまり、「罪なく死す」という6字の偈(げ)がない。
これが北朝鮮人であろうが、南朝鮮人であろうが、在日朝鮮人であろうが、在米朝鮮人であろうが、韓中国人であろうが、在欧朝鮮人であろうが、在豪朝鮮人であろうが、在ブラジル朝鮮人であろうが、同じことなのである。
どうやらその謎がついに解明されたらい!
その結論とは、
朝鮮人は人間ではなかった!というのである。
たしかにヒト科の見てくれはしているが、どうやら新種のヒト科、要するに昔からおそらくそうではないかと予想されてきて揶揄された「ヒトモドキ」だったというのだ。それがネイチャーに出たという。
2011年7月の記事とちょっと古いが我が国では報道されなかったので見落としていたものである。我が国が東日本大震災で大変な時期のことだった。これである。
Extensive genomic and transcriptional diversity identified through massively parallel DNA and RNA sequencing of eighteen Korean individuals「韓国人固有のDNA220万個を発見」ソウル大学研究所[07/04]
韓国人18人のDNA、RNAを分析した結果、220万個以上の新しいゲノム変異が見つかったと、 ソウル大学医科大学遺伝体医学研究所とマクローゼン生命科学研究所が3日、世界的な学術誌ネイチャージェネティクス(電子版)で発表した。複数の韓国メディアが報じた。
研究グループは2008年から「アジア人の遺伝体多様性プロジェクト」を実施しており、今回の研究は3番目の研究として、遺伝疾患のない韓国人18人(男性11人、女性7人)のゲノム(全遺伝情報)を分析した。
報道によると、既存の研究ではDNA配列の分析を通じ、特定の病気の発見や、人間の特性や疾患などを特定してきたが、今回の研究ではDNA配列とRNA配列を同時に分析。DNAに存在しない変異がRNAに存在していたり、その逆のケースがあることを明らかにした。
韓国人18人からは、950万個以上の変異(遺伝子を構成する塩基配列の違い)が確認され、うち220万個は今回始めて発見された。さらにこのうちの約120万個は、韓国人の10%以上が有していることが分かった。
ソウル大学医科大学遺伝体医学研究所のソ・ジョンソン(Jeong-Sun Seo)教授は、「民族はそれぞれ生きてきた環境に適応するため、固有の遺伝子変異を持っている」とし、「今回の論文はヨーロッパ人とは違う韓民族の遺伝体変異を体系的に整理し、ヨーロッパ人が中心だったこれまでの遺伝子研究の限界を指摘した点で意味がある」と話した。
韓国メディアは、韓国人のゲノム分析を通じ、人種間の多様性が予想よりも大きいことが分かったとし、韓国人をはじめとするアジア人のゲノム情報を集め、アジア人に的を絞った医学研究が必要との見方を示した。(編集担当:新川悠)
サーチナ 2011/07/04
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0704&f=national_0704_155.shtml
★1が立った時間2011/07/04(月) 17:38:19.55 ID:???
【韓国】「韓国人固有のDNA220万個を発見」ソウル大学研究所[07/04]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1309768699/
つまり、我が国が東日本大震災で衝撃を受けていた頃、韓国では韓国最先端の遺伝子学研究所で国をあげて、ごく真っ当な韓国人成人18人を対象に全遺伝子ゲノム解読を行っていたのである。
すると、なんと韓国人の遺伝子が、普通の人間とは950万箇所も異なっていたというのである。
10箇所とかではない。950万箇所だ。
950万箇所のうち、220万箇所が今回の研究で新たに発見された場所。
そしてそのうちの120万箇所は韓国人の1割が共通に持っているというのである。
つまり、
朝鮮人類起源説「黒い山葡萄原人」説は、ほぼ真実だったということになるのである。
MERSは人には伝染らない!?:ついに朝鮮人起源説登場か!?山葡萄人vsUMAミノス
アラビアのラクダ特有の病気であるはずのMERSウィルスにどうして韓国人だけが感染するのか?
失われたはずの類人猿ミノスの習性であった、脱糞攻撃がなぜいまもって韓国人や在日朝鮮人特有の習性として残っているのか?
しんぶん赤旗で包装された人糞が韓国領事館に届けられたが、在特会の犯行ではないと考える合理的理由
なぜ在日朝鮮人のエロビデオメーカーで公衆衛生上もっとも悪いはずの脱糞糞喰いが公然と伝統になっているのか?
・朝鮮人は実に衛生だの病気だの無頓着千万、そこになると悪く言うようだが人間よりか獣に近いと言ってもよいようである。
・大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、あちらに行け邪魔になると追いまくられてもブラリブラリ愚図ついている有様などは、牛に近いと言ってよい。
・朝鮮人の不潔と来たら随分ヒドイ。てんで清潔とか衛生とかいう考えは無いから、如何に不潔な家でも、如何に不潔な所でも一向に平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が交じっていても、更に頓着せずにこれを飲む。実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。
・家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る。その訳は馬糞をまぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいと言うている。
・更に驚くべく信じがたい程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなると言うている。又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効だと言ってこれを用い、又強壮剤だと言って無病のものでも飲んでいる。いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすというとも聞いている。何と驚かしいことでは無いか。
なぜ韓国では麹菌がいない代わりに糞菌を入れて腐敗したものをトンスル酒やウンキムチにしても病気にならないのか?
避難所でノロウイルス流行の兆し 感染拡大に避難所の分散も 保健師ら懸命の衛生指導
普通の人類は細菌に弱い。西洋人白人種は特にそうだ。だから、細菌繁殖のない寒い地方に逃げて行ったのである。だから、衛生上の習慣から神経質な性質の人種に育った。色の白さと神経質は関係があるのである。これはよく知られた事実である。
昔のブログから:「アット・ホーム・ダッドは一番短命なの?」
『ゲノムが語る23の物語』(紀伊国屋書店、2000年)(ついでに付け加えておくと、「血液型で性格が決まる」というのは(遺伝学的に)本当だという根拠が書いているヨ。)
謎の遺跡「ウィングメーカー」とは何か?6:ネルダ博士インタビュー
同様に血液型が性格と相関があるのもまた事実である。水や環境変化に最も弱いのはO型である。その次がA型とB型である。水や環境変化をものともしないのがAB型である。
だから、サッカーでもホームに強いのがO型。アウェーで下痢してだめになるのがO型。AB型はどこでも普段通りの力を発揮できる。どこでも何を食っても体調万全なのがAB型である。ちょうどその中間がA型とB型だと分かっている。
私なんか、ブラジルワールカップに行く途中のエールフランスのチーズ食った途端に1週間以上下痢になった。もちろん俺はO型である。
人間のAB型は何を食っても当たらない。胃腸が強い。しかし、それでも糞食ったり、糞尿を飲んだり、陰部オーラル性交をすれば、途端に調子が悪くなる。喉を溶連菌でやられたりして腎不全になったり、女性であれば、尿道炎になったり、膣炎になったり、子宮炎になったり、終いには子宮筋腫や子宮頸がんになったりするわけだ。
だから、普通の人類は細菌やマイコプラズマやウィルス感染に非常に注意する。
ましてやゲイになれば即座にAIDS発症である。肛門性交のために鮮血による血液感染するからだ。
ところが、朝鮮人は何しようが病気にならない。それが不思議だったわけだ。
ラクダや鳥や猿の病気には簡単にかかるのに、人間の重篤な病気にかからない。これが長らくの謎だった。
が、その謎の理由がこうして朝鮮人科学者の研究で判明したわけだ。
ところが、やはり朝鮮人、遺伝子が狂っているわけだ。だから、下された結論がまた朝鮮人だった。
「民族はそれぞれ生きてきた環境に適応するため、固有の遺伝子変異を持っている」「今回の論文はヨーロッパ人とは違う韓民族の遺伝体変異を体系的に整理し、ヨーロッパ人が中心だったこれまでの遺伝子研究の限界を指摘した点で意味がある」とソ・ジョンソン教授が言えば、韓国メディアはこう結論した。
韓国人のゲノム分析を通じ、人種間の多様性が予想よりも大きいことが分かったとし、韓国人をはじめとするアジア人のゲノム情報を集め、アジア人に的を絞った医学研究が必要
まあ、お止めになった方がいい。
支那人や日本人やベトナム人やタイ人やインドネシア人と遺伝子を比較したら、ますます衝撃的な事実が見つかるだけだろうからだ。
いずれにせよ、いっとき、
【人類皆兄弟…近親交配を繰り返した結果、国民全体が同じ顔に】という話が出てきて、この話は世界中に知れ渡ったのだが、すぐに我が国内では、アメブロ中心に在日火消し工作員が出てきて、この話を知恵袋などで自作自演し、これがデマだという悪質なデマを広めた。
【韓国人の遺伝子の特徴について】
米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表す。
(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution.
1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)
韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。
遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が多数見つかっている。
ところが、今度は本元が在日韓国人の宗主国であるはずの韓国から出た世界最高の科学誌ネイチャーに載った研究のニュースである。したがって、この最初の「近親相姦繰り返しによる遺伝子異常の蓄積」説は100%正しかったのである。
だから、マスゴミ、ダマスゴミはだんまりで、話題にもしなかった。「報道しない自由」満喫である。
自公のリーダーに泣きついて都知事選を戦った
舛添要一東京都知事は、いま何をしてる?
地方知事にすぎないものが、世界中をまるで一国の首相や天皇のような気分で豪遊三昧である。2億4千万円の不正献金をもらったはずだったが、それがいつしか話題でなくなり、逆に今軽井沢に2億4千万円の豪邸の別荘を持ち、そこに創価学会を私物化した妻を住まわせ、毎週末には都税の公用車で送迎してもらっている有様だ。
そんな金があれば、いくらでも都内に保育所ができる。毎週末に軽井沢の豪邸に行き来する金で毎週1個の保育所が作れる。
これが東京大学法学部出身だというから驚く。
いったい東大法学部では何を教えているのか?
日本乗っ取り術か?あるいは、日本人冤罪術か?あるいは日本崩壊術か?
まあ、俺にはどうでも良いが、この舛添も朝鮮人だ。
遺伝子に最低でも120万箇所の異常を持っている。最高では950万箇所だ。
しかも大半は同じ遺伝子の繰り返しや重複が極めて多く均質である。つまり、血が異常に濃いのだ。
だから、朝鮮人はだれと結婚しても同じ顔形の子が生まれる。しかも大半が一生の間に精神病になる。韓国人の4割が精神疾患を持つ。些細な事で癇癪や火病を起こし、犯罪を起こしてスカッとしたがる。だから、虐殺、殺人、放火、レイプ、強奪。こういった犯罪の裏には100%朝鮮人がいる。
ぜったいに朝鮮人と結婚するな!
これが我が国古来の教えであった。
我が国の芸能人でもこれを疎かにしたばかりに悲惨になった芸能人は数知れない。高島兄弟がそうだ。
我が国のいわゆる公家出身者にも古来の百済の朝鮮人の血筋が残るために、この傾向が未だに残っている。公家さんの特徴とは何か?
故柘植俊一博士に言わせると、
日本の悲劇は世界の悲劇の雛形:韓国とイスラエルのイメージ→「みんな頭おかしい」
の中で、この公家の気質(鮮人由来)をこう書いていた。「卑怯、狡猾、虚弱、虚栄」、
「無責任、無感動、無表情」、
「嫉妬、残忍、贅沢」
まさに半島の人間の特徴を表している。
武内宿禰も公家である。この傾向が如実に現れていてキモい。ツバ飛ばしながら口伝する。
また、
「日本書紀」に秘められた真実とは?:著者は2人。大化の改新、白村江の戦いの真実が明らかとなる!とあるように、山口県には古来、「草壁醜経(くさかべのしこぶ)」という朝鮮人陰謀団が移り住みついた場所である。その子孫が山口の支配層になった。その一派が岸家であり、安倍首相の先祖の一派にすぎない。
この百済の陰謀団の首領が誰だったか?
これはわからないらしいが、その手下の学者名は分かっている。
当時の高僧とされた、旻法師(みんほうし)、高向玄理(たかむくのげんり)、南淵請安(みなぶちのしょうあん)であった。
この陰謀団が、首領の指示の下、当時の天皇家を撹乱に撹乱して、日本列島乗っ取りを謀った。そして誕生したのが、「大化の改新」であった。
つまり、いまの朝鮮系が「改革、改革」、「革新」、「革新」というのと同じことである。そして、ミンス党がまったく同じことをした。
それが、「大化の改新」の内容だったのである。
こういうことが「裏面解読法」で初めて明かされたのである。
そして、全てが完了し、天皇が「傀儡政権下のお飾り天皇(ロボット天皇ともいう)」になった時、それに喜んだ百済の方から送られたものが、「白雉(はくち)」というものである。そして、年号が「白雉」となった。西暦650年のことである。
これを持ってきた奴が、長門国(山口)宍戸の国司、草壁醜経(くさかべのしこぶ)だったという。まあ、陰謀団の首領が山口にいた?さもありなん、ですナ。
この意味も裏面解読法によれば、こうなるという。
表→聖王が天下を治めているめでたいしるし
裏→天皇の正しい政治を空しくしてしまった
実際、歴史愛好家や日本書紀のファンや読者、そして竹田日恵の本を読めば分かるように、この時代にはたくさんの天皇が殺害されたのである。陰謀団によって。
この点も戦後の日本とまったく同じである。たくさんの善良な日本人や日本人の起業家や政治家が無碍に殺害されたのである。
というわけで、いま現在では、韓国人が、「日本人が最初に韓国朝鮮半島を侵略し、悪いことをしたのが白村江の戦い」などといっているが、それもまたまったくの嘘であったのである。すべては逆だった。
まあ、その頃の悲願をいま達成中というわけだ。だから、我が国が厳しい状況にある。野党は100%朝鮮人。自公与党は10〜20%の朝鮮人。これでは我が国はもたない。
というわけで、我が国の悲劇は半島と支那が近いこと。そこには、人間ではない動物がいること。そしていつのまにかその動物が我が国に住み着いて寄生してしまったこと。
こういう歴史的、科学的事実をこの韓国人の遺伝子の研究は証明したのである。
韓国人の、韓国人による、韓国人のための遺伝子研究だった。
いやはや、世も末ですナ。
おまけ:
韓国人の韓国人遺伝子研究
・A highly annotated whole-genome sequence of a Korean individualどの研究も韓国人の遺伝子のあらゆる場所に異常が蓄積していることを示している。まあ、これが「放射脳」「朝鮮脳」を生んでいるわけだヨ。日本人なら絶望的だな。しかし韓国人はそう思わない。「斜め上思考」で防ぐ。真に受けたら火病で犯罪を起こすだけ。
・Mutation analysis of the GNE gene in Korean patients with distal myopathy with rimmed vacuoles
・A start codon mutation of the FRMD7 gene in two Korean families with idiopathic infantile nystagmus
井口博士のブログより
画像は追加しています。
この内容はフィクション…
かどうかは皆様のご判断に…。
悪徳医の微笑み
悪徳医の微笑み
1がん検診「陽性」でも99%は問題なし?意外と知らないデータの真実
がん検診を受けたことがありますか?
例えば胃がん検診として行われる胃X線検査。バリウムを飲んでからX線で写真を撮影し、がんがないか調べるものです。大体は「問題なし」となるものの、万が一「疑いあり、要精密検査」と言われたら心配になりますよね。
では、質問です
胃X線検査では、がんがあれば90%ほどの確率で「陽性(疑いあり)」になります。
一方で、がんがなくても、およそ10%の確率で「陽性」と判定されます。
では、あなたが「陽性」となった場合、本当にがんがある確率は何%でしょうか?
1)90%
2)9%
3)1%
正解は、こちらです
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
3) およそ1%
わかりやすく言えば
「陽性」でも、およそ99%はがんではないということです。
そんなわけはない!と思いますか?いえいえ、そんなことはありません。
こちらの資料には大阪がん予防検診センターによる調査の結果が紹介されていますが、胃がん検診(胃X線検査)を受けた43万人のうち、「陽性」とされたのはおよそ4万人。そのうち、本当にがんがあったのは782人でした。確率は、およそ1.9%となります。
大阪がん予防検診センターの調査 (1996年から2002年まで)
ある検査によって、がんがある人の何%を見つけられるか?を表す数値は「感度」と呼ばれます。胃がん検診(胃X線検査)の感度はだいたい90%です。
「感度90%」と聞くと、陽性になったらほとんど「がん確定」のような気がしてしまいますが、実際には陽性になっても、本当にがんがある人はごく一部に過ぎないのです。
「90%を見抜ける検査」のはずなのに??
どういうことなの?と思われたかもしれません。カラクリは単で
「がんになる人は、そんなにいない」からです。
例えば胃がんであれば、新しくがんが見つかる人は、毎年10万人に140人くらいです(男性)。胃X線検査は、本当にがんがある人のうち90%を見つけることができますから、もし10万人が胃がん検診を受けると、140人×0.9=126人くらいが見つかる計算になります。
一方でこの検査では、がんではない人も10%が「陽性」とされます。つまり胃がん検診を10万人が受けると、およそ1万人が「陽性」となります。
陽性になった1万人ほどの人のうち、本当にがんである人は126人です。
以上から、「陽性」となった人のうち、胃がんである人は1%ほどしかいないことがわかります。
知って得する がん検診の「考え方」
意外でしたか?この話のポイントは2つです。
まず重要なのは、がん検診を受けて「陽性」とされても、 それほどストレスを感じる必要はないということです。10万分の140だったのが、1万分の140になっただけです。
そもそも自治体などで行われている検診(対策型検診)では、厳密さはそこまで求められません。目的は、 「アヤしい人」を見つけて精密検査を受けてもらうことだからです。
精密検査をすると、がんがあるかどうかを高い精度で調べることができますが、時間的にも金銭的にもコストがかかります。だから、最初は網を大きく拡げて「アヤしい人」を見つけ、その後、精密に検査する戦略をとっているのです。
つまり、がん検診を受けて「陽性」の通知が届いた時。「がんがあるに違いない!」と思って強いストレスを感じたり、逆に「どうせ大丈夫だから精密検査を受けないでも良い」と思うのは、どちらも大きな間違いです。
むしろ役に立つのは
「陽性だ!良かった!」という考えかもしれません。なぜなら、がんの精密検査を人間ドックなどで希望して受ける場合は基本的に全額自己負担になりますが、がん検診で疑いが指摘されれば、保険が適用され3割程度の負担で済みます。しかも、万が一がんが見つかれば、治療を受けることで命が助かるかもしれません。それってすごいメリットですよね。
そしてもう一つのポイントが「感度」にごまかされてはいけないということ。記事や資料などに「感度90%の最新がん検査法」などと書いてあると、すごい技術のような気がして、高額でも利用したくなりますよね。でもここまで書いてきたとおり、がん検診の場合、「どれだけ見つけるか」と同時に「どれだけ”無実”の人を陽性としないか」がすごく重要だったりします。また、がんが見つかるとして、それで本当に命が助かるのか?という点も大きなポイントになります。
とても身近な「がん検診」。でも、その内容や狙いについて、良く知らないでいると上手に活用することができません。自分や家族の命に関わることです。ちょっとでも興味を持ち、確かな情報を得ておくかどうかが、いざという時に大きな違いを生むのかもしれません。
もし興味をもたれた方は、こちらの記事も読んでみてください
2がんの「早期発見」は、すべきではない!?
「がんは早期発見」は、もはや常識。非常に早期のがんでも発見できる技術の開発も進んでいます。ところが最近、 「がん検診は意味がない、どころか不利益が大きい」という意見も聞かれるようになりました。いったい、どちらが正しいのでしょうか?
がんを見つけても、命が救えなかった
グラフは、韓国の女性の「甲状腺がん」について調査した論文の結果です。オレンジの実線が、新しく甲状腺がんと診断された人の率を示しています。1999年ごろから、ものすごい勢いで増えていることがわかりますよね。
実はこれ、早期発見が進んだ結果です。韓国ではここ15年ほど、甲状腺がん検診を受ける人がとても増えました。その結果、次々と早期のがんが見つかっているんです。
問題は、ここからです。
グラフの横軸のわずか上をご覧ください。非常に見にくいですが、点線が引かれていることがわかります。これは、甲状腺がんによる「死亡率」です。10年間でがんが見つかる人は急増したのに、死亡率ほとんど変わっていません。この結果は、早期に多くのがんを見つけても、亡くなる人を減らせなかったということを示しています。
甲状腺には「死なないがん」ができやすい
甲状腺は、ノドにある臓器で、蝶が羽を広げたような形をしています。
文献によれば、甲状腺がんではない理由で亡くなった人でも、死後に解剖すると10~28.4%もの人に1cm以下の小さながん(微小がん)が見つかるといわれています。しかし、甲状腺がんで亡くなる人は年間10万人に1人程度にすぎません。
つまり甲状腺には小さながんが出来やすいけれど、その多くは死に至るような悪さをしないのではないかと考えられます。こうした「おとなしい」がんまで、見つける意味があるのでしょうか?
うーん、とは言われても、わずかでも「危険な」がんが見つかる可能性があるならば、検診を受けたほうが良いのでは?と考えてしまいます。というわけで、
「見つかったら、どうするだろうか?」ということを考えてみました。
早期発見は「パンドラの箱」
がんだと診断されることは、大きなショックを伴います。想像してみてください。たとえ進行は非常にゆっくりだと説明されたとしても、「自分の中にがんがある」と思うだけで、とても不安になりませんか?がんが発見された結果、深刻なストレスに悩まされる人も少なくないかもしれません。
じゃあ、手術を受けて取り去ればよいのか?というと、こんどは手術に伴う「不利益」が無視できなくなります。
甲状腺がんの手術は、首の皮膚を切り開く方式が一般的で、手術後に傷跡が残ることだってあります。さらに甲状腺はホルモンを作る臓器で、そこを切るわけですから、手術後に薬剤(ホルモン剤)を飲み続けなければならなくなる可能性もあります。そして、本当にごくわずかですが、手術そのものによって命を落とすリスクも存在します。
こう考えてくると、がんの早期発見は 「パンドラの箱」の一面を持っていることがわかります。
いちど検診でがんが発見されれば、「治療を受けるか、様子を見るか」など否応なく判断を迫られることになります。でも多くの場合、治療を受けるメリットはハッキリしません。しかし手術を受けるにせよ受けないにせよ、不利益を被るリスクが存在します。
じゃあ、がん検診は、受けないほうが良いの?
もちろん、そうではありません。検診にもさまざまな種類があり、早期発見によって死亡率を下げられることが実証されているものもあります。つまり重要なのは、 がん検診を「選んで」受けること。
検診による利益と不利益を天秤にかけて、利益が勝るものを選んで受けるようにすれば良いわけです。
でも選べと言われても、専門的な知識がなければ難しいですよね。私のオススメは、自治体や会社の健康保険組合から勧められる「がん検診」(対策型検診)を受けること。日本では大腸がんや胃がんなど5種類のがんに対して、公的な資金を投じた検診が行われています。(この他に乳がん、子宮頸がん、肺がん)
国立がん研究センターホームページより
これらの検診は、過去の様々な研究成果を総合した結果、現時点で「利益が上回る」と考えられています。
もし、がんで亡くなるリスクを確実に下げたいのであれば、まずはこの5つの検診を適切に受けるのが良さそうです。でも残念ながら、グラフでも示されているとおり、受診率は半分以下にとどまっています。(それでも、受診率が高まり続けていることは注目すべきことです)
いま日本人の2人に1人がかかるといわれる「がん」。その撲滅のために早期発見が重要とされ、様々な検査技術が開発されてきました。しかし一方で、技術が精緻になったゆえの新たな問題も出てきています。
「がんは(全て)早期発見すべき」と単純に考えるのではなく、「がんを『選んで』早期発見する」というのが、新しい時代の常識になっていくのかもしれません。
3「がんで死ぬ人は、減り続けている」 意外と知らないデータの真実
がんで亡くなる人は、増えている?
「日本では、がんで亡くなる人が増え続けている」という言葉、よく聞きますよね。ときにメディアの記事でも、取り上げられることがあります。
米国で1年間にがんで死ぬ人は、約57・5万人。日本人は約36・5万人だが、人口10万人当たりで換算すると、日本人の死亡数は米国の約1・6倍にもなっている。意外なことだが、日本は先進国であるにもかかわらず、がんが原因で亡くなる人が増え続ける唯一の国。日本が「がん大国」である「本当の理由」はここにある。
出典:「週刊現代」2014年9月13日号より
実際はどうなのでしょうか?調べてみました。
まず、国が公開している「人口動態統計」のデータから、がんによる死亡者数の変化をグラフにしてみます。
人口動態統計による全がん死亡データ(1990年~2014年)
1990年には年間21万人ほどでしたが、その後増え続け、2014年には36万人を超えています。なるほど、やっぱり日本は「がん大国」。日本のがん対策は、うまくいっていないんじゃないか?と思ってしまいますね。
高齢化の影響は? 年齢で調整してみる
でも、ここでちょっと考えてみました。
がんは、年齢を重ねるごとに増えます。お年寄りになればなるほど、がんになる人は増え、それに伴い亡くなる人も増えていきます。これは、いわば人間の「宿命」とも呼ぶべきもの。とすると、日本は高齢化が進んでいるわけですから、がんで亡くなる人が増えること自体は「自然なこと」です。
でも、もしも日本と同じくらい高齢化が進んでいる国があったとして、がんで亡くなる人が日本より大幅に少なかったとしたら問題ですよね。日本におけるがんの予防対策に問題があったり、治療体制に何らかの欠陥があったりする可能性があるからです。
つまり大事なのは、高齢化による「見かけ上の増加」を調整したうえでデータを見ること。そうすると、本当に問題があるのかどうかが見えてくるはずです。
がんで亡くなる人が、減り続ける日本
そこで、人口における年齢構成の違いを調整したデータで、日本の状況を見てみました。OECD(経済協力開発機構)は、加盟国のがんによる死亡率データ公開しています。それをグラフ化し、日本と社会状況が近いG7(先進7か国)の死亡率を、1990年から2012年まで比較してみます。
全がん死亡率(年齢調整済み・10万人あたり)OECD dataより
日本のデータは、というと・・・一番下の赤線です。あれ?一貫して、主要先進国のなかでもっとも低いことがわかりました。1990年からの変化を見ていくと、95年にいちど上昇しますが、その後は減り続けています。なぜ減っているのかは一概には言えませんが、医療技術の進歩や衛生状態の改善(胃がんの原因となるピロリ菌保有者の減少)などが関わっているのかもしれません。高齢化の影響を除いた場合、「日本ではがんで亡くなる人は減り続けているし、他の先進国と比べて多いわけではない」ことが言えそうです。
種類別にがんを見てみると?
ちなみに、全てのがんを合計するのではなく、肺がんや胃がんなど部位別に見てみるとどうなるでしょうか?これも高齢化など年齢の影響を調整したグラフで見てみます
主要な部位別がん年齢調整死亡率(がん情報サービスHPより)
「胃がん」「肺がん」「肝臓がん」など主要ながんでは、おおむね死亡率が低下してきているようです。では一方で、増えているがんはないのでしょうか?他の場所のがんも見てみます。
主要な部位別がん年齢調整死亡率(がん情報サービスHPより)
赤い線で示されたグラフは、すい臓がんの死亡率です。男性も女性も、増え続けていることがわかります。胃がんや肺がんに比べ頻度は少ないですが、すい臓がんは検査法が進歩した現在でも早期発見が難しく、見つかった時には手遅れというケースが多いといわれています。すい臓がんに対し、もっと良い検査法や治療法の開発が進むことが望まれますし、私たち個人としても、適切な情報を知っておいて損はなさそうです。
がんを正しく「怖がる」ために
同じ死亡数や死亡率というデータでも、「年齢構成」という要素を考慮に入れるかどうかで、その見え方は大きく変わることがわかりました。日本人の2人に1人がなるとも言われる「がん」。適切な対策や対応を考えるためには、私たち自身がデータの「見かた」をちょっとでも知っておくことが望まれるのかもしれません。
市川衛 医療ジャーナリスト
(いちかわ・まもる)NHKディレクター/京都大学医学部非常勤講師。00年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。16年スタンフォード大学客員研究員。【主な作品】(テレビ)NHKスペシャル「腰痛 治療革命」「医療ビッグデータ」ためしてガッテン「認知症!介護の新技」など。(書籍)「脳がよみがえる・脳卒中リハビリ革命(主婦と生活社)」「誤解だらけの認知症(技術評論社)」など。医学ジャーナリスト協会会員。※記事は個人としての発信であり、いかなる組織の意見も代表するものではありません
市川衛氏 ヤフー記事より
画像は追加しています。
「奥様、がんです。ステージⅣです。
私に任して下さい。必ず治します。
グフフ…いえ、何でもありません…。」
消えぬ想い
消えぬ想い
今日は済南事件のあった日
今日は、憲法記念日です。
しかしその憲法記念日以上に日本人が忘れてならない事件があります。
それが昭和3(1928)年5月3日に起きた「済南事件(さいなんじけん)」です。
今日は、この事件と、その背景を振り返ってみたいと思います。
少し時をさかのぼります。
大正6(1917)年にロシア革命が起こると、世界を共産主義支配下に置こうとするいわゆる共産主義革命の嵐が世界を覆いました。
この影響で支那では、共産主義者でもなんでもないならず者たちが、共産主義革命を標榜して徒党を組み、あちこちで乱暴狼藉をはたらくようになりました。
なにせ、共産主義に共鳴するという体裁をとりさえすれば、背後にいるソ連が、湯水のように銃や実弾やカネを提供してくれるのです。ならず者たちにとって、これほど都合のよいことはありません。
これによって、普通に生活をしようとする、支那にいる多くの庶民が犠牲になりました。
当時の支那は、明治44(1912)年に清王朝が倒れたばかりです。
同年1月1日に、南京で孫文(そんぶん)が中華民国臨時政府を樹立し、臨時大総統職に就任するのだけれど、軍事力の弱い孫文は、結果として北京軍閥の長である袁世凱(えんせいがい)に大統領職を譲り、大正5(1916)年には、その袁世凱が、中華帝国を名乗り、初代皇帝に即位しています。
ところがその即位も、内外から総スカンを食い、失意のうちに袁世凱が死亡すると、その後の支那は長く続く内乱の時代にはいってたのです。
こうした中で、大正9(1920)年に起こったのが「尼港事件(にこうじけん)」です。
「尼港事件」は、ロシアのトリャピーチン率いる、ロシア人、朝鮮人、支那人約四千のならず者たちが、共産パルチザンを名乗って、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(現・ニコライエフスク)にいた石田領事以下約七百名余の日本人居留民を虐殺したという事件です。
その様相は、まるで映画バイオハザードでゾンビの大軍に取り囲まれた少数の人間の戦いそのものです。
衆寡敵せず、日本人居留民は極めて残虐な方法で全員殺害されました。
この事件で味をしめた共産パルチザンは、日増しに乱暴狼藉を激化させていきました。
そして満州においても、共産パルチザンによる日本人への迫害や、鉄道への侵害事件などが激化して行ったのです。
最近でも、支那人の増えた北海道では、相次いで鉄道トラブルが続発していますが、当時の満鉄の状況はそんなものではありません。奉天鉄道事務所管内だけでも、年間の30万件を越える鉄道被害が発生していたのです。
電話線を切られたり、線路をはがされたり、枕木を外して焚き木にされたり、挙げ句、日本の守備隊の軍人まで拉致され殺害される事件まで起りました。
日本総領事は、その都度「遺憾、厳重抗議」という「きまり文句」を口にしました。
けれど、そのような言葉だけの「遺憾」が支那人たちになんの効果もないのは、100年前も今もまったく同じです。
ただ、いまと違うのは、その「遺憾」や「厳重抗議」の対象となった案件が、昭和2(1926)年には、未済案件だけで370件も達していたことです。
そのくらい、被害が多発していたのです。
当時満州には、日本陸軍の関東軍が駐屯していました。
けれど、軍は、国の命令がなければ動けません。
命令がない限り、軍は何があっても傍観しているだけです。
ですから満州の日本人会の人たちは怒りました。
ある会議のとき、青年連盟の岡田猛馬が会場で立ち上がり、壇上にいる陸軍の幹部に言ったのが、有名な、「関東軍は刀の抜き方を忘れたか。腰の軍刀は竹光か!」です。
当時の日本では、軍人はとても尊敬されていました。
にもかかわらず民間人が軍人に対して、これほどまでにきつい言葉を吐いたのは、おそらく日本に武人が置かれるようになった古代の昔から、史上初といえる出来事であったのではないかと思います。
岡田猛馬のこのときの発言を、感情的なヤジのようにいう人もいますが、それは違います。
まさに、血涙を流しながらの発言だったのです。
ですから罵倒された側の軍人の思いも、同じです。
気持ちは痛いほどわかっていたのです。
ところが、です。
昭和2年頃というのは、大正デモクラシーの影響で、日本の思想界、言論界、政界、財界、メディアとも、極端に平和主義で反軍的な時代でした。
日本が安全保障理事国を務めた国際連盟の平和思想や、欧米列強の軍縮の呼びかけなどの影響もあったものと思います。
ですからいまどきの、どこかの国とそっくり同じで、日本の軍隊の存在を、存在自体を悪だと決めつけるような風潮が日本にも蔓延していました。
「むしろ日本の軍傭を縮少し、支那や欧米に対して、萎縮外交をせよ」
「内需経済にこそ、歳費を注ぐべきだ」といった議論が、日本国内の主流をなす言論風潮だったのです。
おそらく、そこにはスパイ工作もあったことでしょう。
実際、そうした日本国内の風潮を、日本の「弱味」とみた英米ソは、その魔の手を支那に差し伸べ、支那人をそそのかし、日本に対する露骨な排日侮日運動が行われ出したのです。
もちろん、軍隊内部からも、また政友会や一部の新聞においても、満蒙の邦人擁護のために日本は軍事力を行使すべし、という主張はありました。もはや平和外交では満州問題は解決しない、正義は力を振るってこそ正義となり、力なき正義は、悪徳に他ならないという主張もあったのです。
けれど国論の主流は、相変わらずでした。
尼港で700余名の邦人の命が、極めて残虐な方法で奪われたという現実があったにも関わらず、腰が定まらない。
まるで、腰抜けのでくのぼうのような平和主義が主流派をなしていたのです。
そんな中で起ったのが、昭和3(1928)年5月3日の「済南事件」でした。
済南というのは、山東省にある商業都市です。
日本人をはじめ、多くの外国人が居住していました。
その斉南で、支那の軍閥同士での、大規模な内戦が起こったのです。
日本は居留民保護のために、同年4月下旬には済南に兵を派遣していました。
派遣軍は城外の商埠地に戦いが波及しないよう、バリケードを築いました。
ところが総司令の蒋介石は、
「治安は国民党軍が確実に確保するので、日本は(バリケードを)撤去して欲しい」と日本に要請してきました。
治安が崩壊しているから、日本は出兵しているのです。
そんな中で、バリケードを取り去るなどということは、軍事的にはあり得ません。
けれど現場は、中央の指示によってこれを受入れ、5月2日に、バリケードを撤去しています。
そして事件が起こったのです。
5月3日、蒋介石の国民党軍の兵士が、満州日報の取次販売店を襲撃して掠奪を働きました。
ここで注意したいのは、昨今の支那の反日デモのような「暴徒」ではなく、当時済南であったのは、武器を持った兵であったということです。武器がなくても、あれだけ暴れ回るのが支那人です。
それが武器を手にしていたら、どうなるか。
暴兵たちは、駆けつけた日本人の巡査にも、多数で暴行を加えました。
知らせを受けた日本陸軍は、急きょ救援部隊を現場に急行させました。
すると支那兵たちは、たちまち遁走し、国民党の兵舎に隠れて、銃撃を加えてきたのです。
やむなく日本軍はこれに応戦しました。
すると今度は、市内のあちこちで、一斉に国民党兵による乱射や掠奪、暴行がはじまったのです。
日本側は、全体の治安維持のために、冷静に国民党軍に停戦を呼びかけました。
現に、そのすこし前には、国民党の総統であり、最高司令官である蒋介石自身の口から、
「済南の治安は国民党が守る、日本人は一切を国民党に任せて、バリケードも解いてよろしい、安全は自分が保証する」と約束しているのです。
ところが白旗を掲げて停戦を呼びかける日本軍の軍使にさえ、支那兵は銃撃を加えてこれを射殺しました。
戦時国際法も何もあったものではありません。
市内全域はたちまちのうちに修羅場と化し、各所で多数の日本人居留民の男女が、暴兵の手で惨殺されたのです。
この事件で、日本人女性が両腕を帯で後手に縛られたうえ、顔面、胸部、乳房に刺創、助骨折損、陰部には棒をさしこまれ惨殺されていた写真などが現在でも残っています。下のものです。
斉南事件の被害者(24歳の女性)
ご自身で斉南事件で検索して下さい。
この事件で被害にあった男性は、両手を縛られ地上を引きずられたうえ、頭骨破砕、小脳露出、眼球突出して殺害されていた者、顔面破砕され、両眼を摘出して石をつめられて殺害された者、頭および顔の皮をはがれたうえ、眼球摘出、内臓露出、陰茎切除して殺害されるなど、およそ人間のすることとは到底思えないような残酷さで12名が、凄惨な殺され方をし、その他約四百余名が暴行、強姦、掠奪によって重軽傷を負う被害を受けました。
当時の外務省公電にある公式文書です。
=======
腹部内臓全部露出せるもの、
女の陰部に割木を挿し込みたるもの、
顔面上部を切り落としたるもの、
右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れるもの各一、
陰茎を切り落とし・・・(以下略)
======
現場を視察した南京駐在武官佐々木到一中佐の手記です。
======
予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の 極だった。
手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、
婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
或る者は焼 かれて半ば骸骨となってゐた。
焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。
我が軍の激昂は其の極に達した。
======
ちなみに上にある女性の写真は、間違いなく済南事件のときの新聞報道写真であり、被害者の女性も日本人、横に立っている男性も間違いなく日本人医師なのですが、いまの中共政府はこの写真を「日本陸軍七三一部隊による人体実験の犠牲者の写真」として流用し、さらに同じ写真を南京事件の支那人被害者として流用し、展示しています。
支那の歴史教科書にも掲載(翻訳版)

731部隊記念館では蝋人形になって展示

デタラメもたいがいにしろと言いたくなります。
泥棒や強盗が好き放題に暴れ回っているなら、それが国内なら警察力を強化して防犯と取締にあたるのは当然のことです。
けれど警察というのは、日本国内の日本の国内法が及ぶ範囲でしか活動できません。
事件の起きているのが国外なら、そこに日本の法は適用されませんから、軍隊が治安を維持する他ないのです。
その軍隊の軍事力を、政治的に行使できなくしたらどうなるか。
泥棒や強盗などの凶悪犯の前で、警察官に丸裸になれと言っているのと同じです。
そしてそのことが現実となったのが事件が、済南事件だったのです。
こうした尼港事件から斉南事件までの流れについて、「もし当時の日本が早期に徹底した武力を用いて支那の反日勢力に対して徹底的な弾圧と報復を行っていたら、事態はここまで深刻にならずに済んでいたのではないか」という議論があります。
なぜそういえるのかというと、同じ時期、英米仏蘭独伊などは、支那人に襲われていないからです。
なぜなら彼らは、たったひとりでも自国民にケガ人が出ようものなら、徹底的な反撃と打撃を支那人たちに与える。だからさしもの支那人たちも怖くて手が出せなかったというわけです。
もちろん、それもあろうかと思います。
ただ日本だけが標的にされたのには、もうひとつの裏の事情があります。
日本国内でも、たとえば九州や北海道のご出身の方が東京や千葉、埼玉にたくさんおいでになりますが、これが陸続きの地域となれば、人の往来と移動はさらに激しくなります。
ですから、当時の支那には、たくさんの朝鮮人が仕事を求めて散らばっていました。
その散らばっていた支那は、古来、中華思想の国です。
この中華思想は、支那に古代から存在する一般的思想と思われがちですが、これは違います。
歴代の支那の王朝は、紀元前に成立した前漢以外は、すべて外来王朝です。
たとえば最初に支那を統一した隋は、鮮卑(せんぴ)系の遊牧騎馬民族が建てた王朝です。
そもそも隋という国号の文字は「祭りの肉の余り」という意味の漢字ですから、いかにも肉食の遊牧民らしい国名です。
唐(とう)も「大きな口」という意味で、これまた鮮卑系です。
宋(そう)も皇帝は趙氏の一族で、これまた遊牧民族系です。
元(げん)が、モンゴルの遊牧民王朝であることは、これは有名な話です。
明(みん)は、漢族である安徽省の貧農の末子、朱元璋(しゅげんしょう、漢族)が建国した国ではありますが、この時代、国の北は北元(モンゴル族)と後金(ツングース)によって征圧され、度重なる遊牧民族の侵入で常に国が危機状態に置かれていたわけで、これは統一支那王朝とは言い難く、実際、国土のほとんどを遊牧民族に奪われています。
そして、ここまでの王朝は、すべてそれら外来の皇帝が君臨し、支那の土着民である漢族や、チベットウイグルなどの周辺諸族を、平等に下に従えていた王朝でした。
中華思想といいますが、外来王朝が中華として君臨し、それ以外の諸民族は、すべて下、というのがそれまでの中華思想であったわけです。
ところがこの思想に変更を加えたのが、清(しん)王朝でした。
清(しん)は、女真族(満州族)が建てた王朝ですが、彼らは武力が劣ったため、漢族を支配し、それ以外の諸族を、すべて漢族の下においたのです。
つまり、女真族>漢族>それ以外の諸族、というように、民族に序列をつけたわけです。
そしてその清王朝が滅んだとき、清王朝によって自尊心を植え付けられた漢族が、他の民族よりも「俺たちは上だ」と考え始めました。これが清朝以降の中華思想です。
ところがその清朝が滅ぶ少し前の1900年(明治33年)に、義和団事件が起こりました。
義和団というのは、一種の宗教団体で、その宗教を信じれば、斬られても突かれても撃たれても死なないという、おかしな信仰です。
そしてその信者たち約20万人が、北京にいる11カ国の外国人の外国人特区を襲撃したのです。
この襲撃は、日本の柴五郎中佐(最終階級陸軍大将)などの奮戦によって、なんとか撃退し、11カ国は当時の清朝政府との間で「北京議定書」を交わし、治安維持と居留民保護のために、支那への出兵を清朝政府に認めさせました。
そしてこの北京議定書の定めに従って、日本も現代風にいうならば、いわばPKO部隊として支那への派兵をしていたのです。
ところが、平和を願う支那人たちや、諸外国の思いと裏腹に、支那大陸では、当時日韓併合によって「日本人」となった朝鮮人たちが、「ウリたちは世界最強の日本人だ」と言い放ち、支那大陸のあちこちで乱暴狼藉を働きました。
もともと支那人にせよ、朝鮮人にせよ、儒教国です。そして儒教というのは、なによりも上下関係を重んじます。そして上に立ったら、下に対してはありとあらゆる収奪(強姦や暴行を含む)が許されると考えるのが、彼らにとっての儒教です(日本の平和的な儒教思想とは異なります)。
するとここにおかしな対立が生まれました。
支那にいる漢族は、清朝以来の中華思想に基づき、自分たちが世界最高の民族であると思っています。
ところが、日韓併合になる前まで、その漢族の下で、まるで南北戦争前の米国の黒人奴隷さながらに人権などなく、ただ野蛮人としてこき使われていただけの朝鮮族が、こんどは「ウリたちは日本人だ。世界最強だ。お前たち漢族よりも偉いんだ」と言って、支那人を襲撃し、財物を奪い、女性に対して次々と強姦をはたらき、証拠隠滅のために殺人を犯し始めたのです。
もちろん、そのようなことをするのは、ごく一部の不逞朝鮮人でしかありませんし、大多数の朝鮮人たちは、まじめに普通に暮らそうとしていたのが事実です。
しかし、国際社会では、たったひとりでも、おかしな行動をすれば、「○○人は」と言われてしまうものです。
まして、そのおかしな行動が、強姦や殺人などの凶悪犯であればなおのことです。
漢族たちも、こうした犯罪に対して、手をこまねいていたわけではありません。
彼らは、徒党を組んで犯人のあぶりだしをしました。
ところが、悪事が露見して、ヤバイと感じた不逞朝鮮人は、その度ごとに、「ウリは日本人ある。支那人に襲われて危険ある」といって、日本の軍隊に保護を求めてきました。
日本軍としては、形式上は彼らは「日本人」ですから、保護せざるを得ません。
そして支那人たちの言い分も聞くのだけれど、朝鮮人と支那人では、言っている言い分がまるで違っている。
日本軍としては、とりあえず朝鮮人の身柄を保護し、支那人たちに引きさがってもらうしかありませんでした。
しかし、犯罪による被害にあったという恨みは、決して曖昧にはならないものです。
実際、自分の妻や娘が殺されたとあっては、絶対に許せないと思うのは、これまた万国共通の人間としての本能です。そして恨みはますますつのる。
そしてそういう対立が生まれているところに、さらに対立をあおり、火に油を注いで事態を混乱させるのは、まさに共産主義者の常套手段です。
対立をあおられた被害者らは、共産主義パルチザンとなって、徒党を組み日本軍を襲撃し、満鉄への破壊工作を繰り返しました。
そしてそうした行動は、だんだん大きな戦略的な動きとなり、そしてついに大惨事を招くことになったのが、尼港事件であり、この済南事件であり、その後に起こる通州事件であったわけです。
ベトナム戦争でも、韓国軍は出動し、軍事的にはほとんど貢献しなかった一方で、銃を突きつけて村人たちを皆殺しにしたり、女性を陵辱しました。
ベトナム戦争は、北ベトナムという資本力も乏しく、国土も狭く、しかも大陸内の陸続きの国が、南ベトナムと世界最強の名高い米軍等を相手に、ついに勝利した戦いです。
世界中、共産軍というのは、相手が強ければすぐに逃げ出す弱兵なのに、なぜ、北ベトナムだけがそこまで強かったのか。
自分の女房や子供を、敵兵によって陵辱され殺されたなら、男なら誰だって命の限り戦います。たとえ両手両足がなくなっても、噛み付いてでも戦い抜く。
韓国人との混血児であるベトナムのライダハンは、釜山日報によれば3万人とのことですが、強姦され妊娠、出産する確立が10分の1と考えると、他にも陵辱され殺害された女性たちが数多くいたことを考えれば、いったいどれだけの数の女性たちが犠牲になったのか、想像を絶するものがあります。
だから北ベトナムの男たちは戦いました。
枯れ葉剤を巻かれて、息ができなくても、どんなに苦しくても戦い続けました。
思想の問題ではないのです。悲しみが結果としてどこまでも戦うという道を選び、そして北ベトナムに勝利を招いたのです。
その意味では、米国も敗戦の憂き目を見ましたが、ある意味、朝鮮族の被害者であったということができます。
米国のペンタゴンは、いまも韓国人をたいへんに嫌っているといいますが、さもありなんと思います。
韓国民の全て、あるいは朝鮮族の全てがこのような悪党とはいいません。
けれども、そういう悪事をはたらく者が、ひとりでもいれば、そこに恨みが残り、その恨みは増殖するのです。
ですから要するに、済南事件においても、通州事件においても、その原因をたどれば、不逞朝鮮人に行き当たります。
そしてそのことが、結果として、彼ら朝鮮族を庇護した日本軍への怨嗟となり、漢族の日本人への恨みとなって、支那に派兵していた11カ国の中で、日本だけが標的になるという事態を招きました。
済南事件は、日本人が、忘れてはならない事件だと思います。
ねずさんの ひとりごとより
画像は追加しています。
憲法9条を守れ!
戦争反対!
戦うな!
敗戦から、かなりの年月が経ちました。
中国、韓国は話して解る国になりましたか?
婦女子が、惨殺、拷問されても
あなたは、話し合いで解決出来ますか?
人として我慢が出来ますか?
誰が日本人を守るのですか?
女性差別
女性差別
秋元康の歌詞を「女性蔑視」と批判したら、AKB運営から「名誉毀損及び侮辱罪」「記事を削除せよ」の恫喝メールがきた
AKB運営のメディアへの強引な圧力についてはこれまでもさまざまな話を聞いていたが、まさかここまで傲岸不遜だとは思わなかった。
先日、当サイトで、HKT48の最新シングル「74億分の1の君へ」に収録されているカップリング曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が女性蔑視であるというネットの声を受けて、秋元康の歌詞にある女性差別思想を分析、批判する記事を掲載したところ、AKB運営会社であるAKS 法務部から、「名誉毀損及び侮辱罪が成立する」「即刻、記事を削除せよ」というメールが送りつけられてきたのだ。
歌詞に対する正当な論評に対して、「名誉毀損」「侮辱罪」とは、呆れて物も言えない。本当ならこんなもの無視するところだが、読者のみなさんに秋元康の思想の本質、そして批評行為を問答無用で黙らせようとするAKSの言論弾圧体質を改めて知ってもらうために、記事というかたちで回答しようと思う。
AKS 法務部からの抗議メールはまず、〈1.本件記事の概要〉として、こう書いている。
〈貴社は、自ら運営するデジタルメディアサイト「リテラ」において、2016年4月13日、「HKT新曲の歌詞が女性蔑視だと大炎上・・・『女の子はバカでいい』と書く秋元康のグロテスクな思想は昔から」の見出しの下、当該歌詞が女性を著しく侮辱しているとの印象を読み手に与え、当該楽曲を誹謗中傷するにとどまらず、その他AKB48グループが歌唱する楽曲についても、「女性蔑視的な思想とセクハラ表現の集大成」などと記載し、もって、AKBグループのメンバー及び通告会社を逆に侮辱する記事(以下、「本件記事」といいます。)を配信されています。
しかし、当該歌詞は、女優ディアナ・アグロンに憧れる架空の女の子のお話しであり、特定の女性像を推奨する内容ではなく、差別的な意図は全くありませんし、その他貴社が指摘される楽曲の歌詞についても同様に、女性蔑視やセクハラの意図は全くありません。〉
ようするに、HKT48の新曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞は「女性蔑視」などでない、そして本サイトの記事は「楽曲への誹謗中傷」「余談偏見に満ちた論評」(原文ママ)だというのだ。
だったら、問題の歌詞を改めて抜き出すので読んでほしい。
〈難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ〉
〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉
〈テストの点以上瞳の大きさが気になる どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない スカートをひらひらとさせてグリーのように〉
〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい それよりも大事なことは そう スベスベのお肌を保つことでしょう?〉
〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない 可愛いは正義よ〉
どうだろう。これ、昨年、鹿児島県知事の伊藤祐一郎氏が「女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と発言して批判が殺到する事態となったケースと、全く同じではないか。いや、県知事でなくても、この歌詞にあるような価値観、つまり「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」などと発言すれば、世の中では確実にセクハラ発言認定されるだろう。
鹿児島県知事 伊藤祐一郎氏へのお褒めのリンク
なぜ、これが「女性蔑視でない」などということになるのか、こちらが聞きたいくらいである。どうもAKSは、何が女性差別なのか、わかっていないようなので、教えてあげよう。
1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約では、第一条で「女性差別」を、《「女子に対する差別」とは、性に基づく区別、排除又は制限であつて、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するもの》としている。
つまり、「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」をはじめとする秋元康の歌詞の価値観は、文化的、社会的につくられた性別役割を押し付けるものであり、立派なジェンダーハラスメント、女性差別なのだ。
しかも、AKS法務部は言うに事欠いて、〈当該歌詞は、女優ディアナ・アグロンに憧れる架空の女の子のお話し〉だとしている。
あのね、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」が今、一番批判されているのがここなのだよ。
言うまでもないが、ディアナ・アグロンというのはアメリカの人気ドラマ「グリー」でクインを演じた女優。この曲の歌詞の中にはたしかに〈スカートをひらひらとさせてグリーのように〉というくだりがあり、「グリー」のクインに憧れる女の子の一人称で、歌詞はつくられているようだ。
しかし、実は「グリー」でディアナ・アグロンが演じたクインも、そしてディアナ・アグロン自身も、「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」という秋元康の歌詞とはまったくかけ離れた存在だ。
そもそも「グリー」が数多あるアメリカの青春学園ドラマと一線を画す高い人気と評価を得た大きな理由は、それまでドラマで描かれることがほとんどなかったマイノリティたちをメインキャラクターとして正面から描いたことにある。
ゲイカップルの両親に育てられる生徒、吃音のふりをするアジア系の生徒、脊髄を損傷し車椅子に乗る生徒、アフリカ系の生徒、ゲイの生徒……。差別といじめの対象だった生徒たちが様々な困難を乗り越えながら、廃部寸前のグリークラブ(合唱部)を立て直し、大会での優勝を目指す。いわば、秋元の〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない〉という歌詞とは真逆の価値観を示しているドラマなのだ。
そして、ディアナ・アグロン演じる美人のチアリーダー、敵役のクインも、けっして「可愛いだけ」の存在では終わらない。もともと成績優秀ではあるが、「どうせこの田舎町を出られない」というあきらめから、容姿にこだわり、恋愛とスクールカーストの勝者になることだけを目指していた彼女は、好きでもない男の子どもを妊娠。しかし、グリークラブで人間的に成長したクインは、出産に向き合い、その体験をエッセイに書き、そして、最後はそのエッセイが高い評価を得て、名門のイェール大学に進学する。
「グリー」のクインは「可愛いだけで頭空っぽの女の子」から脱却していく存在として描かれており、これまた、秋元康の歌詞とは180度正反対だ。
HKTの新曲はこのように、女性蔑視というだけでなく、素晴らしいドラマをまったくちがう内容に歪めているために、「グリー」ファンや「グリー」のメッセージに共感する人たちの怒りを買っているのだ。ところが、秋元もAKSも、そのことをまったく自覚していないらしい。
こういうと、彼らは、歌詞が「グリー」のクインでなく、女優、ディアナ・アグロンに憧れている女の子の話だと言い張るかもしれない。
しかし、前述したように、彼女自身もまた、秋元の歌詞とは正反対だ。ディアナが女優活動の一方で社会問題に真剣に取り組んでいること、そしてジェンダーに対する高い意識をもっていることは、ニュースサイトの「messy」が具体的に指摘している。
同サイトのパプリカ氏の記事によると(リンク)、ディアナは2014年の国際ユース・デー(世界の子供及び若者の人権保護と社会参画を呼び掛ける日)にグローバル・シチズンシップ大使としてこんなスピーチを行ったという。
「28歳にして思うのが、私はとてもラッキーだったということです。私は初等、中等教育にアクセスできる国で育ちました。私はスポーツを楽しみ、希望の進路を追い求めることができました。私はリプロダクティヴ・ヘルスケアにアクセスして、自分が決断した時に子供をもち家族生活をスタートする時期を選ぶことができます。そしてゲイとレズビアンの友人たちは同性婚の権利を全米で獲得しました」
「しかし世界における18億人もの若者たちはそれほど恵まれてはいません。?世界には大人への移行期に、ジェンダー間の平等、教育機会の獲得、公共医療に関する乗り越えがたい困難に直面する多くの若者が存在します」
ディアナのいう「リプロダクティヴ・ヘルスケア」とは女性の自己決定権にもとづいた性と生殖に関する健康管理のこと。彼女は、教育の機会が奪われ、自分の性に関する行動を自己決定できない女性が世界中に数多くいることを憂えているのだ。
AKS法務部は、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が〈女優ディアナ・アグロンに憧れる架空の女の子のお話し〉だというが、実際の歌詞の中身は、ディアナ・アグロンの主張とは真逆。〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい〉など、完全に女性の「リプロダクティヴ・ヘルスライツ」を否定する内容なのである。
こんな歌詞に勝手に名前を使われたと知ったら、ディアナ・アグロンはどう思うだろう。名誉毀損は本サイトではなく、ディアナの名前を本人の意志と逆の意味で使った秋元康とAKS法務部のほうではないか。
いずれにしても、この女性蔑視的な歌詞は、「グリー」やディアナとはなんの関係もなく、秋元康の思想の表れであることは明らかだ。だからこそ、当サイトは秋元のこれまでの歌詞を改めて再検証し、性別役割を押し付けるその女性蔑視的な価値観が「昔から」であることを、具体的な歌詞をあげつつ指摘した。
ところが、信じられないことに、AKS法務部はこれが名誉毀損にあたるから、即刻、削除せよ、と通告してきたのだ。抗議メールはこう続いている。
2.貴社の記事のスタイル
本件記事は、インターネット上の匿名によるSNS等への投稿等の論評を引用したうえ、匿名の無責任な心ない発言を世間一般の見方であると受け取られるような形で公に発表するとともに、余談偏見に満ちた論評であると言わざるを得ません。
なお、引用記事の摘示及びそれを前提とした論評に名誉毀損及び侮辱罪が成立することはご存じの通りです(最判平成9年9月9日、東高平成4年11月17日、東地平成11年7月19日)。
3.結論
通告会社は貴社に対し、即刻、本件記事を削除するともに、今後、AKB48グループに関する無責任な誹謗中傷記事の配信を差し控えて頂くよう求めます。
いかなるご対応をされるか、大至急、ご連絡くださるよう御願い申し上げます。〉
ちなみに、AKS法務部が〈名誉毀損及び侮辱罪が成立する〉根拠として、もっともらしくあげている〈最判平成9年9月9日、東高平成4年11月17日、東地平成11年7月19日〉という判例だが、ひとつめは、妻に対する殺人容疑で逮捕された三浦和義被告(当時)に対して「極悪人、死刑よ」という知人女性の証言を掲載した「夕刊フジ」が名誉毀損だとされた最高裁判決。ふたつめは、同じく三浦被告に対して、「死刑」の予想をした刑法学者のコメントを紹介した「東京スポーツ」の記事が名誉毀損にあたると判断された東京高裁判決。そして3つめは、変死した東村山市議の夫の「妻は創価学会に殺された」という証言を掲載した「週刊現代」記事が名誉毀損だとされた東京地裁判決。いずれも、本サイトの記事とはなんの共通性もない。
たとえば、これらの判例に出てくる記事では前提となる事実の証明がなかったため、名誉毀損とされたが、本サイトの場合は、秋元康がこの歌詞を書いたという明らかな事実の前提がある。また、AKSは〈匿名の無責任な心ない発言を世間一般の見方であると受け取られるような形で公に発表〉というが、本サイトはネットの発言をただ紹介して、そちらに責任を転嫁したわけではない。独自に歌詞を分析して、「女性蔑視」だと指摘しているのだ。これはあくまで正当な論評、批評だ。
ようするに、AKSは記事を削除させるために、なんの関係もない判例をはったりでもちだして、ただの論評を「名誉毀損」「侮辱罪」だと脅しているだけなのである。
他のメディアはそれで黙らせることができたのかもしれないが、本サイトがこんな「言論の自由」を踏みにじるような要求を呑むはずがない。もし、AKSが名誉毀損訴訟を起こすというなら、堂々と受けて立つつもりだ。そして、公の法廷で積極的に秋元康の歌詞を検証し、それが女性差別、女性蔑視であることを、裁判所に認めさせたいと考えている。
そのためには、ジェンダー研究者や女性の人権を守る活動家にも協力してもらい、勝手に名前を使われたディアナ・アグロン本人にも、証人出廷か陳述書のオファーを出すつもりだ。
もちろん、その際には本サイトで、法廷レポートを連載していくこともお約束しよう。読者の皆さんには、今後の動きに、ぜひ、注目していただきたい。
リテラさんより
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秋元 康大先生 伊藤知事
長生きして下さい。by 中村主水
蘇れ日本
蘇れ日本
4月も下旬に入り、私の住む辺りのソメイヨシノはすっかり葉桜になりましたが、近所の公園に植わっている八重桜は見事な満開となっております。
ソメイヨシノは花が葉に先んじて咲きますが、八重桜は花が咲くのと一緒に葉っぱも出ます。白に近い淡いピンク色のソメイヨシノの花と違って、濃いピンク色の、ひとつひとつがポンポンのようにボリュームのある花が、桜餅に使うような少し茶色がかった透明感のある緑色の葉で引き立てられて、これはこれで見事なものです。
近所の八重桜は、小さな公園にわずか2本が植わっているだけのものですが、それだけでもかなり見応えがあります。これが巷のあちこちで咲き乱れれば、かなりのコッテリ感があるでしょう。平安時代、在原業平が「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠みましたが、この時代にソメイヨシノはありませんので、業平は八重桜を見てこの歌を詠んだのかもしれません。
などと呑気に桜の話をしておりますが、既にご承知の通り、今は九州が大変なことになっております。混乱はもちろんありますが、近年大きな地震を何度も体験している日本では、被災された地域の方は復興を、それ以外の地域の方はその支援をと、それぞれの役割をしっかり果たしていくことが重要であるということは、概ね周知されているように私には見え、心強い限りです。
しかしながら同時に、こういう時はどうしても「自粛」とか「不謹慎」ということを言いたくなるのが日本人です。そう言いたくなってしまう気持ちは非常によく理解出来ますが、そうやって日本全体が縮こまってしまうと、出来ることも出来なくなってしまいます。被災していない人々が被災した人々に心を添わせることと、被災していない人々が日常通りの生活を続けることは両立出来るはずです。
被災していない人は被災した人たちの分まで経済を回す必要があります。例えば、こんな時に不謹慎だからと言って予定していた旅行を取り止めるということは非常によくあることですが、取り消して戻ってきた旅行代金を全額被災地に寄付するとかでないなら、その行為は誰にも何の利益も与えません。むしろ損害が広がるだけです(そういう意味でこういった行為は、韓国を始めとする特亞に利益はあるかもしれませんが)。
こんな時に遊びに行くなんてと心が咎めるのなら、むしろいつも以上に散財することで間接的に被災地を支援してください。だから被災していない人はみんな一文無しになるまで散財しろと言えば荒唐無稽にも程があるのと同じ程度に、こんな時は被災地を思って派手なことは一切何もせず、出来る限りカネを使わないようにして息を潜めていろと言うのも、荒唐無稽なことだと私は思います。
さて、今回の九州の地震でも、言っちゃいけないことを韓国人は言ってしまっているわけですが、案の定韓国内から、それに対する批判的な論調が出ております。
中央日報からは、「熊本地震の痛みも分け合うべき=韓国」という社説が出ましたし、朝鮮日報の名物男鮮于鉦は「【萬物相】地震と日本人」というコラムを書いております。
中央日報の方は何という記者が書いたのか知りたくて朝鮮語版を当たってみたのですが、署名はありませんでした。いずれの記事も、人がましいことを上から目線で書いておりますが、嫌韓でなくともそこはかとない違和感と言うか、耳触りの良い言葉の中に、何気に引っかかりを感じる文章ではないかと思います。
まず中央日報の社説では、「隣国の不幸に目を閉じたまま二度と助けてはいけないと言ったり喜んだりするのは正当化されない。東日本大震災当時に寄付を集めたのも感謝の言葉を聞くためではなかったはずだ」などと書いておりますが、大嘘です。
もらう側の立場から募金の額の大小を言うのはあまりにもはしたないので、それは言わずにおくとしても、彼らは集めた募金の大半(確か8割ほどだったと仄聞します)を、日本がウリの思う通りの感謝をしないと言って、竹島の不法占拠のための費用に回したというのは有名な話です 。
続く「人種と国籍に関係なく、すべての人間の尊厳性と幸せのために努力するのは天命だ。戦争中に負傷があればたとえ敵軍であっても治療をするのが、我々が追求すべき人道主義の精神だ。敵軍にもそうするのなら、当然、隣国の国民の不幸は抱き込んで助けなければいけない」には、失笑を禁じえませんでした。
韓国人は安全で快適な場所にいる時にこういうことを言わせるとまことに天下一品と言うか、実に模範的なことを言うのですが、彼らが朝鮮戦争の時、あるいはベトナム戦争の時にどうだったか、この記事を書いたのが誰か知りませんが、仮にも韓国を代表する言論紙を自負する中央日報の社説を書く地位にある記者ならば、調べてみれば良いのです。
彼らは、平時でも「人道主義」を実践することは稀です。例えば韓国では、「報復運転」というのが問題になっております。自動車で走行中、他の車が自分の気に入らない運転をしたと感じたら、報復としてその車に恐怖を与えるような運転をするのです。日本でもたまにそういう人はいますが、韓国ではそれが社会問題になるレベルなのです。
それが有事の際ならどうなるかは、それこそ過去の記録を紐解けば幾らでも事例が出てきます。朝鮮戦争やベトナム戦争の時だけではなく、それよりずっと前の日中戦争の折にもそうだったらしく、中国人が「酷いことをする日本兵はだいたい朝鮮人だった」というような証言をしていたのを読んだことがあります。
その上「友人は選択できても隣人は選べない。いくら我々が拒否しようとしても、日本は共に生きていかなければいけない永遠の隣国だ。さらに周辺国のうち我々と最も似た価値と体制を共有している。それだけお互い助け合うことが多いということだ」と来ると、うんざりを通り越して憤りすら覚えます。
鮮于鉦のコラムも、脳内だだ漏れてるぞと突っ込みたくなりました。そもそもこの男は、5年前の東日本大震災の折に「非常時には、パニックを起こせ」と主張した御仁です。
それが「あってはならないことがあった時、人は怒り、絶叫する。地震はそうした次元をはるかに超えるものだ。怒ったところでどうにもならなければ、我慢するしかないということだろうか」「号泣し、絶叫し、デモをし、断食闘争をするのではなく、忍耐して研究するのが日本のやり方なのだ」などとわかったようなことを書いているのには、呆れ果てました。
これらの言論紙による記事を見るにつけ、本当に韓国とは相容れないということを痛感します。同時に、韓国人が嘯く耳触りの良いお為ごかしにまんまと引っかかる日本人も、以前と比べればずいぶん減ったとは思いますが、それでもまだまだ少なくないだろうなと思います。人の好い日本人は、韓国が日本に悪意を抱いているということをなかなか認めたがらないのでしょう。
鮮于鉦が書いたように、日本は「火の玉の上に浮いている」のかもしれません。「列島を飲み込む大地震や富士山大爆発が今すぐ起きても不思議ではない」のも、決して否定はしません(ま、これは韓国人の極めて一般的な願望でもあるのですがw)。
しかし自然災害に関しては、日本は多くの経験と教訓を持っております。震度5の地震が起きても都市機能がストップしない国は、日本以外にそうたくさんはないでしょう。この日本人の自然災害に対する知識と理解を、何とか韓国という災厄に対しても応用出来るようにならないものかと歯痒い思いをしております。
それでも一昔前と比べればずいぶん日本人の対韓意識も変わってきました。それをよすがに、倦まず弛まず韓国に関する理解を広めていきたいと思う次第です。
■日本が韓国に払っているODA
韓国市外電話拡張事業?1967-07-11 3.60億円
韓国大田市上水道事業1967-07-11 5.90億円
韓国産業機械工場拡張事業1967-07-31 10.80億円
韓国昭陽江ダム建設事業1967-08-07 3.96億円
韓国高速道路建設事業1969-04-14 18.00億円
韓国農水産振興事業1969-06-19 8.92億円
韓国嶺東火力発電所建設事業?1969-09-01 6.41億円
韓国浦項総合製鉄所拡充事業?1974-05-22 127.88億円
韓国大清多目的ダム建設事業?1974-12-26 118.80億円
韓国都市下水処理施設建設事業 1980-01-18 50.00億円 建設部,大邱市,大田市,全州市
韓国教育施設(基礎科学分野)拡充事業?1981-02-27 60.00億円
韓国民間地域病院医療装備拡充事業 ?1981-02-27 130.00億円
韓国医療装備拡充事業(ソウル大学小児病院)1983-10-11 54.00億円
韓国下水処理場建設事業(ソウル炭川)?1983-10-11 115.00億円
韓国医療施設拡充事業?1985-12-20 123.00億円
韓国下水処理場建設事業(釜山長林)?1985-12-20 92.60億円
韓国下水処理場建設事業(光州)?1985-12-20 75.60億円
韓国下水処理場建設事業(春川) ?1985-12-20 32.80億円
韓国商品借款?1974-05-13 77.00億円 大韓民国政府
韓国浦項総合製鉄所拡充事業?1974-05-22 127.88億円
韓国大清多目的ダム建設事業?1974-12-26 118.80億円
韓国国公立医療及び保健研究機関近代化事業 ?1980-01-18 40.00億円
韓国都市下水処理施設建設事業 1980-01-18 50.00億円 建設部,大邱市,大田市,全州市
韓国教育施設(基礎科学分野)拡充事業?1981-02-27 60.00億円
韓国民間地域病院医療装備拡充事業 ?1981-02-27 130.00億円
国陜川多目的ダム建設事業?1983-10-11 204.00億円
韓国ソウル上水道施設近代化事業?1984-08-08 29.00億円
韓国下水処理場建設事業(ソウル中浪)?1984-08-08 167.00億円
韓国下水処理場建設事業(釜山)?1984-08-08 63.00億円
韓国気象関連設備近代化事業?1984-08-08 42.00億円
韓国国立保健院安全性研究センター事業?1984-08-08 24.00億円
韓国住岩多目的ダム建設事業?1984-08-08 111.00億円
韓国大田市上水道拡張事業社会的サービス?1984-08-08 22.00億円
韓国都市廃棄物処理施設建設事業1984-08-08 4.00億円大邱市、城南市
韓国農業水産試験研究設備近代化事業?1984-08-08 33.00億円
韓国医療施設拡充事業?1985-12-20 123.00億円
韓国教育施設拡充事業?1985-12-20 152.00億円
韓国総合海洋調査船建造事業?1985-12-20 41.00億円
韓国教育施設拡充事業?1987-08-18 129.11億円 文教部,国立科学館
韓国中小企業近代化事業?1987-08-18 77.50億円
韓国農業機械化事業?1987-08-18 77.50億円 全国農業協同組合中央会
韓国下水処理場建設事業(済州・清州)?1988-06-22 41.59億円
韓国教育施設拡充事業 ? 1988-06-22 5920億円
韓国研究所施設拡充事業 1988-06-22 26.79億円 韓国遺伝工学,機械,電子通信,化学研究所
韓国私立大付属病院施設拡充事業 1988-06-22 56.24億円 梨ヤ女子大学,中央大学,漢陽大学,高麗大学,東亜大学
韓国医療装備拡充事業(ソウル大学校病院)?1990-10-31 43.20億円
韓国水産・商船学校練習船装備拡充事業? 1990-10-31 21.60億円
韓国中小企業近代化事業 ?1990-10-31 115.20億円
韓国肉加工施設拡充事業 ?1990-10-31 17.28億円 畜産業協同組合中央会
韓国配合飼料工場建設事業 1990-10-31 54.14億円 畜産業協同組合中央会
韓国酪農施設改善事業 ?1990-10-31 24.48億円 畜産業協同組合中央会
【日本が朝鮮半島にした恐ろしいこと】
日本は恐ろしい国じゃ!!
★36年の日本帝国主義支配のせいで
★朝鮮半島の人口が2倍に増えて
★24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて
★人口の30%を占めていた奴隷が開放されて
★幼児売春や幼児売買が禁止されて
★家父長制が制限されて
★家畜扱いだった朝鮮女性に名前が付けられるようになって
★度量衡が統一されて
★8つあった言語が統合され、標準朝鮮語がつくられて
★朝鮮語教育のための教科書・教材が大量に作成され、持ち込まれて
★5200校以上の小学校がつくられて
★師範学校や高等学校が、あわせて1000以上つくられて
★239万人が就学して、識字率が4%から61%に上がって
★大学が造られて、病院が造られて
★カルト呪術医療が禁止されて
★上下水道が整備されて
★泥水すすって下水道垂れ流しの生活ができなくなって
★日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだのに
★朝鮮人は終戦間近の1年しか徴兵されず、内地の勤労動員だけで済まされていて
★志願兵の朝鮮人が戦死したら、日本人と同じく英霊として祀られてしまって
★100キロだった鉄道が6000キロも敷かれて
★港が造られて、電気が引かれて
★会社が作られるようになって、物々交換から貨幣経済に転換して
★二階建て以上の家屋が造られるようになって
★入浴するように指導されて
★禿げ山に6億本もの樹木が植林されて、ため池がつくられて
★今あるため池の半分もいまだに日本製で
★道路や川や橋が整備されて
★耕作地を2倍にされて
★近代的な農業を教えられたせいで、1反辺りの収穫量が3倍になってしまって
風習とはいえ、乳を出して生活するのがとても恥ずかしくなってしまって
気がついたらいつの間にか近代国家になっていた。
日韓併合時のインフラ整備の総額
60兆から80兆(多過ぎて換算出来ない?)
日本国民の血税が投入されています。
5分で分かる日韓併合リンク
月見櫓さん
日韓併合の真実さん
韓国ODA資料より
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現地まで行けない方も多いと思います。
私も少ないこずかいで、
くまモンのイチゴを娘に買って帰ります。
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おまえの血は何色だ?
おまえの血は何色だ?
【地震】「邪魔な報道陣のせいで自衛隊が…」「レッテル貼りが…」
被災者がマスコミのヒドさを暴露
熊本地震を受けて、多くの報道陣が現地に押し寄せたが、それが様々なトラブルを引き起こしている。
ネット上で問題視されているのは、「関西テレビの中継車がガソリンスタンドで行列を無視して横入りした件」「NHKが取材を嫌がるそぶりを見せた被災者にカメラとマイクを突きつけた件」「日本テレビが深夜の避難所で強烈な照明をつけてレポートを行った件」「慌しい避難所から中継を行ったTBSのクルーが生中継中に被災者に『邪魔だ』と注意された件」「日本テレビ『ミヤネ屋』のレポーターが焼き芋製造の車の後部ドアで雨宿りしていた女児2人をどかせて焼き芋を作っている男性にインタビューを行った件」などだ。
このほかにも、現地で取材を行う男性アナウンサーが自身の弁当をツイッターで紹介して炎上したり、一部のマスコミが被災者につらそうな表情を作らせる、いわゆる「絵作り」を強要していたことがネット上で暴露されたりと、その問題の多さは話題に事欠かない。
今回被災した阿蘇地域に住む男性も「たしかにヘリの音はうるさい。最初はイライラしていましたが、ずっとなので慣れてしまいました。それよりは、道端に停められた大量の報道陣の車の間を縫って自衛隊や消防の車が移動する状態のほうが大問題かなと思います」と話す。
この男性によると、阿蘇地域では元からマスコミに不信感を抱く人は多かったという。
「このあたりは阿蘇山から煙が上がるとよくテレビや新聞の人が来るんですが、周辺の自治体は火口から5キロ以上離れているので実際灰なんかまったく積もらないんです。なのに表面にほんの少しだけ積もっている土地を必死に探してはそこだけの写真や映像を撮ってニュースで使う。地元の人はみんなそれを知っているから、最初からマスコミはそんなものと思っています」
もっとも、震災報道の問題点に関しては、阪神大震災や東日本大震災でも多くの指摘がなされていた。東日本大震災で被災した岩手県に住む男性は、震災発生時はマスコミの問題を考える余裕はなかったが、数年経ってそのレッテル貼りのひどさを痛感することが増えたという。
「震災から何周年みたいな番組がひどいんです。そういう番組はよく、海沿いの何もない荒れた原っぱを映して『今はすっかり人の姿も消え、変わり果てました』などとやっています。でも、そこの地域はもともと人なんか住んでいないし、もっと言えば町の中心部だって元から人なんか出歩いていないわけです。震災に関係なく最初から過疎の問題を抱えていた地域なのに、マスコミの人たちは話の筋がぶれるからとそこに関してはほとんどスルー。とりあえず震災番組を作るうえで納得の行く映像やコメントが取れればいいということなんでしょう」
岩手県内で被災した他の男性も、同様の指摘をする。
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「実は、震災によって町が再開発されたことで仮設とはいえ、住宅や商店などが1カ所に集められて、住民の買い物や生活が格段に便利になったり、家自体の設備が良くなったりという良い側面もあるんです。ただ、これまで何度も取材に来た人にその話をしたけど、報じられることはほとんどありません。我々はあくまで、『深い傷あとに苦しみ続けなければいけない』存在のようです」
これからは、自分たちの価値観を押し付けて、傍若無人な報道を繰り返すマスコミのあり方も変わらないといけないだろう。
2016年4月14日21時26分ごろに発生した、熊本県を中心とする九州地方の地震は「平成28年熊本地震」と名付けられ、いま現在も地震が継続して発生している。多くの人たちが家を失い、避難所での生活を強いられている。庫内外から支援が届いてはいるものの、被災者たちが安堵でいる状態に至っていない。
・ヘリコプターが被災者の精神を削る
マスコミが被災者の邪魔をする騒動があったりなど、まだまだ被災者たちの苦悩の日々は続きそうだが、被災地上空を飛んでいるマスコミのヘリコプターの騒音が、被災者や支援者たちの精神と心を削っているという。うるさく、しつこく、あらゆる弊害を生んでいるというのだ。ただでさえうるさいヘリコプター、あの音が心地よいという人は少ないだろう。以下は、ヘリコプターの騒音に対する声である。
・インターネット上の声
「熊本県上益城郡益城町で被災した者です!! 放送局のヘリコプターの音で町内放送が全く聞こえません!!」
「見せ物を撮るように飛んでるヘリコプターはうるさいし邪魔にしかならないからマスゴミはそんな沢山いらないです」
「中継車邪魔だったり、ヘリコプターの音で放送とか聞こえなかったり…」
「ヘリコプターの音で助けを求めてる人の声がかき消されたり」
「今日は雨だからかヘリコプターの 音があまり聞こえなくて 少し気持ちが楽」
「このヘリコプターの音は九州新幹線の運転再開の取材か?」
「熊本に住んでる者です。ヘリコプターの音がうるさすぎて大事な連絡の放送が聞こえない」
「福岡でもヘリコプターの音がクソうるさいから熊本はもっと大変そうやな 寝ようにも寝れないやろ」
「報道のためだけにヘリコプターを飛ばすのは、ヘリコプターの音のせいで救助を求める声が届かなくなる」
「取材などでのヘリコプターの使用は、災害無線などの放送中は控えるか移動して下さい」
「ほぼ24時間ヘリコプターの音が聞こえてたんだよ……それで誰か助かった人いたのかな」
「放送局のヘリコプターの音で町内放送が全く聞こえません!!!! ヘリコプターの自粛を!!」
・助かる命が助からなかった可能性
そんななか、「在京マスコミが一切触れない阪神大震災での教訓」と題されたブログ記事(2016年1月18日掲載)が大きな注目を集めている。1995年に発生した阪神淡路大震災の際、マスコミのヘリコプターの騒音のせいで、助かる命が助からなかった可能性があるのだという。以下は、そのブログ記事からの引用である。
・ブログ記事の一部引用
「上岡龍太郎氏がマスコミに対して極めて重大な証言をしている。それは上岡龍太郎氏のご子息が発災直後に被災地に向かわれて、実際に体験した話に基づく。阪神大震災の死因で一番多かったのは、家屋倒壊による窒息・圧死である。その比率は全体の77%に及ぶ。都市直下型で特に古い木造家屋の1階部分で被害を受けると柱などが倒れてきた場合、足元ならケガで済むようなものでも上半身だと横隔膜が圧迫されて呼吸ができずに死に至るという。話を元に戻すと、上岡龍太郎氏の子息は発災直後に倒壊した家屋で声を振り絞り「誰かいませんか」と生存者の有無を尋ねて回ったそうだ。ところが既に上空では報道陣のヘリコプターが飛び回り爆音を撒き散らしており、生き埋めになって時間が経っているため、か弱い声が聞こえなかったというのだ。これは間違い無くマスコミが引き起こした二次災害である。今日はメディアはこぞって21年目を迎えた阪神大震災の報道特別番組をやったようだが、どこかひとつでもこのことをとりあげたことがあっただろうか? これはマスコミが今一度猛省し、検証しなけらばならない問題だと思う。緊急時の報道が行うべき対応をそれこそNHKなどが率先するなりして、すぐにでもマニュアル作りをしてもらいたい」(引用ここまで)
・発見されないまま命の灯が消える
家屋が潰れ、肺を圧迫された状態では大声が出せないケースがあるとのこと。懸命に「か弱い声」を出してもヘリコプターの騒音によりかき消され、発見されないまま命の灯が消える。そんなケースが多々あったのではないかと、体験談をもとに推測されている。
・反省したようすはなかった
ブログ記事には「マスコミが今一度猛省し、検証しなけらばならない問題」と書かれているが、その後に発生した熊本地震では、反省したようすはなかったようだ。また、実際に震災を経験した Twitterユーザーの McLOVINさんは、以下のようにマスコミのヘリコプターに対してコメントしている。
・震災経験者の書き込み
「震災経験者として一言。震災発生時のマスコミには本当に殺意を覚える。地上での取材ももちろん邪魔だが、ヘリコプターの音が倒壊した家の下敷きになった人たちの声をかき消してしまう。本当に殴りたいと何度も思った。本当に殴っている人を見て、人生でただ一度だけ殴っている人を止めるのを躊躇した」
・人命のため自粛してほしいという声
もちろん、被災地周辺を飛んでいるヘリコプターはマスコミだけとは限らない。自衛隊、ドクターヘリ、民間ヘリ、さまざまなヘリコプターが飛んでいるだろう。しかし、マスコミのヘリコプターは「絶対に必要なものではない」ということを考えると、人命のため自粛してほしいという声があがるのは当然のこと。
自衛隊のヘリコプターにカメラを設置して映像提供してもらうなど、「マスコミヘリを減らす努力」は可能なのではないだろうか。ちなみに今回の熊本地震では、「避難所で被災者に怒鳴られる騒動」や「避難所の子供をどかして取材」など、マスコミ関係のトラブルが多発している。
この輩たちは、日本人なのか?
トカナさん
バズプラスニュースさんより
画像は追加しています。
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OYAJI
OYAJI
全国の父親へ〜人生後悔しないで生きる大事なこと〜
(*この記事は夫・父親としての立場で書かれたものです。)
子供の性格も千差万別ですので、人によっては手がかからないと言う人もいれば、世界で最も手のかかる子供では!?と思うくらい大変な子育てをしている親も多いと思います。
子育てを奥さん任せにし過ぎて、だんだん “妻と微妙な距離” を感じている人もいるのではないでしょうか。奥さんが育児ストレスを一人で抱えちゃってる訳ですからね。
『三つ子の魂百まで』と昔から言われているように、特に3歳までに親がどこまで子供に愛情を注いでいるかによって子供の性格、人格形成に大きな影響を与えると言われています。
今では父親の育児参加も増えてきていると言われていますが、過去記事でも取り上げましたが、父親が子供に与える影響は計り知れなく、性格形成に関わる研究結果もあります。
後悔しないためにも父親の重要性を再認識したいですね。実際のところ、いまの日本の父親はどれくらい育児に参加しているのでしょうか?ここに興味深いデータがあります。
↑これは全国の都道府県で育児参加率を調査した結果(ワースト5)です。(詳しくはコチラ)
最も育児参加率が低いのは福島県と大阪府で20.70%です。逆に最も高い県が徳島県で37.25%。しかし正直、この差は五十歩百歩ですよね。父親の育児参加率の全国平均は27.30%です。つまり勤労父親の4人に3人は育児に参加していないということになります。
では、実際、何で育児に参加しないんでしょうか。
↑こちらはなぜ育児、家事に参加しないのかの調査結果です。(詳しくはコチラ)
今の日本の社会をみていれば至極当然ですが、やはり一番多い要因は、「帰宅時間が遅くて時間がない」という答えです。まあ、残業や夜の付き合いというのが大半ではないでしょうかね。
しかし、この行動は、子供の日々の成長を見ることなく、また将来に重要な影響を与える時期に父親としての役割を十分に果たすことができていないということですよね。そして更に!妻との関係も悪化する原因に。。
↓ が、「妻が言えぬ夫への不満」のアンケート調査結果Top3です(ママテナ調べ:共働き549世帯アンケート調査)
1位 家事分担への偏りについての不満 59.2%
2位 相手の性格に関する不満 50.4%
3位 育児分担に関する不満 48.7%
遅くまで働き(飲みあるき?)、結果、妻の不満から距離感ができてくる上に、家事や育児の不参加で家族の時間を棒にふってしまっているライフスタイルなんですね。妻との関係が悪いので早く帰れる日も家に帰らずに飲みに行く、なんて話も聞きますから、完全に悪循環に陥ってますね。
あなたにとって後悔しない生き方とは?
オーストラリア人の看護師、ボニー・ウェアによる著書「Your Year for Change」によると、彼女(著者)が看護師として死ぬ間際の患者たちから聞いたもっとも後悔することについて記されています。その中の1つにこのような後悔があるのだそうです。
もっと家庭を省みるべきだった ?
著者が看取った患者のほとんどがした後悔だったそうです。子供たちの成長や妻の愛情に向き合わなかった自信の人生を悔いる人がどれだけ多いかということです。
また、1000人を超える末期患者と正面から向き合い、その死を見届けた緩和医療専門医の大津秀一氏が、それぞれの患者が吐露した“後悔”を25に集約した著書「死ぬ時に後悔すること25」でも
子供を育てなかったこと
愛する人にありがとうと伝えなかったこと
と悔いるそうです。結局、家庭と向き合う時間を削って人生の大半を仕事に費やして、死ぬ間際に家族の大切さに気がつく人が多いのですね。ちなみに健康を気遣わなかったことに後悔する人が多いことも分かっています。
全国のお父さん!この後悔は、今一度自分の人生を見直し、子供や妻とどう向き合うかを改めて考えるヒントになるのではないでしょうか。今からでも遅くありません!
父親の存在を侮るなかれ!父親不在の子供に起きる驚きの結果とは?
1960年代のアメリカでは父親がいない家庭で育った子供は僅か10%でした。それが、いまでは40%にまでなっています。5人に2人は母子家庭…結構多いですよね。
統計によると母子家庭で育った子供は犯罪率が高いそうです。その背景には貧困の理由が見え隠れしているようですが、実は、父親が母親とは違う存在により、子供の成長に多大な影響を与えているということが分かってきました。
しかし前回記事であるように、父親の育児参加率の低さが、子供へのたくさんのメリット享受や機会を逸していることが多くわかる結果とも言えそうです。
こんなにも子供の成長に影響する父親の存在
父親の存在が子供の成績に大きな影響!
アメリカ教育省の2001年の調べで父親が学校により多く関わっていた生徒の43%はAスコアを取ったそうです。逆に父親不在家庭の生徒は、父親のいる生徒よりも2倍留年が多かったそうです。
また、男の子の多くは読書が嫌いですが、父親が読書を楽しく読むサポートをした生徒は、全く父親のサポートなしの生徒と比べてスコアがよいことが報告されています。
父親不在の子供は少年犯罪率が高い!
これは、残念というか一概に信じたくないデータですが、、2002年に米国7,000人の囚人の調査をしたところ、39%の犯罪者は父親のいない家庭で育ったそうです。また、同様の調査を14,000人の女性囚人にしたところ、半数以上がシングルマザー家庭で育ったことが分かりました。
どうやら父親不在の子供は所得の格差に関係なく高い確率で犯罪を起こすということのようです。
これはアメリカのデータだからなー、と思い日本のデータを調べてみたところ驚くことにこの相関関係は日本でもデータで実証されていました。
(国立保険医療科学院情報センター調べ)
↑ こちらは、平成14年〜15年データと古いですが、母子家庭と父子家庭の少年犯罪の統計です。確かに母子家庭の14〜19歳の少年犯罪は父子家庭の2〜4倍になっていますね。
父親不在の家庭だと子供の飲酒、喫煙率が高くなる!
米国228人のシングルマザー家庭の少年を調査したところ、両親のいる家庭の子と比べて飲酒、喫煙率が高く、また、非行で攻撃的な感情になりやすいことがレポートされています。
また、米国とニュージーランドの調査では、父親不在家庭のティーンネイジャーは、早期での性行為に走りやすく、普通の子より2倍多く、妊娠は7倍の多さにのぼるそうです。
子供の健康や笑顔の数は父親の存在が関係している!
父親不在の子供は、肥満になるリスクが高いだけでなく、過体重による健康リスクがあり、注意が必要のようです。別の調査では、父親の体型や健康数値と子供の活動とは相関関係があることがわかっています。
また、父親は母親よりも子供とバカ騒ぎする傾向がありますが、科学的には子供にとって良いことなんだそうです。父親とのバカ騒ぎは、子供は打たれ強く、聡明でモラルがある社会性を持つ人間につながるそうです。
以上、まだまだ他にも父親の存在が子供に与えるプラスの影響は大きいようです。父親のいる家庭で育つ子供達にはプラス要素が多いみたいですから、お父さん達は育児には心して向き合わないといけませんね。
子供に一番良い影響を与える方法は!
父親が家に殆どいないお母さんや、母子家庭のお母さんもこの報告だけみると悲観しがちですが、実は子育て過程において最も重要なのはスキンシップなんです。親からのスキンシップほど子供の成長に絶大な影響を与えるものはないと言えます。
子供とのスキンシップには本当にたくさんの良い効果が生まれることが分かっています。
- 人間らしい暖かい心を持った感情豊かな人になる
- 社会性や自立性が育まれる
- 親への安心感、信頼感が生まれ、親子の距離がなくなる
- 中高生になっても親との関係が良好のままになる
- オキシトシンという愛情ホルモンが出て人生に幸せを感じる
などなど効果は思っている以上にバツグンです。
お父さんもただ子供といれば良い効果がある、なんてことはありませんよ。お父さんもお母さんも暖かい心で我が子を抱きしめて、たくさんの幸せをあげましょうね!
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