ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

俺の値打ち


100円ショップの安物を見て自分がそうなっていないか考える


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ある技術を習得しても、その技術を知っている人間が大量に生まれたら、その技術は価値がなくなり、買い叩かれ、やがて賃金低下に見舞われる。

1980年代はパソコン操作に習熟しているというのは「すごいこと」だったと言われている。この状況はマイクロソフト社の「ウィンドウズ95」が発売されるまで続いた。

しかし、それ以降は誰もがパソコンを使えるようになったので、パソコンを知っているくらいでは価値がなくなった。パソコンが使えるというのは常識になっていったからである。

また、1990年代まではエクセル・ワードができればそれなりに仕事があったと言われているが、やはり2000年代以降はエクセル・ワードができたところでは価値がなくなった。

もう誰もが常識として使うようになっているので、そんなことは何の売りにもならなくなった。



2000年代前半まではウェブ・デザインの知識を持っている人間は稀少だったので、それだけで食べていけたデザイナーは多かった。ところが、誰もがこの分野に参入した結果、もはやウェブ・デザインだけでは食べていけない時代になった。

誰もが殺到する分野では、裏の裏まで知っているような専門家にでもならない限り、それで食べていくというのは至難の業になってしまう。


供給が増えれば陳腐化して価値がなくなる


これは、資格にも言える。ある資格を取得しても、誰もがその資格を持っているのであれば、その資格は価値がなくなり、何の役にも立たなくなる。

弁護士も、公認会計士も、税理士も、それが「食いっぱぐれがない」資格であると言われるようになって、誰もがそこに殺到した。これによって供給が過剰になって、「食べていけない」人が続出するようになった。

特に税理士の仕事は、技術の進化でコンピュータが仕事内容を肩代わりできるようになった結果、仕事が激減してしまい、安売り競争に巻き込まれ、どんどん苦境に堕ちるようになってしまっている。

つまり、「溢れるほど大量にあるもの」に関わると、その時点で将来がなくなる。自分の保持している技術や資格が陳腐化してしまうのだから当然だ。



大量に供給されるものは、やがて価値が消えていく。

大量に収穫された野菜はあまりに激安になるので農家は市場に出さないで廃棄する。大量生産品はやがて100円で供給されるようになる。誰でもできる仕事はやがて最低賃金になる。誰もが持っている資格は、やがて価値が陳腐化する。

陳腐化すれば、やがて価格競争になって「安物」になる。技術や資格でも、状況はまったく同じで、「供給が増えれば陳腐化して価値がなくなる」のである。

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本当のことを言えば、誰もがそれを知っている。100円ショップに行けば、大量にできるようなものはやがて安物になるというのを買い物をしながら学ぶはずだ。

それなのに、なぜ人は「陳腐化する技術・資格・仕事」にわざわざ関わってしまうのか。

もっと分かりやすく言えば、なぜ「他人と同じこと」をして自分自身を陳腐化させてしまうのか。

陳腐化は安物化する。陳腐化は低賃金化する

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それは、人は社会的な動物だからだ。

社会的であるということは、社会に協調して生きているということでもある。自分が社会に協調することによって、社会に受け入れてもらっている。だから、人は往々にして、社会的な常識や流行や熱狂に巻き込まれて行く。

社会がひとつの方向に向かって走り出すと、多くの人がそれに追随する。誰もがやっていると、他人と同じことをやると安心できる。人間は無意識にそのような心理になる。

多くの人が「他人と同じことをする」という心理に巻き込まれていく。それを見ている人は、「バスに乗り遅れるな」という心境に陥ってしまう。

「みんなやっている、みんな乗っている、みんな熱狂している」ときに、自分だけ醒めた目で見つめることができる人は、そうザラにいない。

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しかし、熱狂を生み出されてそこに飛び込むと、それこそが「溢れるほど大量にあるもの」の中に自分から飛び込んでいくことになってしまう。

大量のあるものでも、他人と突き抜けるほどの技術や知識があればまた話は違ってくる。

しかし、自分がやっていることが、すぐに他の誰かが代用できるようなものであれば、それはすでに仕事自体が陳腐化しているということなので、やがては給料がどんどん切り下げられてしまう。

陳腐化は安物化する。陳腐化は低賃金化する。だから、誰でもできる仕事、誰もがやっている仕事は、どんどん最低賃金に近くなっていき、ワーキングプアになってしまうのである。

それを打開するために何か資格を取って陳腐化を避けようと思っても、その資格を取る人間が多すぎて供給過多になっていたら、やはりそこでも陳腐化が発生する。

他人と同じことをしているというのは心地が良い


無意識に流されて生きていると、どうしても他人と同じになってしまって、自分自身が陳腐化してしまう。自分が陳腐化したことに気付かないで陳腐化した世界にいたら、やがて首が絞まっていくことになる。

大量にあるものは、やがて価格が100円に収斂していったのと同じく、他人とまったく同じことをしていたら、自分自身が100円ショップの商品と同じように陳腐化してしまう。

他人と同じことをしているというのは心地が良い。何も考えなくてもいいからだ。「考えなくてもいい」というのは楽ができるということである。

今まで、日本人の誰もがサラリーマンになっていたというのは、サラリーマンでいたら定年まで面倒を見てくれたから、生き方を模索しなくても良かったからだ。

それは、自動的に「安楽な暮らしができる」職業だったのである。だから、誰もがサラリーマンになりたがった。

その結果、日本人の8割はサラリーマンになるような時代が到来した。

現在、サラリーマンで食べていけない人が続出するようになっているのだが、それは、サラリーマンという職業そのものがすでに陳腐化しているからでもある。

企業は今後、雇用を排除するイノベーションを加速させる。人工知能の普及、ロボット化、人間だけでなく「モノ」までインターネットにつながる。

そのため、サラリーマンの仕事はどんどん消える。サラリーマンという職業は陳腐化し、時代遅れになり、食べていけない職業の代表になっていくのである。

そのため、これからは自分自身が世の中から見たら陳腐化しているのではないかと意識し、そこから脱する努力をしないと生活できなくなってしまう。

自分が「溢れるほどたくさんあるもの」のひとつにならないために、目を覚まさなければならない。自分自身が陳腐化するというのは、危険なことである。

100円ショップの安物を見て、自分の生き方がそうなっていないか考えるのは無駄なことではない。

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これからは自分自身が世の中から見たら陳腐化しているのではないかと意識し、そこから脱する努力をしないと生活できなくなる。


DUAさんより