ポンタの想い出

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私の心


「繊細な心」は今後の世の中を生きる上で致命傷になるのか



2016年3月11日、プログレッシブ・ロックのバンドとして知られているELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)のキーボード奏者キース・エマーソンが拳銃自殺している。

右手に問題を抱えてかつてのように演奏できなくなってしまったということもあるのだが、それと加えてインターネットでの自分の批判を気に病んでおり、それがキース・エマーソンを追い詰めた可能性もあるという。

キース・エマーソンと共に暮らしていた女性は、このように語っていたという。

「彼は繊細な心の持ち主でした」

欧米ではインターネットで誰かを批判する行為をトロールと呼ぶが、このトロールによって精神的に追い込まれて鬱病になったり、自殺したりする人が増えている。

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2014年には元モデルだったオーストラリアの女性シャーロット・ドーソンの自殺も話題になった。彼女もインターネットで激しい罵倒・中傷の渦に巻き込まれていた。彼女をよく知る人は彼女を評してこのように言っていた。

「突拍子もないことをしたり、遠慮なくものを言うところがある一方で、非常に繊細な一面を持ち合わせている人でした」

「繊細な心」を持った人が、次第に追い詰められる

この世には、批判されても中傷されても罵倒されても袋叩きにされても、まったく何の痛痒も感じないばかりか、むしろ他人の中傷・罵倒すらもエネルギーにして燃え上がっていく人間もいる。

多くの政治家や芸能人の中には、そのような図太い神経を持っている人間が多い。

最近では全世界から叩かれても平然としている男としてドナルド・トランプ大統領候補が知られるようになった。

ドナルド・トランプの攻撃的な言動は反撥と憎悪を呼びやすい。だから、罵詈雑言を受けても自業自得という面もある。

しかしそれにしても、容姿から人格から政策まで、ほぼすべてに渡って凄まじい批判と中傷のネガティブ攻撃を受けても、気にしないでいられるというのは尋常ではない神経だ。

企業家の中にも、やはり激しい罵詈雑言を浴びてもまったく意に介さない人間がいて、たとえばスティーブ・ジョブズなどはその典型だった。

どんなに批判を受けようとも我を貫き通して、逆に自分を批判する人間を痛罵し、平気で切り捨てるような荒々しい性格だった。

しかし、誰もがドナルド・トランプスティーブ・ジョブズのような、批判を物の数とも思わないような性格を持ち合わせているわけではない。

多くの人は人格を傷つけるような誹謗中傷にさらされると、それを気に病み、恐れ、傷つき、落ち込む。それは「弱い」のではない。むしろ、それが当たり前なのである。

そんな中で、特に「繊細な心」を持った感受性の強い人たちは、激しい批判が続くと心が萎縮し、次第に精神のバランスを崩してしまうことになる。

そして最悪の場合、キース・エマーソンや、シャーロット・ドーソンのように追い込まれて自殺してしまう。

人間の憎悪を止める方法は、発見されていない

繊細な心を持った人たちは、インターネット時代になって壮絶に生きにくい時代に入っている。

インターネットの世界では、顔の見えない相手から突然、何の前触れもなく凄まじい批判が飛んでくる。そして、その批判と罵詈雑言は永久に記録されてそこに残る。

そのため、インターネットの中傷が原因で精神のバランスを崩したり、鬱病になったり、自殺したりする人たちが増えている。批判にさらされやすい有名人だけでなく、ごく普通の人たちでさえもそうなのだ。

成人であっても誹謗中傷に耐えるのは覚悟がいる。しかし、インターネットは成人だけのものではない。今や子供たちの間でもインターネットでのいじめが蔓延している。

インターネットは人々のコミュニケーションを円滑にする道具なのだが、それと同時に悪意と憎悪を相手に届ける道具でもあるのだ。

もはや、繊細な人たちが生きる場所は存在しないと思えるほど荒廃した社会になってしまっている。この荒廃はもっと加速していく。さらに深刻化する。誰もが巻き込まれ、他人事ではなくなり、恐ろしいことになる。

知らなければならないのは、いかに罵詈雑言や中傷罵倒が規制されたとしても、それでインターネットが牧歌的になることは絶対にないということだ。

人間の憎悪を止める方法は、発見されていない。

それは自分の身の回りの人間関係を見れば分かる。リアルの世界でも人間関係の対立やもつれや決裂があるのだから、インターネットでもそれが持ち込まれて当然なのである。

人間は誰でも闇を抱えており、それはインターネットという空間にも充満する。そして、目を背けたくなる一歩手前まで状況は悪化していくことになる。

その向かう先は、殺伐とした暴力しかない

インターネットが深刻なのは、中傷や罵倒がいつまでも残って当事者を傷つけ続けるということだ。言葉の暴力が延々とリピートされる。

規制の意味を為さない。規制をすり抜けて、どんどん巧妙になって言葉の暴力と憎悪は浸透していく。それが激しい勢いで個人に向かっていき、その人が破壊されるまで続く。

だから現代社会で最も深刻な危機にあるのは「繊細な心の持ち主」なのである。

今後は、素直で優しく感受性が強く敏感でナイーブな性格の人間が生きられないような世の中になる。

こうした人たちは実は人間社会で最も重要な人たちである。彼らは社会に潤いと優しさと慈しみを与えてくれる。彼らは愛を表現することができる。

繊細であるが故に、その繊細な機敏を文学や音楽や絵画によって私たちに気付きを与えてくれる。その繊細さが、私たちに思いやりの重要さを教えてくれる。

美しい文化は、繊細な人たちの偉業で成し遂げられている。

ところが現代社会は、繊細な心の持ち主が生きていけないほどの罵詈雑言と誹謗中傷と叩き合いが蔓延するようになっている。そして、そうした叩き合いに耐性がついた人間が君臨していく世の中になった。

叩き合いに耐性がついた人間というのは、自分が叩かれるのも平気だし、他人を叩きのめすのも平気だ。全世界でこうした人間たちが台頭し、言葉の暴力が吹き荒れ、突き刺さる危険な世の中になっていく。

これは誰にとっても他人事ではない。暴力に満ち溢れた社会では、誰もが暴力と対峙しなければならない日がくる。「繊細な心」は今後の世の中を生きる上で致命傷になってしまうのだろうか……。



キース・エマーソン。2016年3月11日に自殺した。右手に問題を抱えてかつてのように演奏できなくなってしまったということもあるのだが、それと加えてインターネットでの自分の批判を気に病んでおり、それがキース・エマーソンを追い詰めた可能性もあるという。


DUAさんより


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