ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

転落の果て



いったん成功した人でも、凋落・破滅するのはあっと言う間



覚醒剤で逮捕された清原和博氏は、覚醒剤以外にも暴力団との関わりがあることも発覚しているので、今後は表社会での活躍は一切できないことになる。

さらに、清原和博氏は銀座のバーで豪遊する生活に明け暮れて、現役時代に稼いだ金もすべて失っている。しかし、昨年分の税金はかかってくるわけで、保釈されたら自己破産は秒読みだとも言われている。

時代の寵児であっても、道を踏み外すと坂道を転がり落ちるように、どこまでも転落していく。



いったん成功した人でも、凋落するのはあっと言う間だというのは、私自身は東南アジアの歓楽街を通じて20代のうちにさんざん見てきていた。

気前良く、太っ腹で、金をばらまくように遊んでいた男が、数年後は薄汚れた服を着てとぼとぼと歩いている姿も見ている。

パッポンの場末のバーで、私が日本人であることを確認した上で「少し金を貸してくれないか」と頼んできた男もいた。

話を聞いてみると、自称「一流商社の役員」だったが、タイの女性にハマって抜けられず、すっかり落ちぶれて20代の見知らぬ私に金を無心する人生におちぶれていた。


好き勝手なことをして破滅したんだから自業自得だ


カオサン地区でも「一流企業に勤めていたけれども、旅がしたいから辞めた」という人にも会った。この人も金がなくて、それでも日本に戻りたくないとタイにオーバーステイ(不法滞在)して、金がないことを愚痴るだけの人生になっていた。

「金を貸してくれ」「金がなくなった」「すぐに返すから」と私は売春地帯でいったい何人に言われただろうか。現地の女性からではない。同じ旅人からそう言われるのだ。

少し口を聞いただけの人からも、ただ単に道ばたですれ違おうとした人からも、「金を貸してくれ」と唐突に言われることも珍しくない。

パタヤでも金に困った白人(ファラン)がうようよしており、出会い頭に「南アフリカから来たんだが、金を貸してくれ」と懇願の目で言われたこともある。



歓楽街で破滅に至る男は、それこそ山のようにいる。書籍『ブラックアジア第二部パタヤ編』でも、破滅していく男たちのことに触れたし、このサイトでも歓楽街で破滅していく男たちの姿は何度も取り上げた。

ブラックアジアで破滅していった男のことを取り上げた内容がどれだけあるのかは、こちらを見て欲しい。これでも氷山の一角なのである。(ブラックアジア・破滅していく男たち)

清原和博氏のようにドラッグに溺れて破滅していく男や、海外の売春地帯で破滅していく男は、同情されることもなければ救済されることもない。

「後先のことも考えないで、好き勝手なことをして破滅したんだから自業自得だろう」

同情や救済どころか、嘲笑や侮蔑の目で見つめられ、中には「ざまを見ろ」とあからさまに転落した男を罵る人もいる。

順風満帆なときに道を踏み外し、快楽に溺れて破滅した人は、そのような目に遭う。自業自得で堕ちた人に対しては、世間の風はとても冷たく残酷だ。



男たちをことごとく狂わせていくタイの歓楽街。私もまたこの歓楽地にどっぷりと沈没して退廃の日々を暮らしていた。私が破滅しても「自業自得だ」と嘲笑されるだけだろう。



才能と気力に溢れていても成功するとは限らない


自分の生きてきた東南アジアの歓楽街で、このような男たちと何度も何度も遭遇して、私は「明日は我が身なのか」と震え上がりながら眠りについていた日々を今でも思い出す。

歓楽街での蕩尽は利益をもたらさない。そこでは自らの資産を食いつぶすだけなので、いくら金があっても限界を超えれば破綻する。

昼過ぎに目を覚まし、異国のホテルのベッドの上で疲れた身体を起こし、明日に対して何の保証もない一匹狼でいることの恐ろしさを噛みしめた日々は一度や二度ではない。

ただ、こんな堕落した世界とは無縁で、ビジネスの才能と気力に溢れた人が必ず成功するのかと言えば、そうとも言えないのが世の常である。

私は自分のとても近い人がバブル崩壊で億単位の資産を無にして、そのまま絶望して再起する気力すらも失ったのを目の前で見ている。

自信に満ち溢れ、気力が充実していたはずの実業家が、金策に追われるようになり、精神的に追い詰められ、膨らんで行く借金につぶれてしまう姿も見てきた。

起業する人というのは実行力も才能もあり、ポジティブに物を考える人が多い。大きな夢を抱き、自信もある。

ところが、起業の成功率はとても低いことが知られている。1年以内に40%がつぶれ、5年も経つと80%がつぶれるような凄まじく厳しい世界である。

どんなに才能があっても、どんなに気力があっても、どんなに楽天的であっても、どんなに前向きであっても、バブル崩壊や、不況の波や、事業の不運が襲いかかってくると、個人がどう足掻いてもどうしようもない。

経営者はどんなに苦しくても最後まで粘ろうとする。そのため、追い込まれたら借金に頼るようになる。しかし、利益が出せないと資金がショートして、遅かれ早かれ自己破産や任意整理に追い込まれていく。

起業家は、歓楽街でぶらぶらしている男や、ドラッグで溺れて身を持ち崩す男たちとは性質が違う。それこそ朝も夜もなく、粉骨砕身で仕事に打ち込んでいる人間である。全神経を事業に注ぎ込んでいると言ってもいい。

しかし、それでも事業が軌道に乗るかどうかなど誰にも分からないし、一時は軌道に乗っても一瞬のミスで会社が傾くことがしばしばある。

いったん傾けば、彼らの背負う借金は途方もない額になることが多い。起業家の信用は土地や自宅を担保にしているのが普通なので、事業が失敗すると金も住む家も信用も、何もかも失って路頭に迷うことになる。


再び再起するにはどうしたらいいのだろうか?

世の中の大半の人たちは、歓楽街で快楽に溺れるような生活を目指さないし、起業してリスクを取る生活を目指すこともない。どこかの企業に雇われ、そこで慎ましく生きられればそれでいいと考える。

今まではそうした生き方もうまく機能していた。しかし世の中がネットワーク化し、グローバル化し、雇用を排除するイノベーションに突き進むようになってから、リストラや給料削減が繰り返されるようになった。「サラリーマン=安定」という構図が音を立てて崩れたのだ。

その結果、「いったいどうやって生きればいいのか?」と、誰もがそのように自問自答し、試行錯誤する不安な社会に突入したのである。

今となっては信じられないかもしれないが、かつて日本人は東南アジアの人々を「貧しい」と嘲笑い、彼らを「しっかり働かないから貧困に堕ちたのだ」と、上から目線で言っていた時代もあった。

1980年代、1990年代は、日本人全員が裕福で「日本人は時代の寵児」だったと言える。一億総中流が実現し、日本人は傲慢になっていった。

特に1980年代の後半のバブルの時代はひどかった。日本は世界最大の経済大国になったと浮かれ、誰もがバブルに踊るようになっていた。

1989年12月29日、日経平均株価は3万8915円87銭を付けた。それがバブルの「頂点」だったのだが、日本人は傲慢になっていたので、バブルに踊り狂って我を忘れた。この時代の日本人は、自分たちこそ時代の寵児だという陶酔があった。

しかし冒頭に書いた通り、「時代の寵児であっても、道を踏み外すと坂道を転がり落ちるように、どこまでも転落していく」のである。

いったん成功した国でも、凋落するのはあっと言う間であり、凋落したら歯止めがかからない。そんな時代背景の中で、私たち日本人は「いったいどうやって生きればいいのか?」と自問自答していることを知らなければならない。

地獄に堕ちた人が再び再起するにはどうしたらいいのだろうか。あるいは、転落した国が再び復活するにはどうしたらいいのだろうか。

堕ちた人間が再起しようと思うとき、結局は「分相応に生きる」という基本を思い出すしかない。

自制心を取り戻し、欲望をコントロールし、きちんと節約し、何もないところから黙ってコツコツと始めるところからやり直すしかない。再起と生き残りの道筋には奇策も一攫千金もない。積み重ねがあるだけだ。



ブラックアジアさんより