ポンタの想い出

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綺麗な花嫁になれ


綺麗な花嫁になれ




植村眞久海軍大尉の遺書


先日、イスラエルで行われたスギハラ・チウネ・ストリートの命名式の際、レセプション開場でとても美しい日本舞踊を拝見させていただきました。
やはり美しいものですね。
すっかり見とれてしまいました。

その日本舞踊で思い出したことがあります。
それは、植村眞久(うえむらなおひさ)海軍少尉の娘さんの靖国神社奉納の舞のことです。

植村眞久海軍少尉は、東京都出身、海軍第十三期飛行科を卒業され、昭和19年10月26日、第一神風特別攻撃隊大和隊隊員として零戦に搭乗してフィリピンセブ基地を出撃され、スリガオ海峡周辺洋上で特攻、戦死された方です。(戦死後大尉に昇進)
享年25歳です。



植村大尉は、立教大学に在学中、サッカー部の主将だったそうです。
昭和18年の学徒出陣のために9月に大学を繰上げ卒業して海軍に入隊し、第13期飛行予備学生となりました。
予備学生卒業後、三重航空隊に所属されています。
そして昭和19年9月に、休暇を許されて帰郷しました。

以下にご紹介するのは、このとき植村少尉が生後3ヶ月になる一人娘の素子さんに書き残した遺書です。
この遺書は、鶴田浩二が慰霊祭で泣きながら朗読したことがあります。
下にそのときの動画をご紹介します。




素子へ

素子は私の顔を
よく見て笑いましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、
またお風呂に入ったこともありました。

素子が大きくなって
私のことが知りたい時は、
お前のお母さん、
佳代叔母様に
私のことをよくお聞きなさい。

私の写真帳も
お前のために
家に残してあります。

素子という名前は
私がつけたのです。
素直な、心の優しい、
思いやりの深い人に
なるようにと思って、
お父様が考えたのです。

私はお前が大きくなって、
立派なお嫁さんになって、
幸せになったのを
見届けたいのですが、
もしお前が
私を見知らぬまま死んでしまっても、
けっして悲しんではなりません。

お前が大きくなって、
父に会いたいときは
九段にいらっしゃい。

そして心に深く念ずれば、
必ずお父様のお顔が
お前の心の中に浮かびますよ。

父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして
父に生き写しだし、
他の人々も
素子ちゃんをみると
真久さんにあっている様な気がすると
よく申されていた。

またお前の伯父様、叔母様は、
お前を唯一の希望にして
お前を可愛がって下さるし、
お母さんもまた、
御自分の全生涯をかけて
ただただ素子の幸福をのみ
念じて生き抜いて下さるのです。

必ず私に万一のことがあっても
親無し児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護っております。
優しくて人に可愛がられる人になって下さい。

お前が大きくなって
私のことを考え始めたときに、
この便りを読んで貰いなさい。

昭和十九年○月某日 父
植村素子へ

追伸
素子が生まれた時
おもちゃにしていた人形は、
お父さんが頂いて
自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから素子は
お父さんと一緒にいたわけです。
素子が知らずにいると困りますから
教えて上げます。

=======

セブ島に戻った植村大尉は、
二隊に分けられた大和隊のうちの一隊を指揮し、
神風特別攻撃隊大和隊、第一隊隊長として出撃されました。
目標は米国海軍T・L・スプレイグ艦隊でした。



米艦隊は他の艦隊からの補充を合わせ、
全戦闘機60機を上空に配置して、
日本機の攻撃を待ち受けました。

植村隊3機は、60機の米軍戦闘隊と遭遇し、
重たい爆弾を機体に吊り下げたまま激闘し、
敵機の猛攻と、海上からのさかんな対空砲火をかいくぐり、
米機動部隊に特攻を敢行しました。
そして敵艦隊を大破炎上させ、
特攻を成功させました。



手紙にある素子さんは、
父の母校である立教大学を昭和42年に卒業され、
その年の4月12日に、
父の手紙にあった、
「お前が大きくなって、
 父に会いたいときは九段にいらっしゃい」
という約束を果たすため、
そして靖国神社で鎮まる父の御霊に
自分の成長を報告するために、
母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、
文金高島田に振袖姿で、
6歳のころから習った日本舞踊で
「桜変奏曲」を舞い、奉納されました。

そのときの写真です。



素子さんはこのとき、
「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」
と言葉少なに語らました。

父から子へ、子から孫へ。
決して忘れたり
風化させたりしてはならない歴史が、
私たちの国にはあります。

そうそう。
ふと思ったのです。
お亡くなりになった植村大尉は、きっと素子さんの花嫁姿を見たかったろうな、って。
なのでトップの画像を、花嫁人形の写真に差し替えました。




ねずさんより
画像は追加しています。


今日 朝方に嫌なを夢見ました
娘が一人で 満員電車に乗っている
慌てて 追いかけるけど
何処にいるか 解らない
探して 探して
途方に暮れる私
ふと 後ろから娘の声
泥だらけの娘が立っていた



私には
もう成人した長男と
高校3年の次男がいますが
そんな夢は見た事がありません
なんでだろう?
いきなり娘と別れるなんて
そんな気持ちで
この記事を思い出しました
皆様 小さい子どもからは
目を離さぬ様に
日本が どうなろうと
子どもたちが生きていればいい