ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

野際陽子


野際陽子



結婚、離婚、そして去り際も突然だった野際陽子さん


 テレビ朝日系連続ドラマ「やすらぎの郷」にレギュラー出演していた女優の野際陽子さんが13日死去していたことが15日、明らかにされた。81歳だった。

 通夜、葬儀は終了していると言う。2年前に肺がんが再発し、摘出手術を受けるなど治療中だったそうだ。レギュラー出演していた「やすらぎの郷」も、今年3月16日に行われた制作発表もメインキャストでありながら欠席していた。



 野際さんは富山県富山市に生まれた。3歳から東京・杉並で育ち、立教大卒業後の58年にNHKにアナウンサーとして入局。60年から同局「おはようみなさん」の司会などで活躍したが62年にNHKを退職した。

 野際さんは大学時代に劇団に所属していたこともあって、女優として活動していくことが夢だったようだ。そういったこともあって63年にTBS系「悲(ひ)の器」で女優デビュー。その後、仏ソルボンヌ大学に留学し仏文学を学んだりしたが、帰国して女優復帰して出演したTBSの人気アクション・ドラマ「キイハンター」で一気に開花した。同ドラマは5年間放送され、最高視聴率30%を獲得。野際さんにとっての代表作となった。



 しかし、野際さんで一番印象に残っているのは…「女優・野際陽子」の前に何と言ってもアクション俳優・千葉真一との結婚・離婚かもしれない。もちろん女優としての評価は語り尽くせないが、やはり「キイハンター」と「千葉真一」は今でも、野際さんを語る上でのワードとしてはトップ項目になっているはずだ。

 もっとも、筆者にとっては〝結婚〟よりも、世代的なものなのか「電撃離婚」の方が、印象に残っているのだが…。

 2人の離婚は1994年2月7日に発表された。何だかんだと23年も前の話である。

 思い返してみれば、ハリウッドでの映画製作を夢見る千葉と、売れっ子女優となった野際は、芸能界では〝理想の夫婦〟とも言われてきたものだ。誰もが〝おしどり夫婦〟だと思っていた。



しかし、現実は違った。私生活というのは傍から見ているほど甘くはなかったようで、実際には〝すれ違い〟が「深刻だった」ようだ。

 今だから言えることではあるが、当時は〝熟年離婚〟というのが、ちょっとしたブームになろうとしていた、2人は、そういった世の中の流れに乗るかのように別れた。結婚生活22年。千葉55歳、野際さん58歳だった。典型的な〝熟年離婚〟である。



 それにしても22年間苦楽をともにし、連れ添った夫婦にも関わらず、2人の離婚決意は

 「夫婦でいる意味が希薄になった」。

 この言葉は、世の中的に「夫婦とは何か」を考えるキッカケになったとは思うが、それは逆にワイドショーにとっては格好のネタになったことは確か。ついでに言うなら、2人の離婚が引き金になって〝熟年離婚〟が増え、社会現象にもなったものである。言い方は悪いが〝熟年離婚〟の元祖だったかもしれない。



 話は前後するが、2人は「キイハンター」で共演したのがキッカケで73年、イタリアのローマで結婚した。「5年間もの熱烈恋愛だった」そうだ。

 「2人が理想の夫婦になった最大の要因は、千葉が日本体育大学出身のアクション・スターで、野際は立教大学からNHKのアナウンサーに進み、その後、女優となるという華麗な転身を図ったことでした。まさに知性派スター同士の理想的なカップルだったのです」(芸能関係者)。



 ところが、千葉が手を出していた事業がバブルで崩壊、経済的にも苦しくなったことで2人の溝が決定的に深まっていたようだ。しかも当時、千葉はアメリカで俳優活動を続け、一方の野際さんは「ずっとあなたが好きだった」や「ダブル・キッチン」(共にTBS)などのドラマに出演、その特異な母親役で人気が急上昇中だった。

 「千葉は、ハリウッドで映画製作をするために、日本よりロサンゼルスに滞在する方が多かった。日本にいる時も、映画のために京都に生活の拠点を構えた。

もはや〝別居状態〟でした。何かあっても、お互い、すれ違いで話し合いにもならない。そういったことから夫婦生活は完全に冷め切ってしまったのかもしれません」(プロダクション関係者)。

 その一方で、離婚の原因については千葉の不倫、女性問題なども囁かれた。



 千葉をよく知る映画関係者は言う。
 「どんなに記者会見でキレイなことを並べても、離婚の原因は千葉の〝金と女〟にあった。結局、野際さんが愛想を尽かしたことは間違いない」
と指摘していた。

 野際さんは1人娘・真瀬樹里(まなせ・じゅり)の将来を案じて、離婚には悩んでいたらしいが「娘の女優デビューが決まったことで離婚に踏み切った」のだと言う。

 ただ、さすがに千葉にとっては寝耳に水だったらしい。会見では、
 「彼女から、『キーハンター』の時のような友達関係に戻ってみたいと言われた」
 「映画バカと言われるぐらい夢を追いすぎ、家庭を顧みず、辛い思いをさせた」
と未練タラタラだった。どうやら苦渋の選択で了解したようだ。



 そんな千葉を野際さんは、かばうかのように、

 「同じ職業だから、彼が夢を追うのも理解できる。ただ、彼のいない、娘と2人だけの生活に慣れてしまっていたことも確か。最近、夫婦であるという感覚が薄らいでしまって…。だったら、友達に戻った方が励まし合っていけるんじゃないかと思った」。


 慰謝料に関しては、野際さんは一切、請求しないと強調し、最後まで“円満離婚”だったことをアピールしていた。

 離婚後の野際さんは、安定感のある女優として多くのドラマに出演した。

 NHKのアナウンサー時代から交流のある黒柳徹子(83)とは公私ともに交流が深く、テレビ朝日系「徹子の部屋」には女性ゲスト最多の21回出演していた。

 それにしても結婚、離婚…。そして去り際までも突然だった。






NHKでアナウンサー

大学卒業後の1958年には、
NHKにアナウンサーとして入社され、

名古屋放送局や東京放送局に、
赴任されていたのだとか。

そして、1962年にNHKを退職され、
企画を説明する係りとして、
広告代理店へ転職されています。


女優へ

広告代理店では、15分の生放送番組、
「女性専科」の司会を担当されることになり、

これが転機となり、それ以降、
女優として活動されるようになったのだそうです。

当時のプロデューサー、大山勝美さんは、
テレビドラマ「悲の器」での主人公として、
理知的で美人な教え子を探しておられましたが、
なかなか見つからず、

当時NHKの花形アナウンサーだった野際さんに、
目を留められたのだそうです。

そして、野際さんが、近々フリーになる、
といううわさを聞いて、

「芝居やってみませんか」

と誘うと、

「とてもやりたいと思っている」

と、野際さんは答えられたのだそうです。

普段、人を褒めることがなかった、
主演の佐分利信さんが、
野際さんのことは褒めておられたそうなので、

いかに、野際さんが、
魅力的だったかが分かりますね!



後に、大山さんは、

NHKのアナウンサーだった野際を女優に誘ったのは僕」

と語っておられたとのこと。

野際さんの女優としての才能を、
いち早く見抜かれたのが、誇らしかったようです♪





そして、1968年、
野際さんは、テレビドラマ「キイハンター」に出演され、
視聴率30%以上を記録するという大ヒットとなりました。


野際さんは、主題歌の「非情のライセンス
も歌われているのですが、

なんと、自ら直談判して、
主題歌を歌われることになったのだそうです!



冬彦さんのお母さん

そして、1992年、
社会現象まで巻き起こした
テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」で、

野際さんは、マザコンの冬彦さん(佐野史郎さん)
の母親役を演じられ、新たに注目を浴びます。

このドラマを見られた方なら、
野際さんといえば、息子を溺愛する、
強烈な姑のイメージが、強いかもしれませんね





このドラマ、実は、もともとは、
切ないラブストーリーになるはずだったそうですが、

冬彦さんの血が出た指を吸うという、
野際さんのアドリブから、

ザコンの息子と、
過剰に息子の世話を焼く母親、
というキャラが生まれたのだそうです!

ということは、
野際さんのアドリブがなかったら、
このドラマは、普通のラブストーリーで、
終わっていたのかもしれませんね。


元旦那は?

さて、そんな野際さんの、
気になるプライベートですが、

1973年に、俳優で、アクション監督の、
千葉真一(ちば しんいち)さんと結婚されています。

お二人の出会いは、前述のテレビドラマ、
キイハンター」での共演がきっかけだったそうです。


しかし、1994年に、
お二人は離婚されています。


野際さんは、2013年、
バラエティ番組「メレンゲの気持ち」に出演された時に、

「当初から、結婚生活自体に違和感を覚えていた。
結婚前から大変な結婚になりそうだ、
という予感はあった。

離婚に向け、全てが整うまで21年かかった。
結婚してからも、夫婦というより、
仲間の延長のような感じだった。」





意地悪な役でストレス解消?!

花型アナウンサーを経て、
美人女優として活躍されていた野際さんですが、

年齢を重ねてからは、
強烈な母親役や姑役など、意地悪な役が多い印象。

野際さんは、インタビューで、


「私は若いころから、
悲劇のヒロインとか絵に描いたようないい人というのは、
あまり演じたことがなくて。

たいていの役は少し意地悪だったり、
うんと意地悪だったり(笑い)。

普段の自分なら、絶対に言わないようなことを、
平気で言ってしまう役が多いものですから、
ストレス解消になるんです。」

と、おっしゃっていました。

なるほど!
そういう風な考え方も出来るんですね~

普通なら、意地悪な人に思われたくない、
とか思いそうですが、さすがは、野際さん。

そして、演技について、


それに、どんな役でも一生懸命演じていれば、
誰かが見ていてくださるもの。

あるドラマで母親役を演じた時、
家でイチャイチャしている娘と彼氏に、
「ご飯ですよ」と声をかけるシーンがあったので、
自分なりに表情や口調を工夫して、
ちょっと笑えるように演じてみたんです。

そのたった1シーンを、
ある演出家の方がご覧になって、
「面白い女優がいるな」と思ってくださったらしく、
別のドラマに起用してくださったこともありました。

私たち女優は、オファーをいただかなくてはできない仕事ですから、
ここまで続けてこられたのは、
とても幸運なことだと思っています。




“息子”と“嫁”が、最愛の“母”を亡くした喪失感をにじませた。



 佐野はこの日、ブログで追悼コメントを発表。「野際さん…ていうか、野際ママ。第二のお母さん。四半世紀前…いや、もうちょっと前にドラマで共演させていただいてから、何本もの思い出いっぱいの作品でご一緒させていただいた」と共演した日々を振り返った。



 「ずっと-」はヒロイン(賀来)が、マザコン男(佐野)と結婚し、夫と、夫を溺愛する姑(野際)に振り回される物語。佐野と野際さんが異常な親子愛を怪演してマザコン息子「冬彦さん」ブームを巻き起こし、1992年の流行語大賞にノミネート。翌93年、3人はTBS系「誰にも言えない」で再共演した。

 共演者で食事するなど交流していた佐野は「こないだ会ったばかりな気がするのに。インテリジェンスあふれる会話から、下ネタまで、楽しかったなあ」と述懐。「つらいそぶりなんかカケラも見せず…。なんだか実感がない」とつづった。



 野際さんは今年2月放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」で、「誰にも-」で当時57歳で撮影した佐野とのキスシーン以来、異性とキスをしていないと告白。佐野は「ドラマの中とはいえ、人生で最後にキスをしたのが僕でゴメンなさい。野際陽子さん、本当にありがとうございました」としみじみ感謝した。



 賀来も所属事務所を通じてコメント。「おきれいで聡明で、いつもハツラツとされている野際さんのお姿がいつまでも心に残ります。本当にありがとうございました」と別れを惜しんだ。死しても、黄金トリオで作り上げた名作は永遠に残る。



千葉はスポニチ本紙の取材に「3年前に肺がんになったことを聞いて心配していたんです。今はそっとしてあげたい」と声を落とした。野際さんが亡くなった13日に、一人娘の真瀬樹里(42)から連絡を受けた時も「(野際さんを)見るまで信じない」と伝えたという。ずっと思い続けた憧れの人だった。しかし、この日の密葬も「もう別れているので」と参列せず、地方での仕事先でひっそりと悼んだ。

 TBSドラマ「キイハンター」での共演をきっかけに1973年に結婚。一度もケンカしたことはなく、3歳年上の野際さんを、千葉が「やんちゃ坊主を支えてくれる母のような存在だった」とエッセーで明かしたように、自他共に認めるおしどり夫婦だった。



 しかし、94年に離婚。それぞれ仕事が充実し、すれ違いの生活が続いたのが原因だった。言い出したのは野際さんで「友達関係に戻ってみたい」と千葉に伝えた。

 千葉はまさか野際さんが別れることを考えていたとは思いも寄らず、離婚会見では「私が映画バカで夢を追いすぎて家庭を顧みなかった」と言葉を絞り出すのがやっとだった。ただ“友達関係”に戻ることはなく、関係者によると「その後はほとんど会うことはなかった」という。

 それでも千葉は娘を通じて野際さんの様子を気にかけていた。特にがんが分かってからは「(がんにいいと言われる)酸素水を贈ったりしていました」と振り返った。

 21年の結婚生活には数え切れないほどの思い出があるが、言葉にしたのは酒の強さ。「とにかく大酒飲みでした。横綱と呼ばれていたから」。

 娘からは「落ち着いたら一緒に墓参りに行こう」と言われている。今後のことを考え「できれば樹里と一緒に生活しようと思っている」とも語った。



家族でいるときは、役者では無く、
普通の優しい母親の顔をされていますね



野際陽子さん
関連ニュースより
画像、リンクは追加しています


野際陽子さんwikiリンク



誰にも言えない 第10話



最近
全くテレビを見ないので
本当に驚きました
誠に残念です

「ずっとあなたが好きだった」
「誰にも言えない」

あの頃は
毎週楽しみで
テレビに釘付けでした
本当に面白いドラマでした

再放送を視ると
本当にずっと視てしましい
寝れ無くなります

忘れられない黄金トリオ
今晩はたぶん寝れません

素晴らしいドラマを
ありがとうございました

さようなら
野際陽子さん