時代を泳げ
もう今が安泰だから一生安泰という考え方は成り立たない
50年代、敗戦ですべてが塵芥に帰した日本では復興に向けて動き出していたのだが、日本ではとにかく衣食住が足りなかったので、この当時は繊維や紡績の企業が史上空前の売上を上げた。
敗戦でめちゃくちゃになり、もう駄目だと言われた日本が不死鳥のように蘇る最初の足がかりは、繊維や紡績だったのである。
そのため、誰もが繊維業界、紡績業界に勤めようと画策し、多くの優秀な大学生は繊維業界や紡績業界に入った。もし、そこに入れれば、勝ち組であった。明るい未来が待っていると誰もが考えたはずだ。
しかし、次第に東南アジアや中国から安い繊維が入ってくるようになると、業界は落ち目になり、斜陽産業になり、優秀な人材がどうあがいても盛り返すことができなくなった。
そして、リストラ、給料減が立て続けに行われ、1960年の終わりには一進一退を繰り返しながら斜陽から立ち直ることができず、長い不況の中に落ちていった。
誰もが憧れる業界に入ってそこで働ければ一生安泰なのかと言えば、まったくそうではなかったし、むしろ憧れていた時期が頂点の可能性も高い。
安泰だと思っていた企業は安泰ではなかった
1980年代のバブル期は、誰もが金融業界と不動産業界に入りたがった。なぜなら、金融業界と不動産業界が空前絶後の売上を上げていたからだ。
そのため、やはりこの業界で働く人たちは勝ち組だと思われていたのだが、1990年代にバブルが崩壊していく過程の中で、これらの業界に勤める人々は次々と業界の不振に追い込まれるようになっていった。
山一証券はかつて四大証券会社の一角だったが、バブル崩壊の中で1997年に廃業に追い込まれ、エリートたちは路頭に迷うことになった。そして翌年には北海道拓殖銀行が破綻に追い込まれて消えていた。
山一証券は1897年に創業された証券会社、北海道拓殖銀行は1900年に設立された銀行で、どちらも由緒ある金融企業であったはずだ。
それが、バブル崩壊の中でもろくも崩壊していった。
そこに勤めている人たちにとって、これはまさに青天の霹靂であったに違いない。そこに勤めれば安泰だと思っていた企業は安泰ではなかったのである。
1990年代以降、日本は家電メーカーが世界を席巻していた。ソニー、パナソニック、サンヨー、シャープ、日立、東芝。こうした企業は世界ブランドであり、日本を代表する企業だったはずだ。
もちろん優秀な学生の誰もがこうした企業に勤めたいと願い、競争をくぐり抜けて入社できた学生たちは天にも昇る気持ちになったはずだ。「これで自分の人生は一生安泰だ」と考えた人もいたかもしれない。
ところが、2000年代の後半から空前絶後の円高が進んで、中国や韓国との競争に敗れ始め、さらにインターネットに乗り遅れ、あっと言う間に凋落してしまった。
サンヨーは消えたが、シャープも東芝も会社が存続できるのかどうかも分からないような状況に追い込まれている。ソニーは生き残ったがその過程で大量の従業員をリストラしている。
間違いなくインターネット産業も斜陽化する
これから駄目になる可能性の高い業界は、テレビ関連、マスコミ関連、出版関連、新聞社関連である。こうした企業はインターネットに飲み込まれており、今までのビジネスモデルが成り立たない瀬戸際に立っている。
新聞社や出版社はインターネットによってこっぴどく追い込まれているが、媒体が違うだけなのだから、紙からインターネットにシフトすればいいと考えるのは部外者である。
これらの企業は紙で培った文化と、紙で培ったビジネスモデルが強固に存在するので、これらの文化を守りながらインターネットにシフトするというのが難しい。
インターネットに注力すれば、紙のビジネスモデルを破壊してしまうので、思い切ったシフトができないのである。
その結果、インターネットで情報を扱う新興企業に取って代わられて企業は破綻していく。
とすれば、インターネット企業はこれからもずっと華やかな産業として続いていくのだろうか。いや、いずれこのインターネット業界も斜陽産業と化して、リストラや給料減に見舞われてしまうことになるだろう。
いつインターネット産業が斜陽化するのか、その次の成長産業が何なのかは分からないが、永遠に斜陽化しない産業は今までなかったのだから、今は信じられなくても間違いなくインターネット産業も斜陽化するのである。
10年前、パソコンは永遠に不滅だと思われており、OSを独占して傲慢なまでに強かったマイクロソフトも、今やかつての栄華はどこにもない。
ウィンドウズは今もパソコン業界では独占しているのだが、パソコンそのものが古いものになってしまっているので、独占も意味がなくなってしまっている。
たった10年でこうなってしまうとは誰も予想しなかった。
いつでも今の安泰は消え去ると考えて生きる方が正解
このように、世の中は移り変わり、世の中は知らずして今までと違う世界になっている。これは誰にとって他人事ではない。
昨日と今日は同じような世界に見えるのだが、微妙に何かが違っており、それが積み重なることによって10年後はまったく違う世界になっている。
考えなければならないのは、自分が10年後に同じ企業にいられない可能性があるということだ。
あるいは、同じ企業にいられても同じ仕事を10年続けられない可能性があるということだ。
かつて、ひとつの確固たるビジネスモデルが開発されたら、それは100年は持つことはザラだった。しかし、いつしか時代が高度化するとビジネスモデルの寿命は短くなり、30年になり、10年になっていこうとしている。
そのため、どんなに強大で時流に乗った企業であったとしても、10年後には斜陽になって、リストラや給料減に見舞われて苦しんでいる確率も高い。
勝ち組であると言われていても、10年後は負け組になっているかもしれないのだ。そう考えると今が安泰だから一生安泰という考え方は成り立たず、むしろいつでも今の安泰は消え去ると考えて生きる方が正解だということになる。
2000年代まで、日本では年功序列と終身雇用がなくなるとは思われていなかった。しかし、世の中が変わると、それは一気に起きた。今や逆に終身雇用を信じる人の方が珍しい。
グローバル化とネットワーク化は、世の中の動きを加速させているので、これからはもっと苛烈で劇的な社会変化が起きやすい時代であると言える。
つまり、世の中の変化はもっと目まぐるしくなり、人々はそれに翻弄されていくということだ。今ほど世の中の変化に対応できる能力が必要な時代はない。
世の中の動きを見て、自分を適応させる能力が必要だ。
かつて最先端だった紡績産業の栄光はもう過去の話になった。こうした世の中の変化はもっと目まぐるしくなる。今ほど世の中の変化に対応できる能力が必要な時代はない。
DUAさんより