ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

バレなきゃいい

今の時代、持ち家信仰など持っていてはカモにされるだけだ


画像


台湾の17階建てのマンションが2016年2月6日の地震で倒壊している。このマンションは杜撰な手抜きマンションだったと言われている。

地震で倒壊する前から壁のタイルが剥がれたり、エレベータが動かなかったり、排水管のパイプが詰まって汚水が溜まるような状況だった。

しかし、こうした建物でも不動産としてそれを購入した人たちもいる。実際にマンションを購入して引っ越すまで、このマンションが「手抜きマンション」であることには気付かない購入者もいた。

地震で倒壊した後には、壁の中に食用油の缶が詰め込まれているというのが確認されているが、このマンションは建設業者が、ゴミを壁に塗り込んで捨てていた。

台湾ではこのような建設業者が山のようにあって、ゴミを壁に埋めて捨てるというのは常態化していた。そんなマンションを数十年ものローンを抱えて買ってしまった人たちにとてっては、憤懣やるかたない思いに違いない。

ゴミが埋められた欠陥マンションのために、自分が重いローンを抱えて人生を生きていたのである。そして、様々な欠陥に日常生活に不満を抱え、地震が来たら倒壊して影も形もなくなってしまった。




東南アジアでは、杜撰な建物が標準だった


台湾のみならず、東アジア、東南アジア、南アジアの建築物がかなり杜撰な建て方をしているというのは、誰も驚くようなことではない。

私自身も東南アジアに長くいて、その欠陥はしばしば驚くこともあった。たとえば、新しく建てられたホテルの部屋に入ると、もう電気が付かないこともあった。スイッチが最初から壊れていた。

真夜中にスコールが来て、朝遅く目覚めると床がぐっしょりになっていたこともある。

天井から漏れていたのかと思わず天井に目をやったら、そこは無事だった。天井から漏れたのではなく、壁から漏れていたのである。窓と壁の隙間から大量の水が流れ込んでいた。




インドでも古いホテルの部屋の窓は半開きのままになっていて、治安上悪いので閉めようと思ったら、押しても引いてもピクリともしなかった。窓が半開きのまま鉄枠も錆びて形が歪み、もはや動かすこともできずに放置されているのだった。

それに懲りて翌日にできたばかりという新しいホテルに引っ越すと、できたばかりにも関わらずもうドアが歪んで開け閉めがうまくできない状態になっていた。

高級ホテルはさすがにそんなことはないが、ごく普通の街の普通の建物というのは、だいたいこんな調子だ。杜撰な建物が標準なのである。

インドネシアでもできたばかりのホテルの裏側を見ると、鉄骨が剥き出しになったまま放置されているというのもあった。見えないところはことごとく手を抜いている。

画像

日本では地震が来たら慌てて外に飛び出すのではなく、建物の中でじっとしておくのが安全確保のための秘訣だ。しかし、多くの国では逆だ。大地震が来て建物の中にいたら、いつ崩れて下敷きになるか分からない。

だから誰もが地震が来たら屋外に逃げる。私も必死になって屋外に飛び出すだろう。それほど、東南アジアの建物というのは全般的に信頼性がない。

このような建物ばかりを10年も20年も見たり泊まったりしている私は、建物をローンで買うという発想はまったくない。建物は使い捨てする。

長期ローンが終わる30年後あたりには老朽化する


日本は地震大国であり、災害大国でもあるので、建築物は他の国々からみると天国のように素晴らしい。私は日本の建物を基本的には信頼している。

しかし、やはり自分が住む建物を長期ローンで買おうという気にはならないのは同じだ。どんな素晴らしい建物であっても、長期ローンが終わる30年後あたりには老朽化が激しく、大規模なメンテナンスが必要になる。

もし、それがマンションのような集合住宅だと、それぞれの所有者全員が足並みをそろえて費用を出さなければならない。しかし、建替え費用が捻出できない人もいれば、建て替えしなくてもいいという意見の人もいる。意見も費用も、必要なときにまとまらない。

さらに建て替えると容積率が減って狭くなってしまう建物もあったりする。そのため、ローンが終わったら建て替えもできないようなスラムのような老朽化マンションだけが残るというケースが続出している。

かつて、日本に不動産神話があった頃は、そうなる前に売却して含み益を得ることもできたかもしれない。しかし、すでに日本は世界有数の少子高齢化の社会に入っており、地方から急激に人口が減少している。

今後、不動産価格が上がるとしたら、それは都会の一部の地域であり、全体を見ると地価は下がる一方である。

都会であっても新築マンションが次々と供給されているわけで、そんな中で老朽化した30年前のマンションが高く売れるわけがない。

格差も広がり、長期ローンが組める人間も減少する。

不動産が資産であるというのは、よほどロケーションの良いところだけの話になっていく。不動産を自宅として手に入れるのであれば、細心の上にも細心の注意が必要になって来る。

持ち家信仰など持っていてはカモにされるだけだ

画像

素人は、自分が買うマンションがきちんとした作りのマンションなのか、それとも内部に手抜きが隠されているマンションなのかは判断できない。

そのため、素人はブランドで選ぶのだが、超大手・三井不動産グループの販売したマンションであっても手抜き欠陥マンションになる。

さすがに日本の建築物は東南アジアや途上国のように、「見るからにひどい」ものではない。規準を途上国の建物に合わせれば、日本の建築物は10倍も20倍も優秀だ。

しかし、それでも手抜き工事はゼロにはならず、手抜き工事の発覚は後を絶たないのが実情だ。ブランドさえも役に立たない。「見る目」がなければ、とんでもないマンションをつかまされるのである。

住宅が資産になるというのは、人口がどんどん増えて将来は国全体がもっと豊かになることが確約されている時代の話だった。人口が減って高齢者だらけになる国、格差がどんどん開いて貧困層が激増する国の話ではない。

少子高齢化や格差が解消できないというのは、住宅が資産にならないということを意味しているのである。

日本は貿易で食べている国ではなく、内需で食べている国であるという人もいる。

もしそうであれば、なおさら少子高齢化によって肝心な内需が縮小するのが避けられないのだから、地価も下落していく可能性の方が高い。

日本で「住宅は資産」という考え方に賭けるのは、いろんな意味で冒険になる。

「住宅は資産」の考え方は日本の高度成長期が始まった1954年からバブルが崩壊する前の1989年までの間に培われた「神話」だったのだが、その神話はすでに崩壊して色褪せた。

持ち家信仰など持っていてはカモにされるだけだ。「信仰」や「神話」は、資本主義社会では誰かをカモにするために利用されるビジネスツールとなっている。

画像

台湾の倒壊したマンション。地震で倒壊した後には、壁の中に食用油の缶が詰め込まれているというのが確認されている



DUAさんより