ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

朝鮮コンス

朝鮮コンス


コンス0302

冒頭の写真は、見るからにお腹の痛そうなポーズですが、このおかしなお辞儀が、昨今急速に、「正しい礼法」として広まっているようです。
あらかじめ申し上げますが、全然、正しくありません。
みっともないだけです。

このお辞儀は朝鮮「コンス」と言って、もともとお辞儀の作法のなかった朝鮮半島を日本が統治したときに、彼の国で「日本の最も正しく美しいお辞儀の作法」として「間違って」広まったものです。
日本では檜扇(ひおうぎ)や笏(しゃく)などを手にして、両手をお腹の前で合わせるときも、肘は張らずに控えめな姿勢を取ります。(通常の立礼では手は体側か膝)

ところがそれだと、朝鮮半島チマチョゴリを着たとき、巻きスカートであるチマ(裳)が、腕の両脇から前に垂れてしまって見苦しいために、このように両肘を張る無理な姿勢になっています。
もっともそういう、西洋式ドレスのように横に広々と広がるチマを着るのは、キーセン(妓生)くらいなもので、一般のチマチョゴリは、せいぜいふわっとしたワンピース程度にしか横に広がっていません。

ですので昔はこのお辞儀をするのは、朝鮮人経営の舞踊飲み屋のキーセン(妓生)の専売特許でした。
キーセンというのは、もともとは朝鮮の売春婦のことです。
つまり朝鮮売春婦独特のお辞儀の仕方であったものを、日本人女性たちに「正しい礼法」と嘘を教えて、日本人女性をまるで売春婦同然に見立てて悦に入っている低次元な仕掛け人がどっかにいて、多くの日本人が、それに嵌められ、気がつけば自然体で美しい日本式礼法が、消え去ろうとしているわけです。
これを仕掛けた人の、とてつもない底意地の悪さを感じます。

そんなわけで、このコンスについて、「とんでもないことだ」ということを、2013年7月に記事に書かせていただいたのですが、おかげさまでこの記事は、「日本の保守を装った日本人のような顔をして日本人のような通名を名乗り日本語を話すもとからの日本人でないみなさま」には、たいへん気になる記事だったようで、あちこちのサイトで、私を名指しで「デマを広めている」と批判がなされたのだそうです。

具体的にどこがどうデマなのか知りたいと思っていたところ、先日ある方が、「江戸しぐさ信奉者が広める朝鮮式お辞儀というデマについて」http://getnews.jp/archives/777317)というサイトで、私の名指しこそないけれど、具体的事実として、日本の明治時代の礼儀作法の教本に、まさにこのコンスが「正しい作法」として書かれていると教えてくださいました。

それがひと目見て大爆笑。
あまりにおもしろかったので、あらためて記事にしてみます。

オシャレなギフトをあの方へ

このサイトには、
=========
明治15年の東京府(現在の東京都)制定の礼を解説した高橋文次郎「小学女礼式訓解」(平城閣)の図「椅子に倚たる人を拝する図」は「両手の指先をお臍あたり」に持ってきているようにしか見えない。
手を組んではいないが恐らくこの辺りが「女性が手をおへそあたりに持ってくる」礼法の起源であろうか。
東京府が定めて教育現場で使われていたのがこのお辞儀である。

明治15年の西村敬守 編『小学女礼式』の挿絵には、手を組んで腰をかがめてお辞儀をする女性が描かれている。
どうやらネット上で騒がれている「朝鮮式お辞儀」なるものも、明治時代に新しく制定されたお辞儀の一種に過ぎなかったようだ。
韓国人が日本の小笠原流の正しいお辞儀を改変したニセのお辞儀」という江戸しぐさ信奉者の広めている説は、史料によると否定されてしまうのである。

========
としたうえで、「デマに惑わされないように気をつけたいものだ。」と記事を締めくくっています。
文章だけ読んだら、あたかもコンスが明治時代から日本で普通に使われてきた正式な礼法であるかのようです。

ところが記事には、それぞれ
『小学女礼式訓解』
『小学女礼式』
の挿絵が掲載されています。それが下の図です。

まず『小学女礼式訓解』が次の絵です。
絵はクリックすると大きくなります。

『小学女礼式訓解』近代デジタルライブラリーより)
小学女礼式訓解


この立礼のところだけを拡大したものが下の図です。
小学女礼式訓解拡大


上の絵が「椅子に座っている人に礼をするとき」、下が「自分が椅子から立ち上がって礼をするとき」です。
絵を見たらわかりますが、両手の手のひらは、おへそのところで「お腹が痛いポーズ」ではなく、ちゃんと膝の上に揃えて置かれています。
そして本文にも、そのように書いてあります。
「両手を膝頭まで下げて礼をすべし」です。
この記事を書いた人は、日本語が読めないのでしょうか。

次の『小学女礼式』の絵が下のものです。
『小学女礼式』近代デジタルライブラリーより)
小学女礼式拡大


ご指摘の右下の図を拡大したものが下の図です。
小学女礼式拡大


誰がどう見ても、両手はお腹ではなく、膝の上に置かれています。
本文にも「両手を膝の上に伸ばし、肘をはらず」とちゃんと書いてあります。

ちゃんと文章があり、ちゃんと挿絵まで書かれているのに、説明文だけは全然別なことを書く。
しかも意図的かどうかは知らないけれど、画面を小さくすることで、どういう絵なのか、どういう文なのかをわからなくし、本文には、まったく別な解説を載せる。

実は、ここで「一般論として」みなさまに申し上げたいのは、これが反日左翼がこれまで長年行ってきた日本解体のテクチだということです。
証拠がちゃんと揃っているのに、解説だけを歪めて書く。
そしてその提示した証拠がわかりにくいように、画像などを小さくしたり、グラフなどを捏造したりする。
そしてあたかも「権威ある書籍にこのように書いてある」という風評を垂れ流す。
そして、一度このように文が提示されると、こんどはその文を引用して、「引用」で情報の拡散を図る。

日本政府から朝鮮総督府への通達にちゃんと書いてあります。
一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。
一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。

です。

要するに権威あるものに名を借りて、自分たちの嘘を際限なく、また臆面もなく吹聴する。
ですから知らないと騙されます(笑)

さて、話をコンスに戻しますが、私は、このお腹痛いポーズを見かけると、
「お腹が痛むのですか?」と聞くようにしています。

礼儀作法というのは、日本では自然な所作を言います。
不自然なポーズはとりません。
そして、大切なことですが、日本における「礼」と、大陸や半島における「礼」では、実は意味が全然違います。

どういうことかというと、日本語の古代からの大和言葉でいう「礼」は、「礼」や「禮」と書いて訓読みで「ことわり、ゐや」と読みます。
「ゐや」というのは、現代仮名遣いでは「うや」で、これは「うやまうこと」です。
つまり、物事の道理に従い、相手を敬うこと、そしてその心が自然なカタチになったものが「礼儀作法」と理解されます。

これに対し大陸や朝鮮では、「礼」は旧字が「禮」です。
相手にわかるように「豊かに示す」ことが「礼」だとされます。
上下と支配、支配と隷属という上下と隷属の支配関係しかなかった社会において、上の人の前でちゃんとした礼をとらないと、下手をしたら殺されかねない。
だから、相手にわかるようにしっかり、はっきり、態度で示す。それが「礼=禮」です。

ですから大陸や半島の場合ですと、日本式のような立礼で腰をかがめて頭を下げるという形式はありません。
上体は真っ直ぐに伸ばしたまま、男性なら両肘(ひじ)を真横に張り出して、両手で反対側の肘の手前をつかむ。
つまり、両手を拘束されたような姿勢をとることで、相手に対して敵意がないことを示します。
また座礼では、ひざまづいて尻を浮かせ、両手を前について、額を地面にこすりつけます。
いわゆる四つん這いの姿勢をとるのですが、この姿勢では、身動きがとれませんから、相手に隷属したことを示す姿勢になります。

これに対して日本式では、立礼は腰をかがめて頭を低く下げます。
相手に敵意なく、和を求めようとする姿勢です。
座礼でも、尻はカカトに付けたまま礼をします。
どこまでも、相手を「うやまう」という姿勢ですが、身分や役職、位の上下はあっても、人としては対等という観念がそこにあります。

立礼の場合、両手は体側に付けたままにするか、あるいは手のひらを両脇から自然に膝にすべらせます。
このとき、手に何も持っていなければ、手のひらを重ねることはしません。
手のひらを重ねると、大事なところを隠しているような姿になり、まるでおしっこを我慢しているような姿勢になってしまうからです。

また、立礼にせよ座礼にせよ、厳禁なのが「両肘を横に張ること」です。
両肘を張るというのは、「我を張る」意味になり、これは礼儀知らずのみっともない姿勢とされました。
ですから食事をするときにも、肘を横に貼りだすと、親から肘をピシャリと叩かれたものです。

コンスに関連して、立礼で両肘を張る姿勢について、どっかのサイトで、「日本の貴族やご皇族の方がこの姿勢をとっているから正しい姿勢だ」と書いていた方がいましたが、
まず、貴族の場合、衣冠束帯や十二単を着て、男なら手に「笏(しゃく)」、女性なら「檜扇」を手にした姿の場合、立礼に際して、肘は曲げて、両手はお腹の前に来ます。
手にモノを持っているのですから、あたりまえです。
ただし、この場合も、両肘は張らずに、体側にきちんと付けます。
我を張ることは、古来からよろしくないとされたのです。

さらにもうひとつ、ご皇族の方の場合、両手を腹に置いて肘を張る姿勢は「有り」です。
なぜなら、ご皇族の場合、横に並ぶ者がいないからです。
民や臣と、ご皇族では、身分も立場も違います。
郡臣百卿は、両脇に座る人への遠慮をしなければなりませんが、ご皇族の場合は、その遠慮は不要です。
あたりまえのことです。ご皇族と並び立って礼を取れる人など、この世に存在しないからです。
それと同じポーズを、一民間人が真似る事自体がご不敬です。

また、私のコンスの記事のあと、どこかのサイトで皇后陛下が、肘を曲げて両手をお腹の前で合わせているからコンスは正しい姿勢だと書いている馬鹿者がいましたが、その写真は皇后陛下戦没者への祈りを捧げているときの姿でした。
祈りを捧げるときの姿勢は、単なる立礼とは違うのです。
あたりまえのことです。
それに天皇皇后両陛下のお姿を、民間人が真似る事もご不敬です。

ちなみに聞くところによると、在日のお金持ちの子女は、日本の古くからの礼法指南所に通って、日本式の古式ゆかしい正しい礼法やマナーを学んでいるのだそうです。
その一方で、日本人には、おかしなコンスを広める。
このあたりを考えあわせれば、どういう意図でコンスが広められているのかがわかりそうなものです。
明察功過の文化を、早く日本人は取り戻さないと、これは良くないことになると思います。

それにしても、平素、お行儀の悪い私が、礼法のことなど書くことになるとは思ってもみませんでした。
私は、今日もどこかでコンスをみかけたら尋ねています。

「お腹痛いの?」


※追加
そもそも半島には文化はないし、礼法もないし、お辞儀の習慣もないし、すべて後付で「ウリ達はこういう文化を持っていたニダ」とファンタジーを創設しています。
ですから彼らの歴史を調べてもコンスが出てこないのはあたりまです。

繰り返しになりますが、コンスは、日朝交流が始まってから、朝鮮人の娼婦(キーセン)が客に支那風の異国情緒あふれた踊りを踊るサービスを提供するようになったときのお辞儀として広く普及したものです。
キーセンが彼女らの民族衣装を最もひきたたせる作法を、後から編み出したわけです。
客が日本人ですから、日本風のお辞儀に似るのはあたりまえで、舞は異国情緒を出すために京劇のような踊りを、朝鮮式のチマチョゴリで舞ったわけです。
これは美しく語れば文化創造だし、彼らがそれを「良い作法、女性を魅力的に見せる作法」と思ったとしても、これは当然のことです。

ただし、その作法なるものは、あくまでもチマチョゴリを着たキーセンを魅力的に見せるものであって、普通の日本人のあたりまえの作法とは全然異なります。
何も日本人が、朝鮮人売春婦のキーセンの礼儀を「学ぶ」必要もないと思います。

それともうひとつ。
コンスの特徴として、
1 両手を重ねる
2 両手をお腹(おヘソのあたり)に置く
3 両肘を左右に張り出す
という特徴があります。
そこで、あたかも両手を重ねることがあたかもコンスの特徴であって、日本でもそれは行われていたではないかのような主張をする人がいるようですが、詭弁です。
日本の礼法では、手の位置はそれほどやかましくなく、体側に付ける、腿の上にすべらせる。両手を重ねる、いずれも可ですし、それを誰も「みっともない」とは思いません。
そうではなくて、我々が問題にしているのは、2と3の動作で、特に2によって3(肘を張り出す)という傲慢な姿勢を「みっともない」と問題にしています。
にもかかわらず、これを強引に「手を重ねることが非礼と、ねずがデタラメを吹聴している」と言っている連中がいるようですが、まさしく詭弁で、それこそ「息をするように嘘を吐く」特殊な人たちであろうかと思います。
いくら日本語を話しているようでいても、意味をちゃんと受け取ることができない。
要するに「お里が知れる」ということです。

なお、本件記事についても、朝鮮族や半島の出身者を十把一絡げに非難したりするものではないことを付言しておきます。
半島出身者でも、そこらの日本人よりもはるかに立派な人はたくさんいます。
陸軍士官学校の卒業生など、もはや超人としかいえないような立派な人たちです。
ただ、同時に「悪人を出さない」ようにするのは、彼らは彼らの中で、これは努力しなければならないことだし、そのことは日本人も同じで、日本人の中から、くだらない中傷や人を馬鹿にすることで愉悦しているようなつまらない連中を出さないようにしていくことも、これまた大切なことです。
どんな民族でも、良い人もいれば悪い人もいる。
何をもって良い人としていくかは、それぞれの民族が自分たちで選択していくことであろうと思います。


ねずさんより


30日無料です 始めよう!

公式サイトです PCパーツならおまかせです