ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

地球空洞説


地球空洞説

~小太陽のある地底世界~


【地球内部には超文明がある!?】

極地の穴とされた衛星写真



極秘写真?


現在では、この写真が撮影された11月が北極圏における白夜の時期であった為、 黒い穴の様なものは単に太陽光が届いていないエリアに過ぎず、 通常の自然現象によるものと考えられている。

地球空洞説とは、地球は表面の地殻だけで構成され、内部はがらんどうであるという説だ。

現代において、この説を信じている者はまずいないだろうが、古くは古代バビロニアの伝説にも登場し、かつては多くの人々に信じられ、議論され続けてきたのだ。

1692年、ハレー彗星を発見したイギリスの天文学者エドモンド・ハレーが、極地方の変則的な磁気変動を説明する為に同説を考案し、イギリス学士院で発表した。



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これは、地球内部が水星と同じ直径の中心核と、金星及び火星と同じ直径で厚さ800kmの同心球状の2つの内核から空洞になっており、殻同士は空気の層で切り離され、それぞれ磁極を有し、異なる速度で自転しているという考えであった。

また、地球内部には発光性ガス、または小太陽があって明るく、気候は温暖で生物の生息が可能であるとされたそうだ。

また、よく極地で見られるオーロラは、地底世界に通じる穴から小太陽の光が漏れて、地上の大気に反映したものであり、北極や南極には、その地底世界の入り口である巨大な穴があるとされた。

特にこの説を際立たせたのは、1967年1月6日に、アメリカの気象衛星「ESSA-3」が北極南極に穴らしきものを撮影し翌1968年11月23日にも、同じく気象衛星「ESSA-7」が鮮明な北極の穴を撮影したとされ、世界中が騒然となった事による。

しかし、後に複数衛星写真を繋ぎ合わせた結果、地球の夜の部分が丸い穴の様に見えている事が判明したそうだ。

初期の地球空洞説の中で最も有名なものは、1818年、アメリカ陸軍の大尉だったジョン・クリーブス・シムズが、『同心円と極地の空洞帯』という本で唱えた、地球は厚さ1300kmの地殻で、各々の両極に直径2300kmの開口部を持つ五層の同心球であり、地表の海はそのまま裏側にまで続いているという考えだ。

シムズは、自説を裏付けるべく、北極探検を計画し、「自分は精神病者ではない」という医師の診断書までつけた500部の趣意書を、アメリカやフランスの政界、財界、学者に配布したそうだが、結局、費用が集まらなかった為、この計画は頓挫したという。



【地底世界に2年滞在したヤンセン子】

ヤンセン親子物語の本
『The Smoky God』(1908年)の挿絵



この本はノルウェー人船員の手記という体裁を取っている。

しかし、実際に地底世界に迷い込んだという人々が存在しており、こんな体験談があるんだ。

1829年4月、スウェーデンの漁師であった父エンスと息子オラフのヤンセン親子は、小さな漁船に乗ってノルウェー沿岸を北上していた。

やがて、北極圏に入ると、それまでは穏やかだった海が急に荒れだし、凄まじい暴風雨になり、漁船はどんどん押し流されていった。

暴風雨は数日間吹き続いて止み、ヤンセン親子はようやくおさまったと思ってホッとしたが、どうも周囲の様子が変だ。

船の前後には空が広がってはいたが、なんと、上下左右に海があったそうなんだ。



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この奇妙な風景は数日間続いたそうで、ヤンセン親子は、この巨大な水のトンネルの中を航行していった。

そして、やっといつもの海に復帰した・・・かの様に思われたのだが、どうも何かが違った。
今まで航行してきた海とは明らかに異質であり、遠くで鈍く輝く赤い太陽もおかしい。

違和感を感じながらも漁船を進めていると、目の前に巨大な船が現れたので、ヤンセン親子は助けを求めて近づいて行ったが、その船の乗組員達を見て驚いた。

なんと、彼等は全員身長が4m以上もある巨人だったのだ。

ヤンセン親子は驚き警戒したが、意外にも巨人達は親切で、友好的に接してきたそうだ。

巨人達の言葉は聞き慣れないものであったが、サンスクリット語に似ていたそうで、かすかに理解する事が出来たという。

その後、ヤンセン親子は「イェフ」という巨人の町に連れて行かれたそうなんだが、 そこには見た事も無い機械が沢山あり、高度な科学文明を誇っていたそうなんだ。

建物は黄金で色どられ、屋根やドア、テーブルにも純金の薄板が張ってあり、何もかもが巨大で、農作物も豊富で、リンゴは人間の頭程の大きさがあったという。

巨人達は陽気で優しく、よく歌を歌い、平均寿命は800歳前後であったとの事で、彼等は煙がかった地球の中心で輝く太陽を「霧立つ神=スモーキー・ゴッド」と呼んで崇拝していたという。

また、巨人の容姿に関して、女性の方については言及されていないが、男性の方はよく手入れをした顎鬚を生やしており、贅沢な感じのチュニックを着て、半ズボンを穿いており、足には純金と思われる留め金のついたサンダルを履いていたそうだ。

また、巨人達の船は不可解な動力で動いていたそうで、息子のオラフによれば、これは1829年当時は発明されていなかったはずの電気であったと考えられるそうだ。

イェフの町で1年間を過ごしたヤンセン親子は、「エデン」という、この巨人の国の首都に住む、この世界の王たる大司祭に拝謁する機会を得たそうで、彼は他の誰よりも大きな身体をしていたという。

ヤンセン親子は、大司祭にこの世界に辿り付いた経緯を話した上で、望む限りこの国に滞在する許可を与えられ、この後、さらに1年程この国で過ごす事になる。

そして、この世界で丸2年を過ごしたヤンセン親子は、ついに元の世界に帰る決心をした。
旅立ちにあたり、巨人達は金塊と、この世界の詳細な地図を土産に渡してくれたという。

巨人達に別れを告げたヤンセン親子は、自分達の漁船に乗り込み、海を南へと出発した。
再び水のトンネルを抜けると、ようやくヤンセン親子は元の世界へ帰ってくる事が出来た。

だが、そこは最初に迷い込んだ北極の海ではなく、反対側の南極の海だったのだ。

故郷のスウェーデンに帰るには、地球を半周しなけらばならず、ヤンセン親子は途方に暮れたが、仕方無く航海をする事にした。

ところが、不運は重なり、ヤンセン親子の漁船は嵐に巻き込まれ、沈没してしまったのだ。

この時、父親のエンスも、巨人達がくれた土産も漁船もろとも海中深く沈んでしまったという。

なんとか一命を取り留めた息子のオラフ・ヤンセンは、氷山に乗って漂流しているところを、たまたま通りかかった捕鯨船に救助されたそうだ。

が、その後、ヤンセン親子の体験したこの事件は、誰も信じようとはせず、結局は単なる狂人の妄想であったという事にされてしまったという。

しかし、ヤンセン親子以外にも、北極海で同様の体験をした船乗りが何人もいるそうで、ノルウェーの漁村等では古くからこの様な話が伝えられているそうだ。



【軍人も地底世界を目撃】

リチャード・E・バード少将



(Richard Evelyn Byrd)第2次世界大戦後にも、地球内部の空洞を訪れたという人物がいる。

1947年2月、アメリカ海軍のリチャード・E・バード少将は、第68機動部隊を編成して「ハイジャンプ作戦」という名の北極探検の指揮をとり、飛行機で北極点を目指していたそうだ。

その際、天候が急変し、視界ゼロの状態になると同時に、高度が下がった。



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すると突然視界が開け、眼下に緑の原野、森林に川、湖等が見えたそうで、そこにはなんとマンモスの様な動物が生息していたそうなのだ。

最初バード少将は、新大陸を発見したのではないかと躍起になったそうで、それから9年後にも彼は再び北極を訪れて、地球内部に迷い込み、マンモスらしき姿を確認したらしい。


バード少将の著書の表紙



アメリカ版 川口 浩


さらに、バード少将はその後も、他の地域にも地球内部に通じる場所があるはずと考え、各地に探検を繰り返しており、南米のジャングルの中に大穴を見つけたそうだ。

その大穴は底まで約1000m程あったそうで、バード少将はヒマラヤのシェルパを雇い、ロープをつたって、降下したそうだ。

穴の底にはジャングルが広がっており、バード少将一行はそこで足が8本ある昆虫や、鼻で歩くねずみの様な動物等を見たという。

さらに、彼等はそこで人間が200人以上住んでいるのを発見したというのだ。

彼等は太陽の光に当たらない為か、白人よりも色が白かったそうだが、服はちゃんと着ており、文明を持っていたらしい。

バード少将は、この民族全員が長い槍を持っていた事から、彼等をランス(Lance=槍)族と名付けたそうで、彼等はバード少将一行を快く迎えてくれたそうだ。

こうして、バード少将一行は約1年間、ランス族と暮らしたそうで、その間の生活の様子を、バード少将は日記に書き綴った。

そして、バード少将はそれをシェルパに託して、自らはもうしばらく残る事にしたという。

しかし、シェルパは地上に出られたものの、ジャングルで道に迷った際、この日記を紛失してしまったと言われている。

ちなみに、アメリカの哲学者レイモンド・バーナード博士は、1963年に発表した同説の裏付けの際、大穴を発見したバード少将は、政府に厳密な管理下に置かれ、その事実の発表を抑えられたまま、1957年に死去してしまったと主張している。



【伝説の地と秘密結社】

アドルフ・ヒトラー




未知のパワーを秘めてるっぽいものは部下に命じて大体探すオカルト大好きおじさん。

かのナチス総統アドルフ・ヒトラーも、南極や北極の地底にあるとされる伝説の地に興味を持っていたという。

伝説によれば、南極大陸には「虹の都」と呼ばれるものがあり、今から250万年前に飛来した天人の子孫「ハクラン」が、地下300mに建設した地下都市であるそうだ。

この都市は全部で7つあり、各々の都市は、虹の色に例えられて呼ばれていたという。

また、都市は6層から構成されており、氷の壁に囲まれた様な半透明の物質で建設されていて、光源は人工照明や、太陽光を巧みに取り入れられていたそうで、内部は暖かい気温であったという。

また、街路には背の高い針葉樹林が整然と連なり、各都市は透明なチューブで結ばれ、その中を変わった乗り物が素早く動いていたという。


1539年の海図(カルタ・マリナ)に描かれた伝説の地トゥーレ(Tile)



トゥーレは基本的にひとつの島として表現され、 遥か北のオークニー諸島、シェトランド諸島、スカンジナビアの他、 中世後期やルネサンス期にはアイスランドグリーンランドにあると考えられていた。

「1537年に目撃された怪物」として、クジラ(balena)とシャチ(orcha)が近くに描かれている。


ナチスの思想的母体であるトゥーレ協会の紋章



正式名称は「トゥーレ協会・ドイツ性のための騎士団」であり、 スヴァスチカ(ハーケンクロイツ)と剣をシンボルマークとした。

1937年にフリーメイソン及びその類似団体の活動が禁止された事に伴い、トゥーレ協会とゲルマン騎士団は解散した。

さらに、北極には虹が舞い、不死の人々が住む「トゥーレ」なる楽園があるという伝説が、かつては地中海諸国で広く流布されていたそうだ。

トゥーレは、ギリシア・ローマ時代に伝説の極北の島ウルティマ・トゥーレ(世界の最果て)として知られ、 ゲーテの『ファウスト』『トゥーレの王』にも登場する。

この「トゥーレ」伝説と結びつけ、 極端な民族主義反ユダヤ主義を標榜するゲルマン教団の秘密結社「トゥーレ協会」が 1918年1月にミュンヘンで設立された。

そしてこのトゥーレ協会が母体となり、後の「ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)」は誕生したのだ。

トゥーレ協会は、そもそもはドイツ民族の優秀性や特別性を立証する事を目的とした、 ドイツの古代アルファベットの神秘学的な調査・解読などを行う研究集団で、 当初は政治的な結社ではなくあくまでオカルト思想団体であった。

しかし、会員に反ユダヤ主義のディートリヒ・エッカートが加わった事や、 ヒトラーが関わり始めた事から次第に活動内容は過激化していき、 破壊工作や政治的な暗殺、人種差別運動を行うなど、現実の政治にも影響を与える様になった。

会員数はミュンヘンに250人、上部組織であるゲルマン騎士団のバイエルン州全体を合わせても1500人と比較的少人数であったが、 思想的・精神的な影響力は大きく、 会員には警察の上層部、弁護士や判事、貴族や実業家、大学教授などの有力者が名を連ね、 そうしたいわゆる上流階級から資金を得て、 高級ホテルの「フィーア・ヤーレスツァイテン」で会議が行なわれたという。 

トゥーレ協会の設立メンバーの一人であるアドルフ・ヨーゼフ・ランツ(自称ランツ・フォン・リーベンフェルト)は、 自伝で次の様に述べている。

「トゥーレ協会の名は、神話のトゥーレ、つまり消滅文化である北欧のアトランティスからとった。

トゥーレに住む超人の民族は、魔力を通じて宇宙と繋がっていた。

彼らは20世紀をはるかに上回る精神的・技術的パワーを持っていた。 この知識をもって祖国を救い、新しく北欧・アーリア・アトランティックの民族を生み出さなければならない。新しいメサイアが現われて、人々を目的地へと導くだろう。」
なお、一説には、「トゥーレ」とは北極が入り口の、純粋種アーリア民族の発祥したとされる地底世界の事で、チベットに伝わる理想郷「シャンバラ」と同じものだと言われている。



【謎の地底王国シャンバラ、またはアガルタ】




地球の中心にある地底王国アガルタ▲地球空洞説は、大航海時代以降から20世紀末の科学の発展により急速に支持を失い、 今日ではほぼ、娯楽作品等のフィクションの古典的な設定として目されている。

しばしば、こうした世界観における理想郷の代名詞として、 「シャンバラ」や「アガルタ」、または「シャングリラ」の名があげられる。

伝説によれば、ヒマラヤ山脈を抱える 中央アジアの地底奥深くにアガルタと呼ばれる地下王国があり、 シャンバラ(「幸福の源に抱かれた」の意味)という首都があるという。

そこは、人類の叡智を結集した禁断の聖地であり、 超高度な文明が築かれた理想郷とされる。
いわゆるアガルタ伝説、シャンバラ伝説と呼ばれるものだ。

(厳密にはアガルタは王国名、シャンバラは首都名であり、 名前の起源についてはそれぞれ異なるものの、 いずれも西洋では混用され、同一視されている)
この理想郷の存在は、地球空洞説によって支持され、 神秘主義の分野では有名なテーマとなり、実際に多くの科学者や探検家が荒涼とした中央アジアの地を探し求めた。

首都シャンバラの中央部には、世界の王が住む宮殿があり、 彼らは地上の人類を凌駕する超能力を持っているという。

オカルトに精通していたヒトラーも、当然この伝説に魅せられ、 シャンバラの超テクノロジーを入手する事で、世界征服の野望を抱いたそうなのだ。

ヒトラーは地底王国を見つけ出すべく、密かに大規模な地底探査を行ったらしく、 地理学者や地質学者などを総動員して、地底文明に関する伝説が残る 世界各地の洞窟や鉱山をしらみつぶしに調査したという。

また、チベットの政治・宗教の最高指導者であるダライ・ラマは、 実は地底王国の使者であり、シャンバラの世界の王の命令下にあるという説もある。

聖都ラサに建つポタラ宮殿の内部には、シャンバラに通じる秘密のトンネルがあると主張する研究者もいる。 

なお、シャンバラ伝説やそれを追い求めたナチスの動き等については、 本項では情報量が膨大となってしまう為、あくまで触りのみで止め、 いずれ折を見て、改めて本格的に迫っていきたいと思う。



【地底世界は実在するか?】

欧神話における世界図



中心の木が世界樹ユグドラシルである。

『スノッリのエッダ』の英語訳本(1847年)ための、Oluf Bagge の手になる挿絵。

北欧神話によれば、宇宙は大きく別けて、神々の国「アースガルド」と、人間の国「ミッドガルド」、巨人の国「ウートガルド」の、天・地・冥の3界で構成されるという。

これを踏まえると、ヤンセン親子は、ミッドガルドから偶然ウートガルドに迷い込んだという事になる。

フィンランド宗教哲学者ペッカ・エルヴァストは、ヤンセン親子が到達した巨人の国がある世界は、地球の内部に存在するのではなく、我々の住む世界とは自然法則が異なる世界、つまり異次元に存在しているという説を唱えている。

また、バード少将が見たものに関して、20世紀初頭にアメリカの研究家ウィリアム・リードやマーシャル・ガードナーが著作で唱えた同説によると、地球の内部では、地上で既に絶滅してしまったマンモスが生息していると推測している。

シベリアの永久凍土でマンモスの凍結死体が発見されるのは、地底の穴から地上に迷い出て凍死したものであるというのだ。

有名なのは1901年にベレゾフ川の近くで発見された凍結死体で、口や胃の中に未消化の雑草が残る極めて良好かつ新鮮な肉の状態であったという。 

さらに、生きたマンモスも、一般にその存在が認知される以前の古くから目撃されており、 1580年には当時の騎士達が「毛の生えたゾウ」を目撃したという記録があるし、 1920年にはシベリアのタイガで猟師が「赤黒い毛を持つ巨大なゾウ」を目撃しているらしい。


1943年にシベリアで撮影された生きたマンモスの映像



この映像は、第2次世界大戦中の1943年4月、 ヤクート・ソビエト社会主義自治共和国(現サハ共和国)でドイツ軍カメラマンの ホルガー・ヒルデブラントという人物が、赤軍に捕らえられてシベリアの強制収容所に 向かう途中に撮影されたものだそうだ。

映像は非常に短いが、極寒の地に長い毛に覆われたマンモスらしき姿の生物が動いているのが 映されている。

ヒルデブラントは1945年に強制収容所で死亡したとされるそうだが、 彼ら捕虜の遺品は戦後数十年経ってからドイツに返還され、 ヒルデブラントの孫娘が遺品の中からこの映像が記録されたフィルムを 見つけたそうだ。

また、どうやら撮影されたマンモスは更新世後期に生息していたケナガマンモスという種類だそうで、 シベリアの永久凍土層から発見されるマンモスの死体も、ほとんどがこれらしい。

マンモスはもともと、温帯ないし熱帯の生物であったという見解は、現在では通説になりつつある。

そして、地球の表面の海と内部の海は繋がっており、ヤンセン親子が通った巨大な水のトンネルは、地球内部に通じる穴の事だったと考えられるという。

この穴は背の高い水の壁に囲まれており、入口は霧に覆われている為、容易に発見する事は出来ないそうだ。


地球は空洞なのか?さんより
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