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熊本地震と日本人の覚醒
連日熊本を中心に大きな地震が続いています。
一日に何度も震度4以上の地震が続くのでは、被災地の皆様のご不安は相当なものとお察しします。
また、怪我をされた方や、お亡くなりになられた方々には、心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。
さて、今回の震災に限らず、日本列島はもともと天然災害の宝庫ともいうべき列島です。
地震、雷、津波、台風、火災、大水、土砂崩れ、凶作、噴火、干魃、落雷、大風、大雪等々、その都度、多大な被害が発生する国です。
そうした天災が多発する国土において、人々が平素から互いに対立し、いがみ合い、罵り合い、いざというときにも互いに文句ばかりを言い合うような、そんな社会が営まれたなら、いざ、災害というときに、みんなが一致団結協力しあってその難局を乗り切るなどということは、まさに夢物語です。
富にしても、ごく一握りの富者が富を独占して贅沢三昧な暮らしをし、他の多くの民衆が貧困にあえぐような生活環境下にあった場合、天災は、富者貧者の別なく襲いかかるわけですから、むしろ、災害の罹災に即応して富者からの略奪が横行することになり、結果として、富者も富者でいられなくなってしまうというのが、日本列島における、これは風土というべきものです。
そうであるからこそ、日本では上古の昔から、和を以って貴しとし、いざというときに困らないように、日頃から相互の理解と協調をし、できるだけ対立を避けることによって、いざというとき誰もがまるで同じ家族であるかのように、互いに助けあい、慈しみあい、支えあっていくことができる、そういう社会環境を育成してきたということができます。
また富も、一箇所に集中するのではなく、誰もがある程度の蓄えがある状態にしておくことで、隣の家を助けたり、けが人の面倒をみたりするなど、まさに共助の精神を養ってきたということができます。
こうしたことは、逆に考えたらすぐにわかることです。
どこかの国のように、官僚がおおいに威張り、民衆から収奪を繰り返したとします。
その官僚亭が大規模な地震で全滅する、あるいは大水が出て水没する。
そのようなことが、そのどこぞの国で起きれば、その国の民衆は大喜びでその官僚亭を集団で襲撃し、生き残った人を皆殺しにしたうえ財物を根こそぎ奪い、生き残った者は食べてしまいます。
天災のリスクは、民だけではないのです。
官にも等しく襲ってくる。
それを考えれば、日本の場合、日頃から官も収奪をしないし、民もいざというときには官民一体となって、みんなが生き残れるように努力する、復興に努力するという方向に向かうしかないのです。
自然災害が少ない国からやってきた人たちには、これは伝統的にまったく理解できない日本的な社会構造です。
彼らは、人を騙してでも、自分の財を得ようとします。
人の上に立てば、いくらでも収奪することができる、自己の欲望を満たすことができると考えます。
けれどそれは、大地が安定していればこそのことです。
早い話、震災で家屋が倒壊すれば、その人を騙して無理矢理人の上に立って威張っていた人が、近所の貧民と一緒に並んで配給米や配給水をもらわなければならなくなるのです。
日頃から恨みを買っていれば、いざというときに、食べ物も、水も得ることができなくなるのです。
だからこそ、日本では、上も下もない。誰もが(それぞれに仕事の役割分担としての上下関係はあっても)人として対等である、という文化が日本には定着したのです。
阪神地区で震災が起こり、東日本で震災が起こり、九州で震災が起こり、これで政治が相変わらず、対立と闘争と悪口と、権力争いばかりを続け、民の生活がかえりみられることがなく、人々が明日を考えることなく、過去を省みることもなく、いまの享楽と不満ばかりに走るようなら、おそらく、神々は日本を、というより日本人を滅ぼす方向に舵を切らざるを得なくなるのではないかと思います。
自衛隊は敵だ、警察は敵だ、消防も敵だ、そうやって故意に国内に敵を作ろうとする人たちがいます。
しかし、自衛隊も警察も消防も、いざというときのためのものなのです。
何もなければ、それはとっても幸せなことです。
しかし日本では災害が、ある日突然やってくるのです。
建設談合は敵だ、敵対的競争関係によって、建設費用が下がることこそが大事なのだという人がいます。
しかし、被災地において土木建設業は、復興のために欠かせない存在です。
そうであるなら、日頃からむしろ余力を蓄えておくくらいのことができていなければ、いざ、天災というときに対応できなくなることは、広島の土砂災害や鬼怒川の氾濫でも多くの被災地の人々が経験したことです。
縄文時代の始まりは、いまから1万8千年前とされています。
そして縄文人が、弥生人となり、飛鳥、奈良、平安人となり、鎌倉人となり、室町人となり、江戸人となり、明治、大正、昭和、平成人となっています。
はるか1万8千年の昔から、日本人は、日本という天然災害の多い国土の中で、生き残るために知恵を絞ってきた、そういう古くて長い歴史と経験を積んできているのです。
1万8千年よりも古い昔、日本列島は地球の最終氷河期の中にありました。
この時代、九州も四国も千島列島も、北海道と樺太、シベリア大陸も、全部陸続きでした。
九州の南部、鹿児島の先には四国の半分くらいの大きさの島もありました。
ところが気象が急速に温暖化し、南北極の氷が溶け、6千年前には日本列島のいまの平野部はほとんど海没しました。
この時代、関東地方は、関東海と呼ばれる広大な入江ですし、大阪は海の中にありました。
その時代を縄文海進といいますが、海岸線そのものも、長い時間の経過の中で、大きく変わってきたのが、日本列島です。
そして、冒頭に書いた、地震や、落雷、洪水、大風、大雨、洪水、火山の爆発などの自然災害と、日本人は、常に隣りあわせで生きてきたのです。
これが大陸なら、住み良い場所を求めて、民族ごと大移動するという展開もあったことでしょう。
けれど日本列島に住む日本人には、日本列島の中以外に、住むところはないのです。
だからこそ、いざ災害というときに備えて、日頃から、共助の精神を養い、いざというときに、その精神がいかんなく発揮できるようにしてきたのが、日本人なのです。
「熊本地震」4月16日空撮(宇土市・南阿蘇村)
戦後の私たち日本人は、過去を忘れ、GHQによって歴史や地理や神話の教育を禁じられ、GHQが去ったあとは、いわゆる敗戦利得者と呼ばれる人々によって、なお一層、日本人が歴史を忘れるように仕向けられてきました。
そしていまではすっかり、「対立することがかっこいいこと」、「匿名で他人を中傷することが正義」、「バレさえしなければ何をやっても良い」などと、大陸にありがちなおかしな考え方に染まる人が増えてしまいました。
けれど、それは間違いであることに、私たちは、震災の続くいまこそ、気づかなければならないのだと思います。
パナマ文書の公開によって、これからの時代、世界的なパワーシフトが起こりそうな気配です。
既存のあらゆる権威や権力が失われたとき、では、私たちが理想とすべきこれからの社会は、いったいどのような姿をした社会なのか。
それは、誰もが豊かに安心して安全に暮らすことができ、いざ天然の大規模災害が起こっても、迅速に救援措置が取られ、被災地の復興がまたたく間に進む社会なのではないでしょうか。
そしてそのためには、日頃から対立や中傷や足の引っ張り合いや、バレなければ何をやっても良いとか、勝てば官軍ではなくて、たがいに共助の精神をもって助け合い、誰もが対等な人間として尊重され、いがみあったり対立したりするのではなく、互いが何よりナカヨクすることができる社会ではないでしょうか。
もしかすると神々は、あらためて日本人に、この日本的共助の精神に気付くように、いま大掛かりな警鐘を発して下さっているのかもしれません。
今回の熊本地震の主役となった活断層は、中央構造線と呼ばれ、九州から四国を渡り、近畿からフォッサマグナを経由して関東の鹿島灘に至る巨大な断層です。
もし、今回熊本で起きた地震が、伊勢サミットを直撃していたら。
もし今回の地震が関東を直撃していたら。
他人事ではないのです。
日本に住む日本人は、1億が家族となって行かなければ、日本人の生存そのものが危うくなるのです。
それがわからない、日本人のふりをして日本に住んでいる日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たちには、考え方をあらためるか、それができないなら、もはや出て行ってもらうしかないのではないかと思います。
東日本大震災で空き巣を繰り返す朝鮮人
日本人のふりをして日本に住んでいる日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たち
ねずさんのひとりごとより
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