ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

人という名の万能細胞



人という名の万能細胞










遠藤憲一さんとお父さん









被曝の恐ろしさについて

DNAが破壊されて、細胞分裂が上手くいかなくなる






人類で最初に放射線を発見したのは、ドイツの学者レントゲンです。



彼は1895年に、陰極線管の実験中に、「正体不明の不思議な光」が発生しているのに気づき、『エックス線』と名付けました。



翌96年には、フランスの学者ベクレルが、ウラン鉱石から謎の放射線が出ている事を発見し、『放射能』と名付けました。



98年にはキュリー夫妻が、ウラン鉱石の中からラジウムポロニウムを分離して、

それらが放射能を持つと突き止め、『放射性物質』と名付けました。







ある国の被曝キャンペーン








当時は、放射能の恐ろしさは知られていませんでした。



少しづつ、「被曝は有害である」と分かってきたのです。





被曝の恐ろしさを理解するには、「生命の仕組み」を知る必要があります。



人体は、もともとは1つの『万能細胞』からスタートします。



その1つの細胞が分裂していき、分裂をくり返して人間の形になります。



大人の身体には、60兆個もの細胞があります。



どの細胞も、「遺伝情報」は同じです。



私たちの生命は、細胞分裂をしながら、同じ遺伝情報を複製することで支えられています。



細胞には核という部分があり、その核の中にはDNAの二重らせん構造で遺伝情報があります。



細胞分裂の時には、DNAの鎖がスーッと分かれて、片方の鎖がもう片方を正確に複製し、

新旧が対になって元と同じ配列で繋がるのです。



DNAの幅はわずか2ナノメートルで、繋げていくと1つの細胞につき長さは1.8mにも

なります。



ナノメートルの極細の糸を、正確に複製して繋げるのですから、まさに「神業・神秘」です。



放射能被曝は、この神業で組み立てられる遺伝情報(DNA)が、切断されて異常を

起こします。






1999年9月30日に、東海村の核燃料の加工工場で、『臨界事故』が起きました。



工場内の容器内で、予期せずに核分裂反応が始まったのです。



放射線が大量に放出され、避難勧告が出されましたが、700人近くが被曝しました。



中でも現場で作業にあたっていた3人が大量に被曝し、そのうち大内久さんと篠原理人さんが短期間で亡くなります。



2人は放射線医学の総合研究所に担ぎこまれましたが、治療は出来ませんでした。

被曝量を調べた結果、「もう助けられない」と分かったからです。



2人の被曝量は、大内さんが18シーベルト、篠原さんが10シーベルトでした。



人間は、2シーベルトの被曝をすると死ぬ人が出始め、4シーベルトでは半分が死に、

シーベルトでは全員が死にます。



2人は、被曝によってDNAがズタズタにされて、身体の再生する能力を失い、

苦しみながら亡くなりました。



当初の大内さんは外傷もなく、看護師とおしゃべりするほど元気だったといいます。



ところが、1ヵ月後には全身が焼けただれた様になってしまいました。

それは、皮膚の再生ができなくなったからです。



皮膚だけではなく、肉・骨・内臓も再生されず、ただれていきました。



大内さんは、毎日10リットルを超える輸血と輸液をしながら、天文学的な量の鎮痛剤を

投与され、83日後に他界しました。



その治療の経過は、『NHK「東海村臨界事故」・朽ちていった命』として出版されました。



痛ましい内容ですが、価値のある本です。







原発のウソ 小出裕章著から抜粋)







院長の独り言リンク









俺たちのDNAは被曝で…?













島唄


島唄



■概要

島唄」は「THE BOOM」というバンドの代表曲の中の一曲

THE BOOM」はバンドブームのはしりであった1986年(昭和61年)11月に結成し

そのバンド名は、「常に流行に左右されず自分たちの音楽を貫いていけるように」という逆説で

ヴォーカルの宮沢和史さんが命名したんだとか

島唄」は1992年1月22日発売のアルバム「思春期」に収録され

その翌年の1993年6月21日シングルカットされた「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が

全国発売となり150万枚以上を売り上げる大ヒットを記録しました

その年の紅白歌合戦にも出場、「レコード大賞」でも「ベストソング賞」を受賞し、

名前の通りブームを巻き起こしました

丁度その頃 全日空による「ANA'S SUMMER 沖縄」という

沖縄キャンペーンが行われており

森高千里さんが出演するCMがバンバンながれるなど

バブルの余韻が残る中「沖縄」ブームが
島唄」の背中を押して行った 
そんな時代背景でした



■「島唄」創作秘話

2005年朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」
というシリーズが連載され、
島唄」の創作秘話が語られ
この「島唄」の裏歌詞、本当の意味というのが話題になりました



朝日新聞宮沢和史の旅する音楽」引用


島唄』は、
本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、
沖縄音楽にのめりこんでいたぼくは、
沖縄の『ひめゆり平和記念資料館』を初めて訪れた

そこで『ひめゆり学徒隊』の生き残りのおばあさんに出会い、

本土決戦を引き延ばすための『捨て石』とされた激しい沖縄地上戦で

大勢の住民が犠牲になった事を知った

捕虜になる事を恐れた肉親同士が互いに殺し合う

極限状況の話を聞くうちにぼくは、
そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の中にいるような造りになっている

このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった

だが、その資料館から一歩外に出ると、
ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている

この対比を曲にして
おばあさんに聴いてもらいたいと思った

歌詞の中に、
ガマの中で自決した2人を歌った部分がある

『ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら』

という下りだ

島唄』はレとラがない沖縄音階で作ったが、
この部分は本土で使われている音階に戻した

2人は本土の犠牲になったのだから


2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)




■本当の意味


THE BOOM  「島唄」  作詞:宮沢和史

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けておくれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けておくれ 私(わくぬ)の愛を
島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)








ライブノートさんより
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沖縄の真実 リンク








 





食材宅配




卓球の女神


卓球の女神




15歳の卓球五輪代表・伊藤美誠
母の猛特訓と、規格外のメンタル


福原愛石川佳純に続き、3人目のリオ五輪女子卓球日本代表に選ばれた伊藤美誠。


ダブルス、シングルス両方でワールドツアー史上最年少優勝を果たし、世界に大きな衝撃を与えた15歳の少女は、どのように鍛えられてきたのか。そこには取材陣の想像を超えたエピソードがあった。



関西在住のライター城島充氏と新大阪駅で合流し、タクシーに揺られること10分ほど。マンションや商店が建ち並ぶ住宅街の一角に「関西卓球アカデミー」の入るビルはあった。日本生命卓球部、そして卓球女子日本代表の監督を務める村上恭和が2012年に開いたこの私塾が、伊藤美誠の練習拠点になっている。



伊藤のインタビューを行うのは昨年2月に刊行したNumber872号「ヒロインを探せ!」以来、約1年ぶり。前回は卓球に青春を捧げる少女たちの群像を描く「ピンポンガールズ!」の中の一人としてだったが、今回はリオ五輪での活躍が期待されるアスリートたちを追う新連載企画の第1弾。前回の取材時点では決して現実的でなかったリオの代表候補の座を、伊藤はみごとに掴んだのだ。



4月に行われるリオ五輪のアジア予選で、石川佳純福原愛が実力通りシングルスの出場枠2つを獲得すれば、日本に団体の出場枠も配分される見込みだ。世界ランキングで日本人3番手につける伊藤は、団体戦のメンバーとして五輪の舞台に立つことになる。


「14歳の時はダブルスって感じ」


現在15歳の伊藤は、1年前との違いをこんな言葉で表現した。


「14歳の時はダブルスって感じ。“みうみま”って感じでしたね。ダブルスがよければシングルスがダメ、シングルスがよければダブルスがダメっていうのが多かったんですけど、2015年は、韓国オープンだったらダブルスで優勝してシングルスは2位とか。そうやって、両方ともいい結果を出せたのでよかったと思います」

まだ中学1年生だった2014年3月のドイツオープン、同学年の平野美宇と組んだダブルスでワールドツアー史上最年少優勝を果たした時は、賞金額を聞かされて驚く無邪気な表情が話題になった。



その記憶もいまだ鮮やかな1年後、同じ大会で伊藤はシングルスの優勝者となる。ドイツオープンは、ワールドツアーの中でも最も格付けの高いスーパーシリーズの一つだ。ランキング上位者が集まるこの大会で次々と快挙を成し遂げる中学生が、いかにスペシャルな才能の持ち主かが分かるだろう。


母の“卓球中継胎教”


この時の戦いぶりが伊藤をリオの代表入りに大きく近づけることになるのだが、その成長の過程についてはNumber894号掲載の記事をぜひともお読みいただきたい。



今回の取材では、伊藤の母・美乃りのインタビューも行われた。娘が3歳になる前から始まったという卓球の猛特訓。その真相を確かめたかったのだが、母の発する言葉は取材陣の想像をはるかに超えていた。


「私は卓球が大好きで、社会人でも選手としてクラブチームに所属していましたし、テレビで試合を見るのも好きだったんです。妊娠期間中、美誠はお腹にいて映像を見れないので、私が見たままを実況中継して聞かせていました。口元からお腹に届くように曲がった筒を手づくりで用意して……」


ただその頃は、娘を卓球選手にしたかったわけではないという。自分が好きなものを伝えたい、同じ空間で感じてほしい。“卓球中継胎教”は、そんな気持ちの表れだった。


「素晴らしい子育てをされましたね」


しかしラケットを握るようになった娘の姿に、母は衝撃を受け、自身の選手生活をなげうってでも指導に全てを捧げる覚悟をする。卓球場では心を鬼にして厳しく接し、小学生の伊藤を連れてメンタルを専門とする大学教授に診てもらいにいったこともある。




「この子、どうでしょうかと話をしていたら、先生の目の前で美誠が爆睡し始めたんですよ。すると先生が言ったんです。『お母さん、もう答えは出てますよ』って」


大学教授は朗らかにこう続けたという。


「メンタルトレーニングが必要なのはお母さんです。なぜなら僕にアポをとって会いに来た人は今までいませんから。この子? 必要ありませんよ。寝るということは『私はあなたを必要としていません』ってことですから。子ども心にそれが分かっているんです。お母さん、素晴らしい子育てをされましたね」


美乃りのインタビューの間に写真撮影を終えた伊藤は、少し退屈そうにベンチで待っていた。そして気がつくと、ベンチに横になり、深い眠りについていた。


「もう十分でしょ」


規格外のメンタルをもつ15歳の心の声が聞こえた気がした。



Numberさんより
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伊藤美誠ちゃん リンク




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解放


解放



十字架を背負い続るSMAP 
解散は彼らの「解放」でもある


SMAPの解散は、本人たちにとったら解放なんじゃないのかって思うんです。ここ何年かSMAPをみていて苦しいなと思うことがあった。「27時間テレビ」に司会として出演していた時もそう。こんな役割を引き受けさせられてかわいそうだなと。SMAPも彼ら以降のジャニーズアイドルも基本的に解散せず、30歳を過ぎてもアイドルを続けてきた。その一番の理由は、人気が落ちないからでしょうが。


90年代以降の男性アイドルシーンはSMAPがつくってきました。80年代末までは「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」「夜のヒットスタジオ」といった歌番組に出ることがスターの条件。ジャニーズのアイドル、光GENJIや少年隊、男闘呼組も歌番組を通じてスターになっていきましたが、90年までに相次いで終了してしまう。アイドルは主戦場を失ってしまったんです。91年にデビューしたSMAPは場所を用意されていなかったから自分たちで新たな活躍のステージを切り拓くしかなかった。



いまでこそアイドルは歌だけでなく、俳優も司会も歌もやるが、それはSMAPがつくりあげたスタイルであって、SMAP以前と以降では明確な違いがある。


SMAP以前は、演技ができる男性アイドルはすごく限られていた。アイドルに演技力を求めるのは論外という扱いで、低く見られていました。しかし、稲垣吾郎NHK連続テレビ小説「青春家族」(89年放送)に続いてフジテレビの月9ドラマ「二十歳の約束」(92年放送)に出演したり、木村拓哉がフジテレビの「その時、ハートは盗まれた」(92年放送)、「あすなろ白書」(93年放送)に出演するなど、俳優としてのキャリアを積んでいった。





木村拓哉にとっては「ロングバケーション」(96年放送)の出演が決定的だった。つくり込まない、自然体の演技というのが90年代のドラマに入ってくるんですけど、木村はそんな演技を持ち込んだ一人。アイドルだけど、自然な演技ができるということで突出していった。90年代後半からの木村の圧倒的な人気につられる形で、しだいに全員が主役をはれるような存在になりました。SMAPの不動の人気は、誰か一人が突出しているのではなく、5人全員売れたから。草彅剛はグループ内では平凡的な位置づけですが、ドラマの俳優としてはむしろそっちの方がよかったりする。平凡な人間を演じられる方が需要があるんです。年を取ればとるほどその傾向は強くなる。


SMAPのメンバーがそれぞれ演技や司会など、プロフェッショナルであり続けているのは、本人たちが真面目だからでしょうね。昔はだらしなく崩れる人が多かったですが、SMAPや彼ら以降のアイドルは基本的にストイックで真面目ですよね。それは単なるアイドルではいられなくなったというのが大きいでしょう。



昔は、歌って踊っていれば、ちやほやしてもらえてそこで終われたはずだけど、いまはお笑い芸人と同じフィールドに立たなければいけなかったり、俳優として演技をしたりする。違うフィールドに出ていけば、必然的に半人前扱いしかされない。でも、結果をださなければ生き残れない。面白くなければいけないし、かっこよくないといけないし、歌も歌えなければいけない。それぞれの本当のプロ、たとえばお笑いのダウンタウンとかに勝てるかといえば、勝てないんだけど、拮抗できるように頑張らなければならない。平均点が高くなって、その結果、総合的に勝ったということではないか。



SMAPは開拓者であるとともに後継者でもある。トレンディドラマの流れからつながるフジテレビの月9ドラマ、その後に放送される「SMAP×SMAP」といったフジテレビが華やかで、景気が良かったころの最後の後継者。SMAPは解散によってそんなテレビ界最後のスターみたいな役割から、いい意味で解放させてもらえるのではないかと。もちろんそれでも中居正広はこれからも司会をするだろうし、他のメンバーも俳優で活躍するだろうし、個人個人が自由にやっていけるから、本来はもっと前にどこかのタイミングで解散してもおかしくなかったと思うんですけどね。SMAPがいなければ嵐が引き受ければいいだけですから。


トレンディドラマを延命させた一人が木村拓哉かもしれないし、「笑っていいとも!」などのフジテレビのバラエティ文化を引き継いだのは中居正広かもしれない。タモリ明石家さんまビートたけしといったビック3といわれる人達。もっとさかのぼると、ザ・ドリフターズクレイジーキャッツらの直系なんじゃないかな。彼らは演技も笑いも歌もできた。



SMAPがテレビ文化から離れられなくなっているというのは不幸な側面だ。いま明らかにテレビは下り坂。視聴者も高齢化しているし、新しい文化も生まれない中で、終わっていくテレビを引き受けさせられているのがSMAPなのではないか。伝統芸能のようになっているテレビの看板をわざわざ引き受けさせられているような。テレビは華やかでなければいけないというものの象徴になっている。


タモリが「笑っていいとも!」をずっとやめられなかった苦しさを、SMAPが引き受けるんじゃないかと漠然と思っていた。解散によってそれが解放されるなら、むしろそのほうが幸福なんじゃないか。





IRONNAさんより
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たしかに
親方の
地盤があっての
今現在

仕事が
出来る様になれば
独立していく

上手く
関係を保ちながら
お互い発展していく

もう
十ニ分に
奉公したはず

日本の
古来からある
師弟関係

親方に
呼ばれたら
また
応援にいく

持ちつ持たれつ
義理は通す

日本人なら
解るはず

通用しない
世界もあるのか?

いや
そんな事は無い

永遠に
人を縛れる訳が無い

お互い
人間だ
心がある

親方に
裏切られ

仲間にも
裏切られ

もう
同じ仕事を
一緒に
出来る訳が無い

職人の世界は
仕事の
遅い速いは
あるけれど

出来る職人で
1.5人分

二人集まれば
3人分

5人が
同じ方向を向き
力を
合わせれば…

夫婦も
家族も
兄弟も
同じ事

全ての事が
出来る人は
この世にいない

だから
自分の出来ない事を
してもらう

膨大な
材料を前に
一人の職人だけでは
収めていけない

仕事も
人生も
同じ事

彼らの
能力を
個々で使うか

また
力を合わせるかは

彼らが
決める事

心を
解放し
自分を見つめる

もし
時間が経ち
わだかまりが
無くなれば
また
やればいい

心を合わし
力を合わせれば
大概の事は出来る


俺も
あいつも
同じ方向を
向いているのか
前に進まないのは
何故だ

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自動車学校

SugarDaddy

勝者の言葉


勝者の言葉



藤田晋(ふじた すすむ/1973年5月16日-/男性)は、福井県鯖江市出身の実業家。株式会社サイバーエージェント代表取締役社長を務める人物であり、ライブドア堀江貴文楽天三木谷浩史と並び『ヒルズ族』の筆頭格として知られた起業家。青山学院大学経営学部在学中にベンチャー広告代理店で営業のアルバイトを2年半ほど経験。大学卒業後に人材派遣会社インテリジェンスへ入社。インテリジェンス社の出資を受けて1998年に起業し、株式会社サイバーエージェントを設立。2000年には東証マザーズ上場を果たし、史上最年少の上場企業社長として大きな注目を集めた。

(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス+ベンチャー通信)





著書

主な著書(共著含む)に「藤田晋の成長論 ブレずに、逃げずに、成長し続けるための50のメッセージ」「藤田晋の仕事学 自己成長を促す77の新セオリー」「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」「憂鬱でなければ、仕事じゃない」「渋谷ではたらく社長の告白」「起業ってこうなんだ!どっとこむ」「サイバーエージェント流成長するしかけ」「藤田晋渋谷ではたらく社長の成功ノ-ト」「ジャパニ-ズ・ドリ-ム 26歳上場企業社長のe革命宣言!」などがある。




藤田晋の名言集


何事でも「結果ではなく、
プロセスを評価してほしい」
という人がいるけれど、

僕はこれを聞くたび、
ただならぬ
違和感をおぼえます。

僕は経営者なので、
結果が出なくても、
本気で仕事に
取り組んだ社員には、

次のチャンスを
与えるようにしています。

しかし、プロセスを
評価してほしいと
本人が考えているとしたら、

一体どこに焦点を合わせて
仕事をしているのか
心配になります。

そういう人が
結果を出したのを、
僕は見たことがありません。

結局、仕事とは
勝負なのです。

勝とうとしなければ、
勝てるわけがない。

プロセスというのは、
結果論で得られる
副産物に過ぎないのです。

結果を出せる人は、
見た途端にわかります。
目つきが違う。

それは獲物を狙う、
タカのように厳しい。

初めから、
勝ちに行こうとしている。

そこにプロセスを
評価してほしいという
甘えはありません。

変革を恐れない者だけが、
先に行ける。

とどまったままでは
未来は無い。

苦しみ抜いて
得られたものにだけ、
価値はあるのだ。

ベンチャー企業
最初からデカいところを
狙うべきだけど、

厳しい現実を直視して
突破口をみつけていかないと
先に進めないよ。

新たなネットビジネスは
参入遅れによる
機会損失が莫大で、

それと比べれば
参入コストなど微々たるもの。

何より、とりあえず
スタートして
目鼻を付けることが肝心です。

目標がはっきりしていて
軸がきまってると、

価値基準が明確になり、
優先順位、有り無し、
優劣が一瞬で判断できる。

新しいネットサービスを
ローンチ(立ち上げ)したら、

早期撤退を決断するか、
片時も集中力を切らさず
矢継ぎ早の改善を
積み重ねるかの

2択どちらかを
選択しなければならない。

信念を持ち、腹を括って
突き進む人間は強いが、

モラルが無ければ
最終的にはこける。

スタートラインは
みんな同じではない。

キャリアを積むには、
この事実を知って、
スタートダッシュをかけ、

できるだけ早くに
成果を出すことが大切。

企業社会では、
忍耐力が無い人が
最初に脱落する。

「企業に入ってからの競争」
で求められる忍耐力とは、

結果が出ないときに
結果を出すまで
頑張り通せるかどうか。

基本的に
インターネットサービスは

「最高」もしくは
「最速」なものしか
生き残れないと思います。

会社はわらしべ長者
のようなもの。

やりたいことに辿り着くまで、
一歩一歩こまを
進めていかないといけない。

有望なベンチャー起業家の条件
「高尚で壮大な志を掲げつつ、
やっていることは手堅い」

流れがいい
と判断したときに、

仕事をサボって
いてはいけない。

夢をかなえる人は、
忍耐強く理想と
現実のギャップを

埋めていける人しか
いないと思う。

自分の強みは何か。
自分の立ち位置は今どこか。

未来のことを考える前に、
今の現実を率直に
見つめなければ
現状を打破できない。

たったひとつ、
これに命を懸けていると

言えるほどのものを
持っていることが
とても大切だと思う。

今がんばらなければ、
いつがんばる。

経営の「先見性」
の正体は、

「先送りしないこと」
にあると考えてます。



何かを
成し遂げるためには、

目標を明確にして、
それを見失わないこと
が大切です。

当たり前のようで、
これができない人は多い。

起業を目指していたはずが、
仕事に追われ、熱意を失い、
惰性の中で夢から離れてしまう。

ひとえに目標に対する
集中力が甘いからだと思います。

成長のスパイラルに入るには、
とにかく量をこなす。
それに尽きます。

ですから、
朝は始発電車で出社し、

ほかの社員が出てくる頃には、
営業先に向かいました。

成功する確率が高い人と
何度チャンスを与えても
ダメな人の違いは、

結果を出すことに対する
執念です。

結果を出す人というのは、
絶対に諦めない。

そして、泥臭くても何でも、
なんとか目標を達成するんです。

かたや結果を出せない人は、
諦めが早い。

そして「○○のせいで」
「結果ばかりでなく、
プロセスも見てください」

などと目標を
達成できなかった
言い訳をあれこれするのです。

弊社が求めているのは、
自分のアイデア
熱狂することができ、

プライドも何もかも
なぐり捨てて、

その実現に寝食を忘れて
没頭できる人材です。

社長業というのは、
まじめにコツコツ
働いていけば必ず成功する
というものでもありません。

時代の流れを読んで、
「ここは力を入れるときだ」とか
「ここは手を出してはいけない」

と勝負勘を働かせたりすることも
時として必要です。

自分のアイデア
熱狂している人は、
目つきが違います。

目つきが違う人の話は
信じていい。

仕事は最初が
勝負の分かれ目です。

早めに成果が出ると、
自信が持てるので、
ますますいい仕事が
できるようになります。

周りからも
「あいつはなかなかやるな」
と認めてもらえて、

どんどん仕事を
任せてもらえるようになります。

すると、それに
取り組んでいるうちに
さらに実力がついて…
というように、

成長のスパイラルに
入っていけるんです。

実績がない中で
新しいことを
始めるのは難しい。

でもそれが
起業家の使命なんです。

身の丈にあった
経営は重要ですが

会社が成長し続けるためには
どこかで勝負することも必要。

その際の判断基準は
80%くらいの勝算があり、

仮に失敗しても致命傷に
ならないかどうか。






最近やたらと目に付く
アメーバ
何処がやってるのか

サイバーエージェント
社長は誰だ
藤田晋という人物

なんと
桜井章一の弟子

やはり
流れを読む力

悪い時には
引く勇気

そして
自分に風が吹いた時
一騎に勝負する

掴めそうで
逃げてゆく

振り返れば
そんな人生

俺は本気で
勝負したのか

本当は
まだ力が
残っているのか

風を
吹かす為に

俺は
どうすれば
いいのか

明日が
あるなら

まだ
終わらない

俺の
最期は
笑っているのか

それとも


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プロの仕事


プロの仕事




待機児童解消の掛け声の裏で
「保育現場」が崩壊!
虐待、保育士の疲弊、ブラック化…


全国の保育所でこの10年間に少なくとも163人の子どもが死亡したと厚労省が発表した。その7割が認可外保育施設での事故だ。子どもを安心して預けられるはずの保育所での悲惨な事故――。


保育の現場で何が起こっているのか。しかも問題なのは何も認可外保育施設だけではなく、保育の現場全体が“崩壊”しつつあることだ。そう指摘するのは、保育の現場、そして母親たちを丹念に取材した『ルポ 保育崩壊』(小林美希岩波新書)だ。


女性が輝く時代に――。2013年4月、安倍首相は「成長戦略スピーチ」のなかで女性の活用をこう高らかに宣言した。そして働く女性にとって待機児童の問題解決が急務であり17年までに40万人分の保育を確保すると宣言した。実際、保育所への民間参入が進み、また幼稚園と保育園を合わせた「認定こども園」は昨年比で倍増した。しかしその実情は数字だけでは推し量れない、惨憺たるものだという。





「“箱物”は用意されても、肝心の人材確保や人材の教育が追いつかない。利益を出すことを目的とする株式会社の新規参入や事業拡大が目立つなか、『とにかく保育園に入れないことには仕事を失いかねない』という保護者の切迫した状況と裏腹に、とても安心して子どもを預けられないような現実がある」(同書より)


実際の保育の現場は殺気立ち、まるで「地獄絵図」のような光景が広がっているという。特に著者が問題視するのは株式会社が運営する認可保育所だ。


「午前一〇時頃、親に預けられた子どもたちが、部屋の壁が割れんばかりの大きな声で泣きわめいていた。(略)保育士は、皆若い。クラス担当の責任者でも二年目だった。(略)新卒の保育士が、『どうしていいか分からない』と口にしながら途方に暮れていた。リーダー保育士は怖い顔をして『泣き過ぎ!』と子どもたちに向かって叫んでいる」
「(昼食の時間)男の子がおしぼりを手にし、椅子に座ったが足をぶらんとテーブルに乗せてしまった。その瞬間に、力の強そうな男性保育士が『行儀が悪い!』と怒鳴りつけ、鬼の形相で、その手からおしぼりを奪い取り、テーブルにバシンとたたきつけた。そして、次の瞬間、その子の足を怒りにまかせて強くたたいた。まだ物事のよしあしも分からない一歳の子どもを、だ」



その風景は食事というより餌やりだったという。しかも、遊びのスペースは狭く、余裕のない保育士はきつい顔をして金切り声を上げ、言うことを聞かない子どもを乱暴に抱き上げたり引っ張ったりする。泣いている子どもも放置しっぱなしだ。


もちろん、そこには保育士の個人的資質では済まされない背景がある。そのひとつが保育所じたいが“ブラック企業”と化していること。保育士は多忙だ。株式会社が大展開する新設の認可保育所で働いた山本美穂子さん(40歳 仮名)の体験談は壮絶である。


「保護者のサービスを重視するため、午睡用のシーツを付け替えるのもすべて保育士の仕事とされていた。コストダウンのため、おしぼりを洗うのも職員で、洗濯機は常にフル回転した。トイレ掃除も保育士が行った」


さらに食事や排泄、子どもを遊ばせるなどの通常の保育士の仕事、連絡ノート、保護者向けの日誌、個別指導計画などの事務仕事や各種行事もある。早番や遅番などのシフト制だが時間通りに出勤しては園児の様子が分からないので2時間前倒しで出勤し、休憩の時間もない。終わらない仕事は持ち帰るというひたすら慌ただしい日々だった。これで給与は短大や専門学校卒で一律18万円、4大卒で20万円で残業代は一切なしだ。この間、山本さんは一度も自分の子どもに夕食を作ることができなかったという。





「職員は、疲れ果てて安全を保つのがやっと。朝は自由遊びをして、おやつ、昼食、午睡と、1日やることをこなすだけ。食べるのが遅い子がいると、若い保育士が後ろに立って茶碗とスプーンを持って、子どもの口のなかへかきこんでいった」


まるで虐待にも見えるが、しかし保育士もまた、殺人的な忙しさと不安定な雇用形態にさらされているのだ。多くの保育士が短期間で退職してしまい、人手不足も深刻だ。うつ病を発症してしまった派遣保育士もいたという。


そして、こうした状況は子どもたちの安全をも脅かす。14年6月には京都の認可保育所で用務員の職員が5歳の園児を園庭に投げ出し、1人が頭蓋骨陥没骨折の重症を負う事件も起こっている。


「事件当時、5歳児のクラスが体操をしている時間帯、担当保育士がいなかったことから用務員が配置され、保育士資格のある職員がいないという体制だった」


このように“地獄絵図”と化し、崩壊しつつある保育の現場だが、その最大の原因は国や地方自治体の予算の少なさと、現場を知らない政治家が人気取りのために行う待機児童解消策だと本書は指摘する。





現在、実質的な保育運営費は国の予算比率でわずか0.2%に過ぎない。しかも、「運営費(補助金)の人件費部分の積算基準が低く抑えられたままであること」と「現場の実態にあわない不十分な職員配置基準」の二点によって、保育士の処遇は一向に改善されないままだ。


さらに、待機児童問題が社会問題になるや、国を挙げての対策がとられ、民間企業の参入も急速にすすめられた。しかし、それは、前述のように現場の疲弊と混乱、そして保育の質の低下をもたらした。


「(今年)国が『子ども・子育て支援新体制』をスタートさせ、保育の認定や保育料、保育所運営のスタイルまで、がらっと変わることになった。既存の幼稚園や保育所に加え、認定こども園の普及も図る。『親の就労に関係なく子どもに保育と教育を』が掲げられているが、現場は大混乱となっている」


そして安倍政権が謳った「女性の活躍」の裏にも予算削減と待機児童問題があったと指摘する。


「(安倍首相は)『三年間抱っこし放題での職場復帰』と言って、民間企業の育児休業を現行の一年(場合によっては一年半)から三年に拡大させようとした。まさに、待機児童の多い年齢は家庭で、という発想の裏返しかもしれない」


「女性の活躍」「待機児童解消」という名目のもと、行われているのは予算カットと民間の参入による保育の質の低下、そして保育士にとってのさらなるブラック企業化というわけだ。


本書ではこれを改善するためには、まず保育士の処遇の改善が必要だと指摘する。そして周囲の大人が保育に目を向けるべきだと。


「幼い子どもたちの不利益を代弁するのは大人の役割だ。保育の現場で今、何が起こっているのかを直視し、保育の量だけでなく、その質についてもきちんと目を向けなければならない。良い保育の実現に向けて、保育所と一緒になって保護者や周囲の大人ができることが必ずあると信じている」


現場の崩壊を食い止め、子どもたちの安全と命を守るため、また働く女性が安心して子育てできる環境を作るためにも、保育を“地獄”から救い出す必要がある。



リテラさんより
画像は追加しています




私事ですが
私には
今年4歳になる
娘がいます

長男
次男
私も嫁も
若い頃でしたので
子育ても
なんとか
頑張れました

でも
夫婦共
40を越えると
以外と大変です
もうベテランの
はずなのに

自分の子どもでも
大変なのに
ましてや
他所の
大切なお子さんを
預かる

しっかり
食べさせて
遊ばせ
色んな躾を
少しずつ
教えていく

明るい子
大人しい子
ケンカばかりする子
泣いてばかりいる子

子どもが好き
そんな簡単な精神で
務まる訳が無いのです

時給のアルバイトで
出来る訳が無いのです

保母さんに
なるまでは
子どもの事
栄養学
保険学
危機管理
色んな事を
勉強して

新米の坊主から
現場に立ち
色んな経験を積み
諸先輩にしごかれ

少しずつ
まともに
なっていく

保育園には
園長先生という
大ボスが
目を光らせている

そんな環境だから
親たちも安心して
預けられる

安全に
プロの仕事
職人なのです

ある程度の
賃金をとって
当たり前

あなたに
保母さんの
代打が出来ますか?

子どもたちに
私たちの税金が
使われるのは
当たり前

だって
未来は
この子どもたちが
作るのだから

ご近所の
まだ若い奥さんから
聞いた話しです

公立の
保育園が
閉鎖になり
子どもを
預ける所が無い

仕方無く
民間の
認定保育園に
夜6時頃
訪問された様です

そこで見た光景は
真冬の12月です
裸ん坊で
床間の廊下で
冷たいオマルに座る
2歳位の男の子

部屋の中では
20代であろう
若いアルバイトの保母が
4歳位の女の子を
激しく怒鳴り散らす姿

もちろん園長は不在


「安かろう、悪かろう。」
職人の世界にも
あります
先輩の番頭さんから
教えられました

やはり
現場の仕事も
安い下請けに
任すと

まともな
仕事には
ならない

あなたは
見合う代金を
払わず
文句を
言っていませんか?

100円マック
クレームを
言っている

あのOLの様に…






中古車一括査定


葬儀レビ







この世の終わりのシナリオ


この世の終わりのシナリオ




人々の恐怖心が計画的に増幅されつつある


地球の生まれ変わり(次元上昇)に大きな影響を及ぼすのが人類の集合意識である。いま地上で生活している多くの人たちが恐怖心に覆われることによって地球の波長が乱れ、次元上昇のための産みの苦しみがますます激しくなることが予測される。



日本人の心に、不安と恐怖を増大させる
負のエネルギーこそが、被害を大きくする
奴等は、無意味な事はしない


「世の終わりのシナリオ」の6番目では、人類の集合意識が地球文明の破局にどう関係しているのかということについて検証してまいります。


「集合意識」というのは、厳密に言うと「集合的無意識」のことですが、この「無意識」という概念はフロイトユングによって明らかにされたものです。人には自分では認識できない心の働きがあるということで、「無意識」のことを今日では「潜在意識」と呼んでいます。

そして、自分の潜在意識をコントロールすれば、その運命まで変えることができるといわれているのです。そのあたりのメカニズムは『2012年の黙示録』(たま出版)の中で詳しく述べています。以下にその一部をご紹介します。



S学会 膨大なエネルギーを吸い
日本を幸福に導く?


■人の意識は人類の集合的無意識とつながっている


この潜在意識のことを、ユングは「無意識」と命名し、「個人的無意識」と「集合的無意識」に分けて説明しています。個人的無意識は個人ごとに違いがあるということです。肉体の特徴や健康面の違いなどは、個人的無意識の違いを反映しているということでしょう。

その奥にある集合的無意識は人類全体が共有する意識のことで、これも個人はキャッチ(認識)することはできません。

ここで、顕在意識と潜在意識の関係を理解していただくために、水に浮いた氷山を思い浮かべてみてください。水面よりも上に出ている氷の部分が顕在意識です。これは私たちが認識する(見る)ことができます。そして、水面の下に隠れて見えない部分が潜在意識にあたります。





この潜在意識のなかでも、水面に近い部分が個人的無意識、それより深いところにあるのが集合的無意識というわけです。そして、この集合的無意識は深い深いところでは一つの塊となって、地球意識や宇宙意識へと繋がっていると想像してください。

逆に考えると、水中の深いところに一つの巨大な氷の塊があって、そこから氷が枝のように分かれて無数に突き出しており、それぞれの枝の先端部分が水面の上に現れているというイメージです。その一つ一つの突き出した枝の部分が私たち人間ということです。

私たちは、普段は水面の上に出ている顕在意識しか認識することができませんから、人間は一人ひとり別々のものであると思っています。まさかその心の奥深いところで、氷山のような一つの大きな意識体に繋がっているとは思えないのです。そのため、私たちが考えたことが他の人たちに伝わることなど、考えてもみませんでした。ただ、「人の悪口を言うと必ずその人に伝わる」といった考え方があったのは確かです。そのメカニズムは、この氷山の例でご理解いただけたと思います。

私たちは毎日心を動かしていますが、その心の動きは波動として潜在意識に蓄積され、さらには人類の集合的無意識の中にも蓄積されていくのです。逆に、集合的無意識の中に蓄積されているさまざまな波動は、人の潜在意識に影響を与え、時には顕在意識の中にも「ひらめき」や「胸騒ぎ」「予感」といった形で伝わってくることがあります。

潜在意識の中は物質の束縛のない波動の世界ですから、すべての波動が瞬時に行き交っているということです。月に行ったアポロ飛行士が、「月面では疑問に思ったことに対する答えが瞬時に返ってきた」と語っていたそうですが、これも肉体の束縛が軽くなった結果だと思われます。

                    
『2012年の黙示録』
(たま出版)


この地球に住む私たち一人ひとりの潜在意識の集合体が人類の集合的無意識ということになります。意識も波動ですから、集合的無意識の中では、同種の波動同士が引き寄せ合って一定の領域を形成していると考えることができます。

「歓び」の領域もあれば、「怒り」の領域もあり、「恐怖心」の領域もあることでしょう。私たちは普段の意識の状態(心の波動の状態)に応じた無意識の波動領域とつながりをもっているのです。いわば、一種のチャネリングをしているということです。その時に働くのは「波動共鳴の法則」です。

つまり、「類は友を呼ぶ」という法則によって、怒りの気持ちは人類の集合的無意識の中に存在する「怒り」の領域とのつながりを強め、そのパワーを強化し合うことになります。

個人として見れば、「怒りのエネルギーを貯金する」ということです。その結果、怒りっぽい人の周りには、ますます怒りたくなるような出来事が起こり、そのエネルギーを強化することになります。

さらに、そういう怒りっぽい人の想念が「類は友を呼ぶ」形で引き寄せ合って集積されると、波動の共鳴現象によって「怒り」のエネルギーはさらに増幅していくことになります。「怒り」の貯金にどんどん利息がついていくという感じです。


終末現象の中で最も強化されると考えられるのが、「悲しみ」「恐怖」「怒り」「後悔」といったマイナスの心の波動です。既にその兆候は世界中で顕在化しつつあります。

我が国でも、マスコミが首都圏や東海地方における大地震の発生をしきりに取り上げていますが、その地域に住んでいる人たちの潜在意識の中には、少しずつ「地震を恐れる気持ち」が蓄積されていると考えられます。「地震を恐怖する波動領域」にエネルギーがマグマのように蓄えられつつあるのです。


ひところマスコミが盛んに取り上げたマンションの偽装問題も、地震の発生による悲惨な事態を想起させる効果が絶大です。

多くの人々に「地震を恐れる気持ち」を抱かせる報道がなされ、ますますエスカレートしつつあるのを感じます。「地震を起こして日本という国を物理的に破壊し、人心を惑乱する」意図を持った勢力が、マスコミを使って恐怖心の増幅を計画的に進めているものと見られます。


ロックフェラーの名で国連に送られた恐怖のシナリオ

2001年9月11日、今日の物質文明の象徴とも言えるアメリカの世界貿易センタービルに、旅客機を装った2機の無線操縦による航空機を突入させた勢力は、人類の「恐怖心」というエネルギーの大量生産に着手したのです。それは、彼ら自身が「終末」の到来を熟知しており、それに備えて、この世界がスムーズに新しい世界へと次元上昇するのを阻止するために、人々が恐怖するような事件を計画的に起こしているものと見られます。

陰の超国家権力の一角を占めるロックフェラーが、「9・11」事件に触れて国連に寄せた書簡の内容が明らかになっています。


■闇の権力が描く近未来の世界「終末のはじまり」


闇の権力は傀儡国家――アメリカを軍事大国化させ、世界各地で戦争を起こさせた後、崩壊させようと考えています。その青写真を記した書簡が、2002年3月22日、ロックフェラー家から国連総会に送られました。「新世界のためのアジェンダ」と名づけられたその青写真とは次のようなものです。


◇ 中東和平の完璧な、手の施しようのない瓦解。

バチカンエルサレムは、宗教テロリストたちによって破壊される。

◇ すべての宗教は世界的規模で崩壊する。すべての宗教は禁止される。

国連は臨時単一政府を樹立する。

◇ 新しい単一世界国家の市民が出現する。アメリカ、イギリス、中国の政府は瓦解し、
その他の世界も無政府、無秩序状態に陥る。

◇ 新しい政府機構は14万4千人のエリート官僚と、600万人プラスアルファの役人が支配する。

◇ 新世界が創出されるにつれて、大量掃討作戦が開始される。

その後、経済システムは復活し、インフラストラクチャーは再建される。

疾病と病気は消滅し、年をとること自体がなくなる。

一つの新しい復元された人間の家族が徐々に地球をパラダイスの状態にする。

そして、「終末のはじまり」と題された手紙には次のように書かれています。

「終末の時が近づいている。好むと好まざるとにかかわらず、それはわれわれすべてが直面せざるを得ない運命である。2001年9月11日、世界は終末の目撃者であった。われわれが見たもの、経験したことは、まもなく明るみに出るはずの大災害には比べるべくもないだろう。これまで非常に多くの生命が失われてきたが、それ以上に多くの生命が失われるだろう。今存在している、あるいは古代からある人間の政府は、ひとつも完全な支配は維持できなかった。いかなる政府も失敗してきたし、失敗するだろう‥‥」

つまり、彼らの言い分では、9・11テロなどは「終末」のほんのプロローグであり、これからもっと悲劇的なことが起こるのだというのです。「そんな馬鹿な」と思う人もあるかも知れませんが、彼らの掲げた新世界秩序の目標は着実に実現しています。それを思えば、「アジェンダ」がまったく荒唐無稽なものとは言えないでしょう。

最近、闇の権力のシナリオを描いた絵を目にしました。9コマで描かれたその絵には、高層ビルに突っ込む飛行機、煙を上げる五角形の建物(つまり米国防総省)などが描かれています。注意していただきたいのは、これは何年も前に「将来を予想して」描かれた絵であって、9・11はそのずっと後に起こっていることです。他の絵には、暴力で抑圧される群衆、生物化学兵器核兵器での殺し合いなどが描かれ、最後のコマには「ムダ飯食い」を排除した後と思われる「静かな」世界が描かれています。
今や世界は I T 社会で、世の中はどんどん便利になっています。しかし、それは、闇の権力が人々を監視するためのシステムであり、家畜化への準備に他なりません。私たちはどこに住んでいるかはもちろん、財産はどのくらいか、いつ誰に電話したか、どこで何を買ったか、どんな犯罪歴があるか、どんな本を借りたか、どんな疾病があるか、等々のデータをすべて把握されています。街中に出ても防犯カメラや、ETC(自動車のノンストップ料金収受システム)に見張られ、何時頃、どこにいたかを監視されています。闇の権力は近い将来、人体にICチップを埋め込んで「家畜化」を本格化させようとしていますが、すでにペットは迷子防止のためチップが埋め込まれ、人間にも痴呆老人の徘徊防止や、幼児の誘拐・迷子防止などを理由に、希望者への埋め込みが始まっています。

『世界はなぜ、破滅へ向かうのか。』(中丸薫・著/文芸社



この手紙は何者かがロックフェラーの名を語って国連に送りつけたもので、ロックフェラー本人の手紙ではないという説もあります。国連の実質支配者の1人であるロックフェラーにすれば、このような手の込んだことをする必要はないという理由です。しかしながら、ニセ手紙ということが証明されたわけではありません。ロックフェラー自身はこのことに沈黙を守っているからです。

私は、この手紙こそ世界中にちりばめた“手先”たちに闇の勢力の中枢から送られた計画表だと見ています。“手先”たち一人ひとりに文書を送りつける危険を冒さずに、堂々とこれからの計画を伝えることができるからです。
 


ロックフェラー自身の手紙かどうかという問題は別としましても、この計画は何者かの手によって実行に移されていくのではないかと見ています。世界の情勢がこの「アジェンダ」の通りに進行しつつあるからです。いま世界各国が抱える問題は、とても一国の政府で解決できないほど深刻になっています。食糧問題ひとつとってみても、今後は輸出国と輸入国の厳しいせめぎ合いが行なわれることになると予測されます。

このように、世界には意図的に人類の恐怖心を増幅させようとしている勢力があるということを知っておくことは大変重要です。その上で、これから起こると思われるまざまな終末現象に心を奪われることなく、冷静に「身魂磨き」をしていかなくてはならないと思います。身の回りに起こる出来事は、すべてこの物質世界を卒業するための試練であり試験であると思って、日々の暮らしを前向きに、力強く生きていくことが求められています。



ここで、「身魂磨き」という言葉を現代風に説明したわかりやすい一文をご紹介しておきましょう。「磨く」ということはすなわち「楽な道へ逃げる」ということでなく、「苦難に耐える」という意味を含んでいるということです。


■逆境に立ち向かう


「雨風は樹木を強くする」という格言がある。人間も同様だ。逆境にさらされると、人間は強くなる。逆境は永遠には続かない。だが、逆境に屈してしまうと、逆境はいつまでも続く。

自己啓発の大家ナポレオン・ヒルは「すべての逆境には、それと同等かそれ以上に大きな恩恵の種子が含まれている」と言っている。恩恵の種子を見つけるのは難しいかもしれないが、すべての試練には必ず解決策が隠されており、多くの場合、その解決策を実行すれば大きな恩恵を受けることができる。

逆境は日常的なできごとであり、あなたの実力の試金石である。あなたの心の持ち方しだいで、それは障害物にもなれば跳躍台にもなる。こすらなければ宝石を磨くことができないのと同じように、逆境がなければ人格を磨くことはできない。

逆境とは、未解決のチャンスのことだ。すべての問題には解決策があり、いったん解決すれば、それはもはや問題ではない。小さな挫折は、あなたが遭遇する次の試練にうまく対処する能力を高めてくれる。

『自分を磨く方法』
(アレクサンダー・ロックハート著/ディスカバー)



この世の終わりのシナリオさんより
画像は追加しています。





グリッターティガ
子どもたちの
純粋な想いが
死んだはずの
ティガを甦えさせ
巨大な敵を倒す

ウルトラマン
絵空事か?

強い想い
想念が
現在を変えてゆく

ウルトラマン
制作してるのも
実は◯◯結社

類は友を呼ぶ
悪い事は連鎖する

ツいてる時は
何をしても
上手くいく

言わなくても
あなたは
気が付いている

何万
何千万の
崇高なエネルギーは

無意味では無い






進化論の嘘


進化論の嘘




ダーウィンの進化論は間違っていた?
人類は宇宙人に作られた説



ダーウィンの進化論が穴だらけなのは有名な事です。

今からおよそ146年前にダーウィンは、すべての生物は自然淘汰により進化したもの、と発表しました。しかし、人間については言及されていませんでした。人間はほかの動物に比べ進化の時間が異常に早かったのです。当のダーウィン氏も「あらゆる生物の中で、進化論に一番あてはまらないのは人間だ」と述べています。またダーウィンの共同研究者であったアルフレッドウォーレスも「人間だけは自然淘汰の原理がはたらいていない」と述べ、さらにこう言いました。               

       
「ある知的存在が人間の発達を指導、決定した。」

ルフレッドウォーレスは人間の進化には明らかにだれかの介入があったと分かっていたのかもしれません。またウォーレス氏は次のようにも述べています。


「人間が猿から誕生することなどあり得ない
宇宙人が人類の創造主である」


「進化論」、猿から人へが一般的ではありますが、その進化の過程には多くの矛盾と謎があり、信じていない人も多く、欧米などでは、神に作られたという「創造論」も根強く信じられています。



創造論」は基本的に、ユダヤ教キリスト教イスラム教などの宗教ごとにそれぞれの神によって人間は作られたというもの。そうではなく“宇宙人”に“遺伝子操作”で作られたのが“人類”である、という説も実はあるのです。



どこの宇宙人に創られた?


アヌンナキ説

エロヒム

ノンモ説


アヌンナキ説

約45万年前に、ニビルでは星の存続の危機に会う。
その危機とは、ニビルの大気が宇宙空間に拡散し、それによりニビルに生物たちは絶滅の危機に見舞われたというもの。
原因をつきとめたアヌンナキは、その解決策は“黄金の粒子”を利用してシールドを作り、大気拡散の防御でした。

アヌンナキの当時の王である「アラル」は、太陽系の“地球”に金が大量にあることを発見する。
アヌンナキ達は、都市を築いた後、金の採掘に便利な労働力を得ようと、約30万年前に当時地球にいた「猿」と「アヌンナキ」の遺伝子操作で掛け合わせ「人類(ホモ・サピエンス)」を創ります。

そう、人類は彼らの労働を担う「奴隷」として誕生しました。
メソポタミアの地に都市を築きます。
そう、彼らこそメソポタミア文明を築いた「シュメール人」なのです。
当時の地球に居た猿人の女性から卵子を取り出し、宇宙人アヌンナキの男子の精子体外受精し、遺伝子操作を行い、宇宙人アヌンナキの女性の子宮で育てた。 これが全ての現人類の起源。

彼ら宇宙人アヌンナキは最初は表に姿を現して人類を指導していましたが、その後は姿を隠し、彼ら宇宙人の直接の血を引く人々(ヨーロッパの王室など)や秘密結社を通じてマインドコントロール等で地球人類を操作しているといいます。



古代シュメール語聖書には、神とは地球を訪問した異星人であり、異星人の乗り物の燃料である金塊を採取するため地球に来たと記載されている。

このシュメール人を調べていくにつれ1番驚く事が「王様の在位期間」であり非常に謎に包まれている。なぜなら、初期の王達の在位が一万年を軽く超えているのである。

もしこれが事実であればとんでもない寿命の長さであり、どう考えても人間ではない。


初期王朝時代I(大洪水以前)

エリドゥ王アルリム
(在位28800年間)
エリドゥ王アラルガル
(在位36000年間)
バド・ティビラ王エンメンルアンナ
(在位43200年間)
バド・ティビラ王エンメンガルアンナ
(在位28800年間)
バド・ティビラ王ドゥムジ(牧神)
(在位36000年間)
ララク王エンシブジアンナ
(在位28800年間)
シッパル王エンメンドゥルアンナ
(在位21000年間)
シュルッパク王ウバル・トゥトゥ
(在位18600年間)


彼らが宇宙人であるのであれば王の在位の長さも納得がいく。
宇宙を旅するのであれば、星々を巡る旅は非常に長い時間を要したはずであり、彼らの寿命の長さから考えてその長寿のおかげで宇宙での旅も耐えれたのではないかとおもわれる。
宇宙を旅して地球まで来れる彼らです。
猿と掛けあわせて遺伝子操作で人類を作ったという話も彼らのテクノロジーだと可能でしょう。


エロヒム

ラエル氏はカーレーサーだった。ある日、宇宙船に遭遇し、降りてきた宇宙人エロヒムに出会い、異次元の世界に案内され、人類の起源は宇宙人エロヒムが人間を創造した事が始まりであると教えられた。

出典
人類の起源

人類は、異星人がその優れた科学力によって、25,000年前にクローン技術によって創作したのである。
出典
ラエリアン・ムーブメントとは、いかなる宗教か?

宇宙人は自分達はエロヒムヘブライ語で「天空より飛来した人」の複数形)であると名乗り、地球の生命は全てエロヒムが大昔に創造したものだと語った。彼らは文明が高度に発達した惑星から逃げ出してきた科学者で、DNAの合成実験により人工生命を生み出したのだという。また、旧約聖書の内容は宇宙人による地球生命の創造を記したものなのだと語った。
エロヒムが人類を導くために送り込んだのがモーゼ、イエスブッダマホメットなどの宗教的指導者たちで、その最後にして最大の預言者がクロード・ボリロン・ラエルであると言うのだ。

ラエル(ボリロン)はエロヒムの最高指導者ヤーウェに導かれて彼らの惑星に行き、イエスブッダマホメットらと会って会話し、自らの額から採取した細胞からクローンが作られるのを見たという。




キュゥべえは端末だった
グレイタイプは?


ノンモ説

西アフリカ・マリ共和国に住むドゴン族には、現代天文学の最先端情報と酷似する奇妙な伝承がある。それはシリウス(太陽を除く恒星では全天で最も明るい星)に関するもの

出典ドゴン族のシリウス神話

宇宙の創造主であるアンマが、ト・ポロ(シリウス)でノンモ(シリウス星人?)を作り、更にそのノンモ(シリウス星人?)の胎盤から作ったのが我々地球人である




もし進化論が正しいのなら
人間はいずれは
スーパーサイヤ人になれる?
おそらく無理でしょう
人間は進化してると
思いますか?

説明するまでも無く
人間は誰かが
遺伝子操作で
造られたものです

理由は
皆様は
もう気が付いてますね

そう
奴等は遊んでいるのです

惑星に生命体を植え
文明を授け
いずれ争いが起き
核戦争で
惑星諸とも滅ぶ

幾度と無く
見ているのでしょう

人間が唯一の
知的生命体だと言う
根拠が何処にありますか?

地球が滅んでも
痛くも痒くも無い

奴等の寿命は
遥かに長く
知能も数段上
優れた遺伝子が
あれば奴等の血と
掛け合わし
また進化していく

比較的
勤勉で頭のいい
あの国?は
反乱防止の為に
人口削減
絶滅の方向

地球が無くなれば
また違う惑星を
創造するだけ

猿は
何年経っても猿
人間は?
前回は
猿の惑星だった?

奴等にとって
想定外
賢くなりすぎた
脅威の
あの国?から
突然変異で
超人類が
誕生するかも?





2000円で婚活


電話占いヴェルニ


55ハッピーライフ







ドンキーコング3


ドンキーコング



小学一年生の時、親にはじめてゲーム機を買ってもらった。


そのゲーム機というのがスーファミだったんだけど、世は1997年、プレステやセガサターンが大流行してた年で、「貧乏なうちの家計ではひと世代前のこれが精一杯なのか」って子供ながらに寂しく思ったのを覚えている。





その時に合わせて買ってもらったゲームソフトがドンキーコング3だった。


ロックマンXバイオハザードがやりたかったオレとしては「子供じみたゲームだ」ってここでも親のチョイスに不満を持ったが、いざゲームを始めてみるとさすが任天堂の傑作ゲーム、俺ら兄弟はすぐに画面を縦横無尽に駆け回るサルの姉妹のトリコになった。



俺には一つ上の兄がいて、ゲームは俺と兄の共有物だった。うちはテレビが一台しかなく、ゲームは1日30分と決められ、母親はパートに行く際コントローラーを持って行ってた。


それくらい環境が厳しかったので、ゲームができる時間帯は母が帰ってきた17時から、父が帰ってきてテレビを見出す19時までの2時間しかなかった。


そのため、一方がゲームをしているときはもう一方がその終わりを待って隣でジーっと待機することになる。





一方のゲーム時間が30分をオーバーしたり、一方がゲームを始める時間にちょうど好きなアニメの放送時間に被ってしまうことも多々あり、俺ら兄弟はゲーム関係の争いが耐えなかった。


ある日、どういう理由でだかは忘れたけど、きっとそんな感じの理由でゲーム中の兄と大ゲンカしたことがあった。そのケンカもいつも通り俺の負け。



7つの俺にとって8つの兄はめちゃくちゃでかく見えたし、知らないプロレス技なんかいっぱい持っててどうあがいても勝てなかった。


しかしその日は、俺を締め上げた後、悠々自適にゲームを再開する兄の姿に抑えきれない怒りを覚えた。


うずくまりながらタイミングをうかがい立ち上がると、稼働中のスーパーファミコンを蹴飛ばし、ドンキーコング3のソフト箱と説明書をズタズタに引きちぎってやった。


ゲームは兄との共有物だったので、結果的に自分のものを壊することになったけど、兄を困らせてやりたい一心でそんなことに考えも回らなかった。


そのあと、兄に散々絞められたあげく親にもこっぴどく叱られ、しばらくの間ゲーム禁止が言い渡された。


自分で言うのも何だけど、子供なんてほんと単純で、その後ご飯を食べ、お風呂から上がったころには先ほどの怒りは跡形もなく、あるのは後悔ばかり。


ゲームができない時間はゲームの説明書を読んで過ごしてた俺にとって、説明書はとても大切なものだったし、何より蹴飛ばして動きを止めてしまったスーパーファミコンが壊れていないかどうか心配だった。(ゲーム禁止されたので、動作確認すら2週間も待たなければならなかった。)


そんな後悔ばかりして寝て次の日を迎えたんだけど、そこからがおかしかった。


翌日の17時。お母さんがいつものようにパートから帰ってくると、ゲーム禁止期間にも関わらず俺たちにいつものようにコントローラーを渡してきた。



なんで?と思ったけど、突っ込んだらゲームができないと思ったので、そのままいつも通りゲームをしようとスーファミを閉まっている棚を開けると、中にいつも通りドンキーコング3のソフト箱が置いてあった。中身には説明書も破れてない綺麗な形で。


これには俺たち兄弟も混乱したが、とりあえずゲームした。心配だったスーファミの動作も無事で問題なかった。


ゲームが終わったあと、俺ら兄弟は「なんで?なんで?」とお互いに確認し合った。兄もそう言うんだから昨夜のことは夢ではないらしい。


食事の時間、恐る恐る親にその話を聞いてみても、「昨日そんなことなんかなかったよ」と言われ、取り合ってもらえなかった。


貧乏だったし、クリスマスすらしなかったうちの親が俺らを驚かせるため、秘密でドンキーコングのソフト箱と説明書を揃えたとも思えない。(そんなことしても何の意味があるわけではないし)


兄とはこの不思議な出来事を共有し、「世界がバグったんだろう」と当時の俺らは結論づけた。前日のあの状態がセーブされてなかったんだと。


今でもたまに兄とこの話をするけど、当時出した結論以上の答えを、25,6歳になった俺らは未だ出せないでいる。















道の精神


道の精神




古賀氏の愛娘 ひよりさん
女三四郎登場か



なぜ外国人は武道にハマるのか? 
サッカーや野球にはない「残心」の美しさ


剣道愛好家で関西大学準教授のアレキサンダー・ベネット氏が木刀を手にしながら、武道の中にある人生哲学の枠組み、普遍的な美しさなど、多くの日本人が知らない武道精神について語ったスピーチ。日本の武道がオリンピック種目として認められ、世界中で愛されている理由とは? 武道とスポーツの違いとは? その秘密は「残心」にありました。(TEDxMeieki2013 より)


スピーカー関西大学 国際学部 準教授 Alexander Bennett
アレキサンダー・ベネット氏



日本の武道は世界中に広がっている

アレキサンダー・ベネット氏 皆さんこんにちは。ニュージーランドのベネットと言っていいでしょうか。日本のベネットでもあります。人生半分、ちょうど半分ですね、日本に住んでおりますけれども。初めて日本に来たのが17歳の時だったんですね。その時は千葉にある稲毛高校というところに1年の留学できたんですけれども。(私は)ニュージーランド人ですから、ニュージーランド人はだいたいスポーツが好きで、私はずっと子供の頃からスポーツをやっております。主にサッカー、それにクリケットとか、いろんなスポーツをやっているんですけれども。日本に来たらですねサッカーをやろうと思ったんですね。稲毛高校のサッカー部に入ろうと思ったんですけれども、グラウンドを見たら芝生がないです。それが日本の高校のグラウンド、普通そうなんですよね。芝生があるところ、すごい贅沢ですけれどもニュージーランドは当たり前なんですよね。芝生がないところで「サッカーできるかー!!」と思ってね。砂利の上でそんなケガしてしまうやないか、ということをちょっと不安になって。それでホームステイのお母さんから「せっかく日本に来ているんだったら日本の伝統的のスポーツやったらどうでしょうか」というアドバイスをいただきまして、何をしようかなと。柔道。うちの学校には柔道あったんですけれども、柔道はそんな興味ないなぁ。剣道ってなんかね見たことがないんですね。すごい激しい、スターウォーズみたいな感じだったんで。先生が非常に怖い人で 典型的な体育の先生でね。先生なのかヤクザなのか、よくわからないような、ほんっとうに怖い人で、まあダースベーダー役ですよね。それで他の部員たちがもう必死にかかっていくような。それを見て「これおもしろいな」と。「それやってみよう」と。1週間やったらですね「辞めたい」。臭いし、うるさいし、先生が怖いし、わけがわからないんですよね。当たるだけでは一本ならないんですよね。いろんな難しい条件があるんですよ、剣道は。有効打突というんですけれども一本になるために、例えばこれは木刀ですけれども、普通は竹刀を使いますよね。竹刀のこの(切っ先)部分、「物打ち」というんですけれども、それは刃筋正しく、面、小手、胴もしくは突を正確に打たなければならない。それだけじゃなくて「気剣体一致」というのも必要です。気持ちと竹刀と体が一つならないと一本にならない、というような、非常に難しいんですよ。だから剣道やろうと思ったらすぐできるものではないですね。慣れるまで2、3年かかります。竹刀を体の前に、持つというのは非常に不自然です。バランスが取りにくい。それと足の裏もマメばっかりになって、もう痛いですよね。僕、剣道すぐ辞めたかったんですけれども、先生が怖いもんですから辞めさせてくれなかったということで……今に至るという感じですね。20なん年も経ってます。皆さんどうですか、おそらくこの中で武道の経験者、何人かいらっしゃるかと思います。武道っていうのがもう世界中に広まっているということですよね。日本の文化輸出品の中で最も成功しているものじゃないかなと思います。外国、ほんとにどこ行ってもどんな田舎町に行っても必ず何かの道場があります。柔道、空手が一番ですね。柔道なんか国際柔道連盟に加盟している国は200カ国ぐらいです。だからバスケとサッカーの次なんです。加盟国の数からいうと。空手、それが数で言えば一番普及成功していると思うんですけれども、とにかくすごい数です。ヨーロッパ行くと本当にどこ行っても、中東行ってもアメリカ行っても、私のニュージーランド行っても、どこの街に行っても空手は必ずあります。で、武道って一体何でしょう? やったことない人がだいたい武道というのは、ジャパニーズ・スピリットを代表するものだと言うんですけれども、本当にそうなのか? 武道って一体なんなのか。




武道の目的は「人間形成の道」

いろんな武道がありますけれども、これが日本武道協議会が平成20年に作った武道の定義ですね。武道の理念。ちょっと難しいんですけれどもちょっと読みますと、武道は、武士道の伝統に由来する我が国で体系化された武技の修練による心技一如の運動文化で、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道少林寺拳法なぎなた銃剣道を修練して心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、国家、社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道である。というふうになっています。訳わからないですよね。すっごく難しいです。しかしその中で大きなポイントとしてどの武道においてもですね、この人間形成の道ってのが重要ですよね。武道考えるとオリンピックだと柔道入っています。テコンドーも入っています。相撲が入ろうとしています。空手道も入ろうとしています。だから、武道はもちろん競技というのもありますけれども、やはり一番の目標っていうのはこの「人間形成の道」だと言うことなんですね。そこで武道やってる人、結構、こういう(天狗のように鼻を伸ばす仕草)偉そうな人が多くて「武道は他のスポーツとは違うんだ。俺たちやってるのはただのスポーツじゃない!」っていうことを言うわけですよね。武道やってるのはちょっと特別だとそういう意識が強いと思うんですよね。それは何でかと。同じ試合があるのに勝ち負けというのがあるのに、じゃあ、剣道もしくは柔道、もしくは空手道は野球とかサッカーとかとどう違うか? ということを、その武道家に聞くとなかなか即答がないんですよね。なかなか返事が来ないんです。「他のスポーツとどう違う?」ということになると。


武道がスポーツと違う点は「残心」の概念

そこで私の思いついたことなんですけれども、それは「残心」という概念にあるんじゃないかなと思います。「残心」どうですか? 聞いたことありますか? 残す心ということですよね。それは武道の中心概念一つである、どの武道でもそれは入っているわけですけれども。しかしそれはどのくらい大切にするかっていうのが武道によって違うんです。「残心」を大切にしない武道というのは武道じゃないと私は思います。武の道から外れたことになると私は思ってるんですね。じゃあ武道とスポーツはどう違うか? ということになんですけれども、そこ残心ということを言いましたけども「対手をば打ちたる時も心して、構へ崩さず後を備えよ」という剣道の教えなんですけれども。つまり、例えば剣道で試合をします。一本打ちました。「面!」決まりました。でもその後はちゃんと構えてるかどうかということですね。「打ってからの心はどうか」「打ってからの気構え」「打ってからの身構えはどうか」ということを審判はそれ見て、トータルして「じゃあ一本許しましょう」と。これは真剣勝負の時代からきてる考え方なんですよね。というのは侍たち斬り合いで「斬っちゃったー! よっしゃ俺が勝った!!」と(すぐに油断して背中を見せると)後ろから斬られるかもしれない。そういう、まあ逆切れというか(笑)。要するにそれは「ちゃんと斬った後の構えを保って、気持ちをずっと集中して感情的にならない、感情を抑える、ちゃんと見てる、大丈夫かな、じゃあこれで下がりましょう」というのが残心なんです。これは真剣勝負で生き残りる一つの鍵なんですよね。これがなければいつ斬られるかわからない。常にそれを意識して、油断を絶対しないということが残心なんですけれど。それが今の武道の競技にどのような形で出てくるかというと、これも、(スライドの)下に書いてある部分ですね。試合と型の演武について、これも日本武道協議会が出した武道憲章の中にある部分なんですけれども。


剣道は勝った後の態度を見られる

大事なポイントは「勝っておごらず負けて悔やまず、常に節度ある態度を堅持する」というのが武道らしい態度です。勝ってもそうじゃないといけないんです。つまり、勝ったら他のスポーツと違って絶対ガッツポーズとかそういうことはしてはいけないということになってるんですね。剣道の場合ですと、このように残心は説明されるんですけれども「打突した後に油断せず、相手のどんな反撃にもただちに対応できるような身構えと気構え。剣道試合・審判規則および細則では、残心のあることが有効打突の条件になっている」ということなんですよね。有効打突というのは一本のことなんですけれども、つまりさっきも言いましたように、相手を打つ時に竹刀の正しい部分「物打ち」もしくは「打突部」というんですけれども。打突部が打突部位、面、小手、胴、突を正確に打たなければならない。それで充実した気勢、正しい姿勢、気剣体一致。「面っ!!」(剣を軽く振りおろしながら気合)それが50%なんです。「当ったりましたー!」(剣を振り下ろす動作)というのが普通サッカーでね、ボールが線を越えてしまえばそれはゴールですよね。あと何をしてもゴールはゴールなんです。剣道の場合ですと「面打ちました!」で、そのあとは態度はどうか(そういうところを)審判が見てるわけです。「面っ!! 来るか、来るか? また来るか?」というそこまでの残心がなければ一本にならないということなんですよね。それだとですね「面! やったー、俺が勝ったぞ!!」ということをやってしまうと残心がない。侍同士の斬り合いだったらそれでもう斬られてしまうだろうということと同時に、相手に対して非常に失礼な態度だというふうに言われるわけですね。それをやったらせっかく一本(入って)旗が上がりましたのに取り消しということになるんですよね。取り消し。残心がない。相手に対して失礼。




一本=人の命を奪うということ

よく考えたら剣道とか武道っていうのは侍の真剣勝負、生きるか死ぬかっていう世界からきてるもんですから「一本打った」ということはイコール「人を殺してる」わけですよね。その人の命を奪ったということです。喜ぶべき場面じゃないですよね。逆に反省するところなんです。「本当に殺し合いになる必要があったのかな?」そういうところがやっぱり人間としてはどうかって反省しないといけないっていうのが元々、武道の一本なんですよね。残念ながら、最近そういうことを忘れている武道家が多いです。じゃあ残心がないということは、たとえばサッカーですとゴールが入りました、野球ならホームラン打ちました。それで「イエー!!」ってみんなうれしいわけです。普通選手としてもまあそれで生活してるわけですよね。またその観客も観にいって、そういうエキサイティングな場面を期待するわけですから、それはうれしいわけですけれども。武道ではやはり過剰に自分の喜び「勝った!!」もしくは悔しい気持ち「負けた!!」ということを絶対見せてはいけないはずなんです。そこで自分の気持ちをコントロールする。うれしいけれど絶対それを顔に出さない。「くっそー、そこで打たれるかー。」と思って絶対顔に見せたらアカン。逆に剣道にこういう教えがあるんですけれども「打って反省、打たれて感謝」とういうことは競技的な考え方からいきますとちょっと矛盾してるんですよね。試合するんだから勝ちたいに決まってるんですよね。打って勝ったということはうれしいはずやけれども、そこで反省しないといけない。打たれて「くそ~」と思うかもしれないけれども感謝。感謝する。なんで感謝するんだよと。それはやっぱり打って反省というのは「綺麗に決まりましたけれども、もっと違う打ち方にするべきだったんじゃないでしょうか、その入り方、間違ってたんじゃないか」。もしくは「たまたま当たったでしょう」というようなことを常に自分で自問自答をして、さらに自分の技術を上げようとすることなんですよね。もしくはさっきも言いましたように、これ(一本)は人の命を奪ったということだから、そのへんはやっぱり「武道家としてこれでいいのか?」ということも常に考える。打たれて感謝ということは今、小手打たれました面打たれました。それは試合に負けましたけれども、そのお蔭で私はこれからどういう修行をすればいいのか、私の弱点を教えてくれた、ということは試合に負けたかもしれないけれども、修行においては非常に重要なことなんですよね。それを教えてくれると。だから武道というのはこれがパラドックスなんですけれども、武道の考え方としては相手がいます。


オリンピックでガッツポーズは武道家として恥ずかしい


他のスポーツだと勝利至上主義という考え方があるんですけれども「とにかく勝てばいい。勝たなくちゃいけない!」ということは相手が敵なんですよね。自分が優勝するためのひとつの障害物であるあいつを倒さないと自分が先、行けないと。でも武道的な考え方はそうじゃなくて、相手は確かに戦ってるわけですよね。真剣勝負のつもりで戦ってる。けれども修行、人間形成の道においての協力者なんです。教えてくれる人です。教えてくれる人だからけなしてはいけないです、とういうことは武道的なんですね。それはやはり、真剣勝負から生まれる考え方であると考えています。要するに武道における勝負の大事なところは、勝負が決まってからの勝負、勝負が決まってからの態度はどうかということですね。「何があっても興奮しない」「何があっても油断しない」残心ですね。「感情を抑える(平常心)」「ゆとり」を持って、「常に節度あるた態度を堅持する」「相手の気持ちを考える」相手に対する思いやりの気持ちなんですよね。「勝っておごらず負けて悔やまず」「人のせいにしない」。「今負けたのは審判のせいじゃ!」「今のは誤審だから負けたんだ!」ということは絶対、武道家としてとんでもなく恥ずかしいことなんです。残念ながら最近オリンピックとかね、とにかく金メダルを取ればそれでもう最高なわけですよね。武道の修行者としてじゃなく、とにかく試合に勝てばいい。勝ったらこのようなガッツポーズをすることは当然のことです。柔ちゃん見たって「やったやったやった!」って(飛び跳ねて)踊ってるじゃないですか。こんな演劇みたくないです。武道家として恥ずかしい。スポーツではそれはいいかもしれないけど、武道はどこからきたかということを忘れてはいけないんです。人の命、生きるか死ぬかっていう文化がこの武道の中に潜んでるわけですよね。それがひとつ、大切な大切な考え方であってそういうことを絶対に忘れてはいけないんだけれども、残念ながら最近の日本では忘れられがちじゃないかなという気がします。


武道は普遍的な美しさを持った世界遺産

剣道ではまだ、ガッツポーズだとかそういう感情的になってしまうと、せっかく取った一本が取り消しになるという。これはすばらしいことだと思います。厳しいんですけれどもね。考えてみてくださいよ。サッカーのワールドカップで決勝戦でゴール入れた。みんな「わあ!」ってなって自分のチームメイトにキスしたりチューしたりすることがあるじゃないですか。それで審判が「おい! お前ら残心がないぞ。今のゴール取り消し!」ということになったら考えられないんですよね。でも剣道にはこういう「残心」というのがあるわけなんで、これが非常に大切なことで。やっぱりそういうことがあるお蔭で人間の生き方というのがどういうものなのかとか、そういうことをですね、武道というのは人間形成の道っていうか人生哲学の枠組みを与えてくれるすばらしい文化だと思ってます。ただそれは日本の伝統文化だからすばらしいというわけじゃなくて、これはさっきも言いましたが、世界どこ行っても武道の愛好者がいっぱいいるわけなんで。普遍的な美しさ、日本の伝統文化というよりも世界文化、世界遺産だと私は考えております。そういうことがあるから私はなかなかニュージーランドに帰らない。ずーっと日本で修行をしてるわけです。時間になりましたので、皆さんご清聴ありがとうございました。




ログミーさんより
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日本人が
古来より守ってきた
武士道精神
男も女も
関係無いと思います

負けた相手にも
最低限の礼節を守る

先輩、後輩の区別
目上の方への敬意

今の日本人に
どれくらい
この精神が
あるだろう

仕事をしていても
あきらかに
自分より年上なのに
敬語すら使わず
偉そぶる若者

足元
おぼつかない
ご老人に
道をあけない
気取ったOL

嫁に逃げられた
ご主人を
バカにして
噂する
クソババア

俺たちは
無くしてしまったのか
日本人の
武士道精神

人生に
負けた人を
バカにして笑う

苦しんでいる人から
目を背け
知らんふり

綺麗なスーツを
着てる奴が
偉いのか

油まみれの
ハゲ親父は
ダメなのか

結婚して
子どもがいれば
幸せなのか

天涯孤独の
アラフォーは
負け組なのか

もう一度
あなたの周りを
見てほしい

苦しくとも
耐え
黙って生きている
日本人がいる

自分さえ
幸せなら
問題無い
貧乏人なんか
ほっとけよ
自分が悪いんだよ



人の一生は
重荷を負うて
遠き道を行くが如し
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
堪忍は無事長久の基
怒りは敵と思え
勝つ事ばかり知りて
負けること知らざれば
害その身に至る
己を責めて人を責めるな
及ばざるは過ぎたるより勝れり


私は
柔道をしていました
クラブが終わる時
先生の前に
全員が座り
この文を
全員で唱え
先生に座礼をし
帰路についていました


当時は
意味なんか
よく解りません


今の俺は
理解してるのか