ポンタの想い出

俺に明日はあるのか?

消えゆく国


消えゆく国




貧困が全世帯に拡大して定着していくと日本の光景が変わる


2016年は中国株式市場の崩壊で幕を開けたのだが、新興国の不振はますます鮮明になってきている。そのためグローバル経済全体も状況の悪化が続き、先進国も2016年はGDP成長がマイナスに落ち込むことが予測されている。

日本もまたその余波の直撃を受けている。日米欧の中では日本のみがひどく、日本だけは2017年もマイナス成長に落ちるとIMF国際通貨基金)は予測している。



私たちの生活は年々悪くなってきているが、それでも2000年までは、まだ「真面目にやっていれば報われる」というどこか奇妙な楽観論が残っていた。

さすがに今ではもうそのような楽観論は跡形もなく消えてしまったが、今でもそれを「常識」のように抱いている人も中にはいる。しかし、もうそんな時代ではなくなっている。

・若年層や女性に正社員の道がなくなっている。
・中高年はリストラの対象になっている。
・高齢者や母子家庭が生活保護受給に落ちている。

ここでよく考えて欲しい。就職できない若年層や女性の貧困化も目立ち、40代以降のリストラも当たり前になり、生活保護受給者もどんどん増えているが、そういった状況に陥ってしまた彼らは真面目ではなかったのだろうか?


時代の波が変転すれば不運に巻き込まれてしまう


日本では貧困に落ちていく層が激増しているのだが、彼らは遊びほうけ、好き勝手なことをして、適当に生きていたから困難に陥っているのだろうか?



昨今では東証一部上場企業から新興企業まで、ことあるごとに社員をリストラしている。では、これらのリストラされた人たちは、真面目ではなかったのだろうか?


そんなことはない。みんなまじめにやってきたのだ。


しかし、どんなに真面目であっても、時代の波が変転すれば不運に巻き込まれてしまう人が数百万、数千万人の単位で生まれて来る。

「真面目にやっていれば報われる」

それが今の日本の社会で空しい言葉になりつつあるのは、すなわち時代が変わり、常識が変わって来ているからだ。

「真面目にやっていれば報われる」は、高度成長期の頃に生まれた常識であり、この常識は今はもう機能していない。

「ちゃんと働けば報われる」が成り立たなくなったというのは、今働いている人たち全員の実感になっている。

ブラック企業が問題になっているが、ブラック企業ではなくても、労働条件・労働環境は悪化して、しかも給料が上がらないどころか下がっている。

一流企業であっても、シャープや東芝では数千人単位でリストラが為されている。

「真面目に働けば報われる」というのは、もう完全に非常識になったのだ。これからは、「真面目に働いたところで報われない」というのが常識になる。

グローバル化の時代は先進国の人間の給料を引き下げる動きをする。また、企業はコストの安い海外に職場を移す。だから、この流れは、グローバル化が続く限り止まらない。


「真面目に働けば報われる」というのは、もう完全に非常識になったのだ。これからは、「真面目に働いたところで報われない」というのが常識になる。


政府による収奪は、徹底化されていくことになる


日本人は定年までしっかり働き、定年退職したらあとは悠々自適の生活に入るというのが理想でもあり、常識でもあった。今でもそれが可能だと信じ切っている人もいる。

しかし、これはもうあり得ない。日本政府は必死になってインフレを起こそうとし、年金を引き下げ、受給年齢を引き上げ、医療費の自己負担も上げ、消費税も上げた。

富裕層や優良企業はタックスヘイブンで資産隠蔽をして税金をまともに納めないので、日本政府は取りやすい国民から収奪するしかない。


だから、政府は国民の財産を収奪しに来ている。


政府はタックスヘイブンに隠された金には手を付けないが、国民が義務化されている国民年金を滞納したら、特別催告状をばんばん送りつけて、それでも払わない国民からは容赦なく差し押さえていく。

預金通帳も、車も、何もかも差し押さえていく。


国民年金を払わないのは強欲な金持ちよりも、むしろ払えない貧困層の方が多いのだが、その貧困層からも毟り取るようになけなしの財産を「剥がす」のである。

これから年金が減額されていき、インフレも始まったら、高齢者がもっと追い込まれてしまうのは自明の理だ。国の福祉がいつまでもあると思うのは、もう非常識なのである。

年金で生活などできなくなるというのが、衰退の時代の常識だ。高齢者は巨額の資産を持っていない限り、死ぬまで働かなければならない時代が来る。

そもそも、年金を支える若年層が減っている上に貧困化しているのである。それだけでも年金制度がこのまま維持されるわけがないことが分かる。



少子高齢化の問題は、日本の現在のシステムを崩壊させる時限爆弾である。国の活力低下、内需低下もまた少子高齢化によって年々ひどくなっていく。



タックスヘイブンのパナマ。富裕層や優良企業はタックスヘイブンで資産隠蔽をして税金をまともに納めないので、日本政府は取りやすい国民から収奪するしかない。


漠然と持っていた古い常識では生きていけない

少子高齢化がもたらす問題は、国の活力を削ぐだけではなく、対外的にも大きな問題になっていく。

まず、「日本は日本人だけのもの」という常識も、この少子高齢化によって崩壊する。なぜなら、人口減少によって必然的に外国人が入って来やすい土壌が整うからだ。

人口が減って日本は物理的に土地がガラガラになっていく。地方も人口減で崩壊する。ところが、世界に目を転じると人口はどんどん増えているのだ。爆発的に増えている。

日本は暮らしやすい土地である。それならば、増えた世界人口が日本の真空を埋めるようにして入り込んできたとしても、何ら不思議ではない。

いくら日本人が移民は嫌だと言っても、それを跳ね返す力もなくなっている。移民という形を取るのか、侵略という形になるのかは分からないが、いずれ、日本には大量の外国人が住み着いてどんどん増えて行く国になる。

そして、間違いなく「日本は日本人だけのもの」という常識は消える。遅かれ早かれ、日本はそうなっていく。

当然、現在の日本文化というのも消えていく。ゆっくりと掻き消されるようになくなる。つまり、日本文化は永遠に残るという常識も、今後は非常識になっていく可能性が高い。

日本は元々、世界からみると異質で理解されにくい文化を持った国だ。その国が衰退し、少子高齢化で人口を減らしていくのだから、文化が衰退して消滅しても不思議でも何でもない。

日本文化が今のまま理解してもらえると考えるのは間違っている。日本文化は理解される前に消されてしまう。日本文化は消えるというのが新しい常識となっていく。

「真面目に働いたら報われる」は非常識になる。
「悠々とした年金生活が送れる」も非常識になる。
「日本は日本人だけのもの」も非常識になる。
「日本文化は永遠に残る」も非常識になる。

日本が衰退するという潮流から見ると、今まで私たちが漠然と持っていた古い常識では生きていけなくなる。これほど、日本人は追い込まれているという事実を、客観的に、そして現実的に捉えるべきだ。


貧困は日本の光景を急速に変えていく。

暗雲漂う日本では、今までの常識はもう通用しない。貧困は日本の光景を急速に変えていく。












このエントリーをはてなブックマークに追加

冬のキムチ


冬のキムチ




舛添要一のような人間がトップに立てる日本の暗部が問題だ


東京都知事舛添要一がやりたい放題をやっている。

都知事であるにもかかわらず何かに理由をつけてファーストクラスで海外に行き、スイートルームに泊まる。

さらに週末になると湯河原の別荘に公用車で向かって、この1年あまりに49回も訪れ、その公費は400万円にものぼっていることが週刊誌ですっぱ抜かれた。



さて 今晩はどこで宴会しようかな…


この男が湯水のように使っているのは都民の税金だ。都民は別にこの男に贅沢をさせるために税金を払っているわけではないので当然のことながら批判は殺到する。

東京都には3月から4月にかけて抗議電話や抗議メールが2000件以上も殺到しているというのだが、それを交わすために舛添要一は「経費の検討委員会」を設置した。しかし、そのメンバーはすべて身内でやると言って多くの都民を呆れさせている。

泥棒が「自分が泥棒かどうか自分が決める」と言っているようなものであり、こんなものは意味がない。しかし、対外的にはこれで検討したというスタンスを示すつもりでいる。

舛添要一の行動を「些細な問題」と言い放つ人もいるが、もちろんそんな人は会社を経営させても会社を破滅させて株主に恨まれ、あげくの果てに逮捕されるのが関の山だろう。



多くの都民が舛添要一の資質に疑問に持っている


別に都知事に清貧であれと都民は言っていない。ただ、当たり前の常識に照らして無駄金を使うなと言っているだけだ。

ファーストクラスをビジネスクラスにするのは、別に清貧でも何でもない。今日からでもできることだ。

自分が都民の税金を預かっている身であるという自覚があるのならば、率先してビジネスクラスにするくらいの頭はあって当然だ。舛添要一はそうすべきなのである。



スイートルームに泊まるのも同様だ。都知事がどこまで偉いのか知らないが、それほど贅沢する必要はまったくないし、そんな権利も本来は持ち合わせていない。

上がこのような贅沢を正当化していると、下も浪費が始まって巨額の財政赤字を生み出す元凶になりかねない。それくらいの結果が思い浮かばないのであれば、都知事としては能力がない人間であるということを意味している。

浪費家がひとりで破滅していく分には何の問題もない。それは個人の自由だ。

しかし、舛添要一が都民が収めた税金を湯水のごとく使って都民を道連れにするというのであれば、都民はその浪費に異議を申し立てる権利はある。

そもそも都知事は外務省でも何でもない。あちこち物見遊山する必要はまったくない。しかし、舛添要一は物見遊山したあげく勝手に何かを約束してきて、都民のためでなく都民とは何の関係もない国のためにそれを実現しようとする。




たとえば、舛添要一は韓国に行って朴槿恵(パク・クネ)に媚び、新宿区にある都有地を韓国政府に貸し出す方針を打ち出している。

待機児童が足りないと世間で騒がれているのに、舛添要一は都有地を朝鮮学校として使うという判断を独断でしているのである。(舛添要一は、日本の待機児童よりも韓国を優先する奇妙な男)

なぜこの男が都知事なのか、多くの都民が舛添要一の資質に疑問に持つようになり、都民の不満は徐々に膨れ上がっている。



マスコミは常に「報道しない自由」を行使する

舛添要一は都知事としての資質が問われる前に、ひとりの人間としても疑念が持たれていたのは2014年に初当選する前から言われていたことだ。(東京都知事舛添要一が都民から嫌悪の目で見られている)



スズメ君は聞いてるかな?


すきま風吹くだろう🎵


田母神さん


愛人2人に婚外子が3人もいたという事実も都知事選で問題になったのだが、片山さつき氏によると、この男は激怒すれば「その辺にあるものを手当たり次第に投げつける」ような火のような怒りを剥き出しにしたりするような性格だった。

しかも、サバイバルナイフを収集していて、その刃先を片山さつき氏に向けることもあったという。

そんな人物を都知事にした東京都民も問題があるが、不思議なことになぜか舛添要一に関してはマスコミは常に「報道しない自由」を行使するのである。

「湯河原の別荘に公用車で向かって公費400万円を使っている」ような実態は週刊誌が暴露したものだが、ほとんどのマスコミはこうした事実にはまったく触れない。


あれれ?スズメ君がいれたのかな?


日本のマスコミは、中国・韓国・北朝鮮といった特定アジアに沿った人間をあからさまに擁護し、こうした国々の危険性を発言したりする人間に関しては総攻撃するという実態がある。

舛添要一に関してもそうだ。舛添要一は著書で母親を「オモニ」と記述していたり、父親が選挙戦でハングル文字を使っていたりするほどの親韓国の面がある。

日本人が「オモニ」と聞いたら「重荷」しか思い浮かばないが、舛添要一にはなぜかそれが「母親」という意味に聞こえるらしいので、日本人の規準から見ると何か奇妙な男だ。

さらに韓国の大統領である朴槿恵(パク・クネ)には薄気味悪いまでの媚びた笑みを浮かべ、その上、朝鮮人学校に新宿の一等地を貸与する決断をしているのを見ても分かる通り、異常なまでに韓国べったりである。

マスコミは、そんな男は決して批判しない。むしろ、何とかして擁護しようとするか、擁護できないのであれば報道しないで隠蔽する。



果たして日本人は日本を取り戻すことができるのか


ひょっとしたら舛添要一という人間は、韓国や北朝鮮のスパイではないかとも疑われているのだが、こうした人間が東京都知事の地位でいるというのは日本にとって不幸なことだ。

売国者と言っても差し支えないような人間が、重要な組織の長になるという社会の構図が日本には存在する。

「日本死ね」と罵るブログを取り上げて嬉々としている民進党の議員、山尾しおりを見ても分かる通り、民進党の議員は売国者たちの巣窟と化している。(「日本死ね」は民進党・山尾しおりの自作自演だったのか?)

ソニーやシャープの元経営者は日本の革新的技術をどんどん韓国企業に流出させて日本企業を地盤沈下させたのを見ても分かる通り、経営者たちにも自社よりも韓国企業を優先するような売国者がいる。

マスコミも韓流だか何だかを日本人に強制するような動きを見せたり、日本を貶めたり、日本の国益を考える人間をワナにはめたりして世論誘導をし続けている。それを見ても分かる通り、マスコミも売国者だらけだ。

教育界でも子供たちが自国に誇りを持てないような教育をしており、日本嫌いの日本人を大量に生み出していく。

そんな中で舛添要一という都知事の誕生があるわけで、これは単に都知事だけの問題ではなく、すべての組織で起こり得る問題であることに気付かなければならない。

今の日本は、国益を優先する人や日本を大事だと思う人がトップに立てないような仕組みがある。



舛添要一の存在は問題だが、もっと深刻なのは舛添要一のような売国者のトップをいくらでも生み出す土壌が日本の暗部にあって、それが手づかずで取り残されていることだ。

この「日本を愛する人間が日本で蹴落とされる」という構図こそが日本の一番の問題である。すでに多くの組織が乗っ取られてしまっているのだが、果たして日本人は日本を取り戻すことができるのだろうか……。

それができるのかどうかは、まずは日本人がみんなこのような社会の裏に気付き、日本を愛する本物の日本人をどれだけ日本人が引き上げることができるかにかかっている。

舛添要一が都知事になっているようであれば、まだまだ日本は覚醒できていないということでもある。



選挙に不正は全くございません…



DUAさんより
画像は追加しています。









このエントリーをはてなブックマークに追加

SURVIVE


SURVIVE


予知する民族ではなく 、サバイバルできる民族になるべきだ




阪神・淡路大震災が起きたのは1995年1月17日だった。すでに20年前の話になる。この地震は都市を直撃して死者6434名、行方不明者3名、負傷者4万3792名を出す大惨事となった。

この地震以降、日本では様々な地震予知が研究されてきたが、それでも巨大地震を事前予知できず、2011年3月11日の東日本大震災を迎えた。

この地震では死者1万5889人であり、阪神・淡路大震災を超える悲惨な震災となった。

日本は地震大国であり、もちろんこれで震災は終わったというわけではない。私たちは日本に住んでいる限り、いつでも次の巨大地震に見舞われてもおかしくない。

残念ながら、それは予知できないと考えた方が早い。人間の予測は完全ではない。科学も万能ではない。

地震が起きる要因は1つ、2つではないのだ。膨大な現象がすべて積み上がって、その結果として生まれてくる。地震が予測できないのは、すべての要因をインプットできないからでもある。


「必ず来るが、いつ来るのか分からない」が事実


いつの時代でも人間は自然環境を予知しようと努力しながらも、不意打ちを食らって被害を出している。

日本は地震大国でデータがたっぷりあるはずだが、それでも地震予知はできていない。

ちゃんと予知できていれば、阪神・淡路大震災東日本大震災も、これほどの被害を出さなかった。前もって警告があれば助かった命もある。

「大震災は来る」と常に言われていた。しかし、やはり予知ができていないのである。分かっているのは「必ず来るが、いつ来るのか分からない」ということだ。

そして、現に日本では国家を揺るがすような史上最悪の大地震を2011年3月11日に経験した。「いつか来る」と言われていたものが「来た」のである。

自然災害は地震だけではない。しかし、場合によっては日本を崩壊させるほどのインパクトがある「今そこにある危機」は、やはり地震であると言える。

問題は、常に予期せぬ場所で、予期せぬ規模の自然災害が起こることだ。阪神・淡路大震災も東日本大地震もそうだった。

予期しているところ、あるいは予知・予言されているようなところにはあまり来ない。まったく予期せぬ日に、予期せぬ場所で、不意打ちにやって来る。

阪神・淡路大震災が来るまで「関西は大地震が来ない」と言われていたのを覚えている人もいるはずだ。大地震は関東を直撃すると思われていた。それが、よりによって関西の方に来た。

地震大国日本では、どこが安全なのか危険なのは、誰にも分からないのである。逆に言えば、次の大地震も予告なしに、意外な場所で起こる可能性も捨て切れないということも言える。




阪神・淡路大震災。関西は地震が来ないと言われていたが間違っていた。日本はどこにいても地震に巻き込まれる可能性がある国だったのだ。


次の震災に巻き込まれることが予告されている

では、「いつ来るか分からないが、必ず来る」というのは、とても不気味な未来予測ではある。私たちは間違いなく、次の巨大な震災に巻き込まれることが予告されているようなものだからである。

2012年8月29日、内閣府は太平洋南海トラフ震源とする地震が起きた場合、死者は最大32万人に達するという想定を出している。(東日本大震災の21倍。32万人が死ぬという南海トラフ巨大地震

このような地震が30年の間に87%の確率で来るとも言われているのだが、誰もそれを妄想だと一笑に付すことができないのが日本の現状でもある。

2014年は長野県の御嶽山が突如として噴火して犠牲者が出ているが、日本には活火山が110近くもある。

富士山ですらも、れっきとした活火山であり、最近は富士山近辺で不気味な胎動があるという報告も相次いでおり、関係者を緊張させている。

富士山が大爆発したら東京は壊滅すると言われているが、東京が壊滅するということは、日本経済が壊滅するということでもある。

富士山の爆発も、もちろん大地震が引き金になる可能性もあるわけで、そういった意味で、大地震はいつでも日本を崩壊させる危険性がある。それなのに、私たちはそれを予知することができないのである。

地震予測については多くの研究がなされているが、私たちはそれに頼ることはできない。それならば、日本人は考え方を変えなければならないことが分かる。

予測や予知よりも、もっと大切なものがあるのだ。それが、サバイバルできる民族になるということだ。




東日本大震災。見渡す限りのガレキとなってしまった。こんな巨大な災害がいつでも日本を襲いかかる。


サバイバルできる民族にならなければ生き残れない


いつ来るのかに頭を使うのではなく、「どう生き延びるのか」に頭を使うようにしなければならない。「この日に地震が来る」と叫んでいる人よりも、「こう準備すべきだ」と言っている人のほうが利口だ。

日本人は、予知する民族ではなく、サバイバルできる民族にならなければ生き残れない。それが一番、現実的であり、正しい方法だ。

地震の瞬間に巻き込まれら、いかにして身を守るか。いかにして逃げるか。いかにして家族と連絡を取るか。いかにして安全地帯を見極めるか。

海辺の人は大地震のあとに高台に逃げるのは鉄則だったが、東日本大震災のときは学校の教師がそれを徹底できなくて子供たちが全員死んだ。

耐震構造がしっかりしている国(たとえば日本)では、大地震のときは建物の中にいるほうが助かる可能性が高い。

耐震構造がずさんな国(たとえば、中国・アジア各国)では、大地震のときは建物の中にいると倒壊して巻き添えになる可能性が高い。生き延びる方法はそれぞれ違う。

今、自分がいる環境を見つめ、生き延びる方法を知り、準備しておくのが合理的だ。いつ地震が来るのかを予想するのは、合理的ではない。

ライフラインが切断されていたとき、いかにして生き延びるか。いかにして食料を調達するか。いかにして財産を守るか。「どう生き延びるのか」を考えると、やらなければならないことは意外に多い。

その積み重ねが、最悪を乗り切れる確率を高めていく。

予言よりも準備を。
予測よりも対処を。

これを徹底することによって、おのずとして日本人はサバイバル方法を考える民族、つまり「現実的な民族」になっていくのだと考えている。




最初の一撃で自分が生き残れるかどうかは分からない。運良く生き延びることができれば、そこからサバイバルが始まる。これは、日本で生きている限り、誰もが他人事ではない。









CONNECT



CONNECT










熊本地震と日本人の覚醒





連日熊本を中心に大きな地震が続いています。

一日に何度も震度4以上の地震が続くのでは、被災地の皆様のご不安は相当なものとお察しします。

また、怪我をされた方や、お亡くなりになられた方々には、心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。



さて、今回の震災に限らず、日本列島はもともと天然災害の宝庫ともいうべき列島です。

地震、雷、津波、台風、火災、大水、土砂崩れ、凶作、噴火、干魃、落雷、大風、大雪等々、その都度、多大な被害が発生する国です。



そうした天災が多発する国土において、人々が平素から互いに対立し、いがみ合い、罵り合い、いざというときにも互いに文句ばかりを言い合うような、そんな社会が営まれたなら、いざ、災害というときに、みんなが一致団結協力しあってその難局を乗り切るなどということは、まさに夢物語です。























富にしても、ごく一握りの富者が富を独占して贅沢三昧な暮らしをし、他の多くの民衆が貧困にあえぐような生活環境下にあった場合、天災は、富者貧者の別なく襲いかかるわけですから、むしろ、災害の罹災に即応して富者からの略奪が横行することになり、結果として、富者も富者でいられなくなってしまうというのが、日本列島における、これは風土というべきものです。



そうであるからこそ、日本では上古の昔から、和を以って貴しとし、いざというときに困らないように、日頃から相互の理解と協調をし、できるだけ対立を避けることによって、いざというとき誰もがまるで同じ家族であるかのように、互いに助けあい、慈しみあい、支えあっていくことができる、そういう社会環境を育成してきたということができます。











また富も、一箇所に集中するのではなく、誰もがある程度の蓄えがある状態にしておくことで、隣の家を助けたり、けが人の面倒をみたりするなど、まさに共助の精神を養ってきたということができます。



こうしたことは、逆に考えたらすぐにわかることです。

どこかの国のように、官僚がおおいに威張り、民衆から収奪を繰り返したとします。

その官僚亭が大規模な地震で全滅する、あるいは大水が出て水没する。

そのようなことが、そのどこぞの国で起きれば、その国の民衆は大喜びでその官僚亭を集団で襲撃し、生き残った人を皆殺しにしたうえ財物を根こそぎ奪い、生き残った者は食べてしまいます。

天災のリスクは、民だけではないのです。

官にも等しく襲ってくる。



それを考えれば、日本の場合、日頃から官も収奪をしないし、民もいざというときには官民一体となって、みんなが生き残れるように努力する、復興に努力するという方向に向かうしかないのです。

自然災害が少ない国からやってきた人たちには、これは伝統的にまったく理解できない日本的な社会構造です。

彼らは、人を騙してでも、自分の財を得ようとします。

人の上に立てば、いくらでも収奪することができる、自己の欲望を満たすことができると考えます。

けれどそれは、大地が安定していればこそのことです。



早い話、震災で家屋が倒壊すれば、その人を騙して無理矢理人の上に立って威張っていた人が、近所の貧民と一緒に並んで配給米や配給水をもらわなければならなくなるのです。

日頃から恨みを買っていれば、いざというときに、食べ物も、水も得ることができなくなるのです。



だからこそ、日本では、上も下もない。誰もが(それぞれに仕事の役割分担としての上下関係はあっても)人として対等である、という文化が日本には定着したのです。



阪神地区で震災が起こり、東日本で震災が起こり、九州で震災が起こり、これで政治が相変わらず、対立と闘争と悪口と、権力争いばかりを続け、民の生活がかえりみられることがなく、人々が明日を考えることなく、過去を省みることもなく、いまの享楽と不満ばかりに走るようなら、おそらく、神々は日本を、というより日本人を滅ぼす方向に舵を切らざるを得なくなるのではないかと思います。



自衛隊は敵だ、警察は敵だ、消防も敵だ、そうやって故意に国内に敵を作ろうとする人たちがいます。

しかし、自衛隊も警察も消防も、いざというときのためのものなのです。

何もなければ、それはとっても幸せなことです。

しかし日本では災害が、ある日突然やってくるのです。













建設談合は敵だ、敵対的競争関係によって、建設費用が下がることこそが大事なのだという人がいます。

しかし、被災地において土木建設業は、復興のために欠かせない存在です。

そうであるなら、日頃からむしろ余力を蓄えておくくらいのことができていなければ、いざ、天災というときに対応できなくなることは、広島の土砂災害や鬼怒川の氾濫でも多くの被災地の人々が経験したことです。



縄文時代の始まりは、いまから1万8千年前とされています。

そして縄文人が、弥生人となり、飛鳥、奈良、平安人となり、鎌倉人となり、室町人となり、江戸人となり、明治、大正、昭和、平成人となっています。

はるか1万8千年の昔から、日本人は、日本という天然災害の多い国土の中で、生き残るために知恵を絞ってきた、そういう古くて長い歴史と経験を積んできているのです。



1万8千年よりも古い昔、日本列島は地球の最終氷河期の中にありました。

この時代、九州も四国も千島列島も、北海道と樺太シベリア大陸も、全部陸続きでした。

九州の南部、鹿児島の先には四国の半分くらいの大きさの島もありました。











ところが気象が急速に温暖化し、南北極の氷が溶け、6千年前には日本列島のいまの平野部はほとんど海没しました。

この時代、関東地方は、関東海と呼ばれる広大な入江ですし、大阪は海の中にありました。

その時代を縄文海進といいますが、海岸線そのものも、長い時間の経過の中で、大きく変わってきたのが、日本列島です。

そして、冒頭に書いた、地震や、落雷、洪水、大風、大雨、洪水、火山の爆発などの自然災害と、日本人は、常に隣りあわせで生きてきたのです。



これが大陸なら、住み良い場所を求めて、民族ごと大移動するという展開もあったことでしょう。

けれど日本列島に住む日本人には、日本列島の中以外に、住むところはないのです。

だからこそ、いざ災害というときに備えて、日頃から、共助の精神を養い、いざというときに、その精神がいかんなく発揮できるようにしてきたのが、日本人なのです。



「熊本地震」4月16日空撮(宇土市南阿蘇村











戦後の私たち日本人は、過去を忘れ、GHQによって歴史や地理や神話の教育を禁じられ、GHQが去ったあとは、いわゆる敗戦利得者と呼ばれる人々によって、なお一層、日本人が歴史を忘れるように仕向けられてきました。

そしていまではすっかり、「対立することがかっこいいこと」、「匿名で他人を中傷することが正義」、「バレさえしなければ何をやっても良い」などと、大陸にありがちなおかしな考え方に染まる人が増えてしまいました。



けれど、それは間違いであることに、私たちは、震災の続くいまこそ、気づかなければならないのだと思います。



パナマ文書の公開によって、これからの時代、世界的なパワーシフトが起こりそうな気配です。

既存のあらゆる権威や権力が失われたとき、では、私たちが理想とすべきこれからの社会は、いったいどのような姿をした社会なのか。

それは、誰もが豊かに安心して安全に暮らすことができ、いざ天然の大規模災害が起こっても、迅速に救援措置が取られ、被災地の復興がまたたく間に進む社会なのではないでしょうか。



そしてそのためには、日頃から対立や中傷や足の引っ張り合いや、バレなければ何をやっても良いとか、勝てば官軍ではなくて、たがいに共助の精神をもって助け合い、誰もが対等な人間として尊重され、いがみあったり対立したりするのではなく、互いが何よりナカヨクすることができる社会ではないでしょうか。

もしかすると神々は、あらためて日本人に、この日本的共助の精神に気付くように、いま大掛かりな警鐘を発して下さっているのかもしれません。



今回の熊本地震の主役となった活断層は、中央構造線と呼ばれ、九州から四国を渡り、近畿からフォッサマグナを経由して関東の鹿島灘に至る巨大な断層です。

もし、今回熊本で起きた地震が、伊勢サミットを直撃していたら。

もし今回の地震が関東を直撃していたら。











他人事ではないのです。

日本に住む日本人は、1億が家族となって行かなければ、日本人の生存そのものが危うくなるのです。

それがわからない、日本人のふりをして日本に住んでいる日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たちには、考え方をあらためるか、それができないなら、もはや出て行ってもらうしかないのではないかと思います。









東日本大震災で空き巣を繰り返す朝鮮人







日本人のふりをして日本に住んでいる日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たち








ねずさんのひとりごとより

画像リンクは追加しています。

画像はクリックで拡大します。(スマホ)







熊本震災 自衛隊最新設備の活躍リンク







日本人のふりをして日本に住んでいる日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たち関東大震災編リンク




















































いちえふ





いちえふ







福島第一原発作業員の「潜入マンガ」が訴えること」











細部まで描かれた第一原発3号機建屋。アシスタントなしで全カットひとりで描いた





「休憩中に新聞や週刊誌を読むと、『福島第一原発に潜入!』とか『作業員が語る福島の真実』といった記事がよく載っていました。一面の真実はあるにしろ、そうした記事は誇張され、偏った内容のものがほとんどだと感じました。『休憩所で冷たい水が飲めるのは東電社員だけ』とか、夏に一人の作業員が心肺停止で亡くなった時に、『救急態勢の不備が原因』と書かれたり……。1F(福島第一原発)の作業現場に関する誤った情報を目にするたびに、私の中で『作業現場のありのままを伝えたい』という気持ちが強くなったんです」





漫画誌『モーニング』44号(10月3日発売)に掲載されたある漫画が話題を呼んでいる。タイトルは『いちえふ』。作者の竜田一人氏は、昨年6月から12月までの半年間、福島第一原発で働いていた。そう、本作は原発作業員が描いた史上初の「原発潜入漫画」なのだ。





これが現実











現在40代後半の竜田氏は、一時期漫画家として活動していたことがある。だが、漫画一本では喰っていけず、職を転々としてきた。そんな竜田氏がなぜ原発で働くことになったのか。





東日本大震災が起こったとき、私は首都圏に住んでいたので、身の回りに大きな被害はありませんでした。ただ原発事故に関するニュースを目にする中で、傍観者でいるのではなく、復興に携わりたいと思うようになって。『どうせやるなら、福島第一原発で働こう』と考えるようになり、'11年の夏に、勤め先を辞めて原発での仕事を探し始めたんです」












1Fでの仕事に就くのに一年近くかかったが、昨年6月に福島入りを果たした。敷地内の線量を測ったりする「サーベイ」という業務を担当したのち、2号機・3号機の補修作業に携わる。防護服を着ての作業は蒸し暑く、楽ではなかった。だが、気のいい作業員たちと一緒に働くことにやりがいを感じたという。だからこそ、現場の声や様子を、外の世界に伝えたいと思うようになった。





廃炉に向けて懸命に取り組んでいる作業員の方々が、どんな環境で、どんな仕事をして、どんなことを考えているのか、そういった情報が世の中には圧倒的に不足していると感じたんです。1Fの現実を、漫画を通じて伝えたかった」





昨年12月に一度原発から離れることになった竜田氏は、帰宅後早速執筆を開始した。作中に衝撃の事実は現れない。だがこの作品は、すべての日本人が「廃炉」という途方もない作業に多かれ少なかれ向き合わねばならない、という現実を淡々と突きつける。











本作は『モーニング』の新人賞である「MANGAOPEN」の大賞を獲得した。竜田氏は「来年、また1Fで働きたいと思っています」と明かす。















「一度携わった以上、廃炉まで見届けたいと思うんですよ。自分が生きている間には難しいかもしれないけれど……。作業が進んでいることは伝える必要があると思うので、1Fで働いて、またその時の様子を漫画で描く。そんな生活ができればいいな、と思っています」





竜田氏は今後も、自分なりのやり方で「いちえふ」と向き合い続ける。











'12年夏、作業員の一人が心肺停止で亡くなった。証言などを基に、その場面を再現している















3号機内部の修復作業のシーン。同時に警告音が鳴ることもあったという















作業用具も丁寧に描かれる。資料が乏しく、描くのに苦労した場面も















作業員の日常。愚痴も冗談も飛び交う。決して「劣悪な環境」ではない















審査員満場一致で大賞となった本作。読み切りだが続きが読みたくなる



























作者 竜田一人氏 ロングインタビュー







取材じゃなく“就活”で福島原発に行ったんです



マンガ家・竜田一人氏






 「やられた」と感じたジャーナリスト、編集者は相当多かったのではないでしょうか。



 福島第一原子力発電所の収束作業に現場作業員として潜り込み、その実態を自ら体験、そしてその成果を、「マンガ」で世に問う。マンガ週刊誌「モーニング」(講談社)で2013年10月31日号に初めて掲載された『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』は、硬派なテーマを、圧倒的なリアリティにペーソスを絡めて紹介するルポとして人気を集め、昨年4月の単行本第1巻は新人としては異例の15万部スタート。その後も不定期連載を重ねて第2巻が今年2月に発売されました。







『いちえふ』1巻(左)、2巻(右)





 私も編集者の端くれとして、「こんな手があったのか、思いついたヤツは天才だ」と唸りました。こう思う誰しもの頭に浮かぶのは、『自動車絶望工場』(鎌田慧)でありましょう。1973年に出た、トヨタ自動車の本社工場に期間工として働いたジャーナリストによる、工場現場の過酷さを徹底的に批判した潜入ルポです。事態の大きさ、重さを考えれば、『いちえふ』は、それを凌ぐ企画といえる。それを、マンガという、人に説明するのに最適な方法で軽やかにやるなんて…。



 こんな企画を思いついた竜田一人(たつた・かずと、潜入取材のため仮名)さんは、いったいどんな人なんだろう。『いちえふ』を描くまでは(失礼ながら)、売れないマンガ家だったとのこと。3.11でこういう人生の変わり方をした人も珍しい。ご当人は「高給と好奇心とほんのちょっとの義侠心」で現地入りしただけで、マンガにしようとは考えていなかったと他のインタビューではお答えになっているのですが、本当でしょうか? やっかみ半分、好奇心半分で、お話を聞きに行きました。



(聞き手は 山中 浩之)





よろしくお願いいたします。写真…は、もちろんNGなんですよね。ええと、今年50歳になられる?








(以下、画像は全て©竜田一人。)





竜田:もう50歳になりました。



じゃあ、私と同世代ですね。マンガ家を目指されたのはいつ頃ですか。私と同じようなマンガを読んできたんじゃないかと思うんですが。



竜田:マンガは子供のころから好きで読んでいましたし、小学校のころは「マンガ家になりたい」の気持ちは多少ありましたけどね。好きだったのは、矢口高雄さん。



あ、釣りバカ…




竜田:じゃなくて『釣りキチ三平』。



マンガにも本気になれず、就職しましたが…



失礼しました、ハマちゃんじゃなくて三平君のほうですね。インタビューを読んでいたら、時代劇マンガの平田弘史さんがお好きとか。



竜田:そうですね。平田弘史先生は大学のころですかね。



さすがに小学校から読んでいるわけないですよね。




竜田:小学生があれを読んだらちょっと気持ち悪いですよね(笑)。学生時代に読んで衝撃を受けまして。当時たしか全集が刊行され始めて。貧乏だったんですけど、まあ、無理して買いました。



マンガ研究会とか入りました?



竜田:ちゃんとしたサークルもあったんです。そこは某I先生が出たりする立派なところなんですけど、そういうところではなくて同好会みたいな、全然漫研とは呼べない程度のところで。それもちょこちょこやっていた程度で、本気でこれでプロになれるともあんまり思ってなかったし。でも「なれたらいいな」ぐらいで、たまに新人賞に応募するみたいな。



応募はしていた。今回『いちえふ』を持ち込まれた「モーニング」とかにも?



竜田:モーニングは読んではいましたね。『ああ播磨灘』(さだやす圭)が始まったころ。



ものすごいころじゃないですか。『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ)も同じ時期でしたね。



竜田:「モーニング」にも(新人賞応募に)出したかな、分からないけど、若いころだから。そのころは本当に下手くそだったので。



じゃあ、卒業してから普通に就職されたんですか。




竜田:1回普通の会社に入ったんですよ。新卒で。そこを3カ月か4カ月ぐらいで辞めちゃって。













おお、短いですね。小田嶋隆さんみたいだ。



竜田:これはちょっと性に合わないなと思って。



何の会社だったんですか。



竜田:住宅設備か何かの。どんな業界なのか知りもしないで、たまたま就職活動をしているときに、合同説明会でひっかかって、たまたま受けたら受かって。だからこういう仕事をしたいとか、こういう業界に入りたいみたいなのは全然なくて。



何で3カ月だったんですか。



竜田:行ってみたら、ちょっとサラリーマンは性に合わないな、ということだったんですかね。結構店でバイトしたりもしていたので、働くこと自体にはそんなに抵抗はなかったんですけど、何だろうな。



内勤だったら、外に出られないこととか。



竜田:座って机に向かってこつこつやっているのはいいんですよ。別に今だってやっているんだから(笑)。それ自体は嫌いではないんだけど、みんなで1つのオフィスにいて、大勢がいてみんなで机に向かっている、というのが何か嫌なんです。



何か嫌、では学校はどうでした?



竜田:学校も嫌だったんですよ、俺。大学卒業するのに5年かかりました(笑)。



相当サボったと。サボって何を?



竜田:映画を見てました。本当に年間100本ぐらいは見た。学生のころに黒澤明から小津安二郎も全部見たし。当時はビデオが高かったけれど、名画座がまだいっぱいあったので、1年でだいたいのところは見られる。



 なので、会社を辞めてから伝手を探して、映画やテレビの制作部のアシスタント仕事を。



あっ、制作部。それは以前、「秘密結社 鷹の爪」の蛙男商会さんからお話を聞いたことが。肉体も精神も極限までこき使われる地獄のような仕事だと。



竜田:制作部は地獄のような仕事、確かに。テレビのドラマとかになると、スケジュールはきついし、予算はないしね。要するに撮影部とか美術部とか、そういう技術系はだいたい分かるじゃないですか。「こういうフィルターを持ってこい」とかそういう、必要な対応、対策が。それ以外の、じゃあ、ここを撮影するために駐車中のクルマが邪魔だから片付けて、みたいな、そういう雑務が全部制作部に来ちゃう。特に大事なのは弁当の手配ですね。何があろうとスタッフに飯を食わせるというのが一番の重要任務ですので。



弁当の手配から撮影現場の確保にロケ用の車の運転までと寝る暇がない。蛙男商会さんは、徹夜明けでそのまま渋谷の待ち合わせ場所まで車を運転していって、サイドブレーキをがっと引いた瞬間に5分寝る、そういう生活だったと言っていましたが。




竜田:寝ている時間の半分は車中、みたいなね。夏は長野の農家でレタスを作る手伝いを住み込みでやって、冬は東京に戻って制作現場、と、そんな感じの生活を5〜6年続けましたかね。











30歳直前、久々のマンガが賞を取って



5年ぐらいやって、ちょっとモードを変えた?



竜田:そうですね。20代、もうどん詰まりぐらいになって、さすがにいつまでもこんなことやっていられないなと思いつつ、まあ、だからといって何をしようという当てもなく。でもそんな中でちょっとマンガを1本描いてみたら、それが某社さんでたまたま新人賞か何かをもらって。



ほお! どんなマンガだったんですか。



竜田:プロレスラーがマージャンを打つ(笑)。



盲牌するとパイが潰れちゃうみたいな。



竜田:しょせんそういうマニアックな話なのであまり一般受けしない。だから連載じゃなくて「面白いのが描けたら載せるよ」みたいな感じで。それで食えるわけもなく、まだやっぱりほかのバイトをしながら。もう畑には行きませんでしたが。



その間働いたところで覚えていらっしゃるところってあります?




竜田:まあ、いろいろですね。やっぱり多かったのは映像系の仕事ですね。テレビドラマとか、劇場映画ではなくて、企業の宣伝や施設の解説、教材、紹介といったVP(Video Package)の。地方に行って泊まり込んで、記録映像を撮って、現地の博物館でかける展示映像とかですね。



おっ、その仕事は面白そうですね。












竜田:面白かったですね。VPとか教材というのは、「見る人にどう説明するか」が勝負ですから。これは今の『いちえふ』での、例えばこのマスクとかをどう説明しようとか、そういう時にはこの経験は結構役に立っているような気がします。(『いちえふ』は)ある意味、マンガというよりVPを作っているような面がある。



あ、確かに。






竜田:言葉だけでは伝えられない、伝えにくいこともいっぱいあって、絵にしてしまえば一目瞭然、みたいなものがたくさんあるので。



一目瞭然ですよね。誤解がぐっと減りそうですよね。




竜田:福島第一原子力発電所の収束作業の現場を説明をするのに、マンガがこれほど適しているというのは、描いてみて再認識したところがありますね。



説明するときのコツみたいなものとか、何かありますか。




竜田:何だろうな。ネームの段階、ラフで編集部の篠原さんと相談している時点では、何をどう説明すれば伝わるのか、全然分からないです(笑)。



人に見せるって大事ですね。




竜田:そうそう。俺は働いてきて見ているものだから、もう分かっちゃっていてそのつもりで描いちゃうんだけど、知らない人が見たら全然分からないものとか、こんな説明じゃ分からないというのがやっぱりあるので。だから他者の視点というのは大事ですね。



で、某社の受賞で本格的にマンガのお仕事が始まってからは?




竜田:確かこのときぎりぎり30歳前でしたが、1本載ったぐらいじゃ全然食えるようにならないので、この業界。そこから頑張ってがんがん面白いのを描いて載せられればいいんでけど、そこまでの力がなかったということですね。まあ、力とか、運とかいろいろありますけどね。



じゃあ、人に説明する映像を撮る仕事と、時々マンガみたいな感じだったわけですか。



竜田:そうですね。でもマンガがあんまりぱっとしなくて、そのうち「しょうがない」といってちょっとエロマンガを描くようになって、2年ぐらいエロをやっていました。



おお!




竜田:いや、目を輝かせてもらっても(笑)。この絵柄なので、最近あるような萌え系のちょっとアニメっぽいようなのではなくて、昔からあるようなタイプのエロマンガですね。



エロマンガも2年ほど描きました




例えば、ケン月影先生とか。




竜田:そうそう。ケン月影先生とか。その名前が日経ビジネスの記者さんから出るとは思いませんでした(笑)。



いいじゃないですか、あの絵はすごく好きなんです。




竜田:実は、本当に「平田弘史」と並ぶぐらいのアイドルです、ケン月影さん、俺の中で。



最近、「ビッグコミック」(小学館)で、竹久夢二伊藤晴雨のお話を描いておられて…(『万華鏡』)。




竜田:というわけで、ケン月影先生が描くような感じの伝統的なマンガを、伝統的な雑誌に描いていました。



年に何本ぐらい書いていたんですか。




竜田:月1でしたね。



食べていけたのでしょうか。




竜田:マンガを描いているときというのは時間を食われて金も使わないですから、食えるぎりぎりぐらい。まあ、生きているだけですね。



ネタを考えるのが大変じゃないですか。



竜田:でもその時々の時事ネタみたいなのを拾っていくと、意外に発想が出てきたりするので、そんなでもなかったですね。タイガースが優勝したから、じゃあ、甲子園球場でいたしているとか、そういう単純な話です(笑)。



なるほど。じゃあ、どうして辞められたんでしょう。2年以上だって続けられたはずですよね。




竜田:そうですね。やろうと思えばできたんでしょうけど、たまたま描いていた雑誌が休刊になって、もういいかなというときに、コンビニで売っている安いマンガ本の、最初何だったかな。何かスポーツ関係のドキュメンタリーの仕事が、昔お付き合いのあった編集さんから回ってきたので、そういうのをやるようになったんですね。



何のスポーツのドキュメンタリー物を描いたんですか。




竜田:うーん、野球かプロレスかどっちかだと思いますけど。



そんないいかげんな。












竜田:最初プロレスだったかな。何本描いたんですかね。でもスポーツ物だけで10本以上は描いたかな。もっと描いているかな。20本ぐらい描いたかな、分からないですけど。



それらはいわゆる単行本にはならなかったんですか。




竜田:一応、出た本は自分では持っていますけど、単著の単行本は『いちえふ』が初めてです。



単行本が出ないまま、マンガ家としてのキャリアがだんだん長くなってきて。




竜田:そうですね。何だかんだで結構やりましたよね。ただ、2009年くらいになると、その手の仕事すらなくなってきた。そのころにはドキュメンタリーのほかに裏社会の実録物みたいな、そういうのもいろいろやっていたんですが、それもだんだん声がかからなくなってきて。



つまり震災前には、マンガ家としてのお仕事はだいぶ減っていたということですか。




竜田:もう2010年ぐらいにほぼ廃業状態でしたね。これじゃちょっとやっていけないからと、近所にあった会社に入って、一応サラリーマンだったんですよ。ご迷惑がかかるといけないので、すみませんが業種や社名は伏せさせてください。



久しぶりの“社会人”生活はいかがでしたか。



竜田:やっぱりこれも性に合わなくて。



合わなかったんですか。



竜田:全然合わなくて。業務上、子供とコミュニケーションを取る必要が出てくるんですが、子供は苦手で、うん。わりと子供には好かれるんですけどねえ。



竜田さん、素で好かれそうですよ。












竜田:好かれるんですけど、仕事で子供と接するというのがなかなか難しくて。それで、「もうさすがに持たないから辞めようかな」と考えていたときに地震が起きたんです。



子供たちに「大丈夫なの?」と聞かれて




じゃあ、やや盛って言うと、本当に人生に行き詰まったところで地震




竜田:そうそう。だから本当、どうにもならないしどうしようかな、というときに地震が起きました。



ちなみに、どこに居ました?




竜田:職場に向かうために、駅に向かって歩いているときに地震が来て、そのときはわりと広めのところにいたので、別にそこで何か降ってくるとかそういうこともなく、わりと冷静に。近くの建物とか揺れているのを見て、おお、すごい地震だと。



ご自身や、ご家族には被害は。




竜田:自分自身や、家族とかにも被害は基本的にはなかったので、当日はまだそんなにショックを受けたわけでもない。その日も仕事に行ったけど当然、お客なんて誰も来なくて。



 会社は結局休みにもならず、次の日からまた苦手な子供の対応をするわけですが、津波原発事故が報じられて、どうしても話題はその方向になる。親御さんでも、すごい不安になっている人がいて「原子炉はまた爆発するの?」みたいなことを聞いてくる子もいたりして、そうなるとこっちも適当なことを言えないので、持てる限りの力を使って調べるわけですよ。だから調べましたね、あの当時。



真偽取り混ぜていろいろな情報がありましたよね。




竜田:もうデマばっかりで。その中でどれが信用できそうかなと真面目に考えて、なるべく東電発表とか政府発表とか1次情報に当たるようにして、最初のころは全然知識がないのでよく分からないんですけど、照合していくと正しいことを言っていそうな人が見えてくる。例えば「Twitter」で言ったら早野(龍五)さん(原子物理学者)とか、野尻(美保子)さん(素粒子物理学者)とか。



ああ、読んでました。




竜田:早野さんとか野尻さんとかが頼りになりそうだと分かる一方で、明らかに煽っている言い方をする人がいて、いっぱい見てくるとだんだん区別がつくようになってくる。



子供たちと接するところにいたら、そういうことを真剣に考えますよね。












竜田:そう。お客さんたちの中にはやっぱり不安になっている人がいましたので、そういう人たちにある程度正確なことを説明するには、自分で調べなきゃいけなくて、それで調べてある程度の知識ができたというのがでかかったですね。あ、だから、やっぱり数ある職業遍歴の中の1つが多少『いちえふ』の役に立っているんですね。



子供に聞かれる立場にいたことと、説明スキルを磨いていたことですね。




竜田:子供に聞かれて、説明するために勉強したことがまあひとつのきっかけになって、どうせ働くならああいうところで働いてみたいなと思ったんです。その時点で社長に「辞めさせてくれ」と。



ううん、とはいえ、やっぱりその行動には結構なジャンプを感じます。私、ぶっちゃけしか聞けないので聞いちゃいますけど、『いちえふ』を読んだ時に「こういう手があったか」と思ったんですよ。『自動車絶望工場』をいまやるとこうなるのか、と。




竜田:よく引き合いに出されますけど、俺、読んでないですよ。



マンガを描くために福島に行ったのではない、となんども言っている方に、今更聞くのも不躾ではありますが、どうなんでしょう。



竜田:まったくなくはないですよ、それは。もともとマンガを描いていたわけですから。でも、「被災地で働きたい」というのが大前提で、福島第一で、と限定していたわけでもないんです。



まず「被災地で働きたい」と。




そもそも就職するのが1年がかり




竜田:宮城でも岩手でも、がれき撤去でも何でもよかったんですね。そんな中で条件に合うのがたまたま1F(福島第一の現地での呼称。「フクイチ」とは言わないのだという)の仕事というのが、宿舎付きが多かった。それが何よりでかくて。東京から職を探して行く以上、通いではなく住むところ込みでないとだめなので、宿舎付きの仕事を探しているうちに、たまたまそういう会社に入ることになったという。行くときも1Fに入れるという保証もなくて。



そうでした、第1巻で、そもそも現地の住み込みの職を見つけるのに1年がかりだったという話を読んで驚きました。




竜田:そうですよ。しかも、住み込みを始めてからも1Fの仕事がなかなか入らなくて、「やることがないなら」と、別の土地の土木現場に回されたりして。



とはいえ、言い方を変えてみれば、1年近く振り回されながらも原発の現場で働けるまで粘ったわけですよね。












竜田:待ちきれずにやめた人もたくさんいましたが、現地以外からこの仕事に来た中には「ここまで待たされて、被災地の仕事ができないまま帰れるか」と意地になっていた人が俺以外にもいましたよ。もちろん、その時点で全然描くつもりがなかったかといえば、そうではなく、面白いことがあったらそれは描くべ、というのはありましたね。



取材だと思って行かないとこんなにいっぱい細かいことを覚えていられないはず、という気もするんですけど。




竜田:まあ、それはだから職業病です。



職業病か、記憶で描けちゃいますか?




竜田:うん。だから意識の片隅にでもそういうのがあれば、「ここはちゃんと覚えておこう」とか、写真が撮れるところだったら撮っておこう、となりますからね。結構、1Fの外で撮った写真がたくさんあって、これが役に立っています。でもやっぱり帰ってくると、「ああ、あそこを撮っておけばよかった」というのがいっぱいあってね。











 遠いからおいそれとまたロケハンに行くというわけにはいかないし、ちょっと苦労していますけど。とはいえ、マンガ家としての視点もそうだし、やっぱり映像をやっていたおかげで、「その場所にいてここを撮るならどう撮る」みたいなアングルは、たぶん無意識に考えています。



なるほど。あと、建機とか玉掛けとか溶接とか、いろいろ免許を取って行かれているじゃないですか。




竜田:はい。これもやっぱり狙って行っているみたいに見えますかね。それは仕事を探している間に条件を見ていくと。重機とか溶接とか(免許が)あるやつは雇うよ、みたいなのが、ハローワークの求人票に書いてあるので、「これがあるとすんなり向こうに行けるかもしれないな」というので取ったんですよ。



ああ…つまり、本当に取材以前に“就活”だったと。






竜田:完全に就職活動ですよね。ひとつだけ『いちえふ』につながっているとしたら、福島というところを選択肢から外さなかったというところですね。あそこはやめようみたいなのはまったくなかったので、むしろあそこが一番困っているだろうから行きたい、ぐらいの気持ちでした。



そこで働いてその後は、みたいなことは考えてなかったんですか。




竜田:いつもわりと考えてないです(笑)。常にそうなんですけどね。取りあえず今仕事をするとしたらどうするんだという、それだけですよね。そのわりにこらえ性がなくて、「これは合わない」とすぐ辞めちゃうという(笑)。



なるほど、「今仕事するならどうするんだ」。サラリーマンやっているとそういう発想というのがいつの間にかなくなっていますね。明日の仕事は勝手に向こうからやってくる、みたいに感じるようになって。




竜田:そうですね。でもそれが普通だと思いますけどね。



そうなんでしょうけど。自分自身が3.11以降に福島に行ったことがない人間なので、一番分かりやすいサンプルだと思うんですけど、例えば、震災の映像を見た日は「ボランティアに行こうかな」とか思っていても、たちまち、やって来る明日、日常に押し流されていくわけじゃないですか。




竜田:わりと浪花節の人間なので、福島への義理、みたいなのを結構感じたりしてました。そんな必要はないんですけどね。そこまでのものではない。ないとは思うんだけど、もしそれ以上の理由があるとしたら、やっぱり、その当時の世間の風潮に対する反発ですよ。



いわゆる風評被害。自分自身に向けられていなくても、そういうのにむかっと来る人ですか。



竜田:それはありますね。他人がそういうことを言われて俺が怒るのは変だし、そういう“義憤に駆られる”ことの危険もよく分かるんだけど。俺がこうやってデマを攻撃しているのと、事故当時から東電を攻撃しているやつ、それは裏表みたいなもので。



開拓地での、普通の暮らし




それは自分に厳しすぎるでしょう。




竜田:でも、そんなものだという自覚もあるんです。それを自覚しないと危ないと思ってます。だけどどうしてもやっぱりそういうものに対して反発を感じるというのが、ガキのころから結構あったので。



 震災以後、会社を辞めるまでの間は、早く現地に行きたいけど、でも今の職場を放り出すわけにはいかなくて、実際に辞めるのは夏の終わりぐらいなんです。その間何にもできなかったというのはやっぱり、すごくつらかったですね。




つらかったですか。




竜田:つらかったですね。



その間に忘れたり、摩滅したりはしなかったんですね。




竜田:うん。むしろ「こんなところで何やっているんだ」という思いは募っていきましたね。ひどいデマが相変わらず飛んでいましたし。



そういうような憤りの持ち方って、原発の前に何か持ったことってあります?




竜田:ここまではなかったですね。



好奇心というか、「面白そう」というのもあったでしょう。




竜田:まあ、面白そうですよね。すごい不謹慎な言い方ですけど、マンガにも描きましたが、あそこは日本に突然生まれたフロンティア、開拓地という面もあります(第2巻 133ページ)。何が起こるか本当に分からない状況と、自ら未来を切り開いていく気概と。それを見てみたい、そこで働いてみたい。この気持ちは本当に好奇心ですよね。被災者の方には、本当に申し訳ないとは思いますけど。



でも、「みんなが沈鬱な顔だ、ひどい、大変だ、苦しい、苦しい」いう視点だけで描いていたら、おそらく“福島はなかったことにしよう”という気持ちに、私を含めて普通の人はなると思うんですよ。












竜田:行ってみれば、現地の人たちは笑って普通に暮らしているわけで。被災地で働くために首都圏を出て郡山の駅を降りて、あ、全然普通じゃんという。東京で言われているイメージとは違うんだなというのをそこで再確認しましたね。現地に行ったのはもう震災から2年も過ぎていたので、そんないつまでも人間、泣いて暮らしているわけではないというのは頭の中では分かっているんですけど、実際に自分の目で見ると、やっぱりそうなんだよなと再確認したところはありますね。













しかも、現場の“普通の暮らし”が面白い。




竜田:原発作業員って奴隷みたいにこき使われている、あるいは、世界を救う英雄みたいに言われたりする。だけど実際行ってみたら普通のおっさんが普通に働いているだけで、飯を食って酒飲んで、パチンコをしてという人たちだよという。



しかも地元のおっちゃんたちなんですね。




竜田:ほぼ9割方地元の人で、結構年配の方も多くて。



ということで、面白かったから描くべ、となったと。淡々と作業員の目から見た日常を描く、という基本方針はどういう経緯で。












竜田:いや、あそこで俺が見てきたことだけを描いていったら、おっさんの生活にしかならない(笑)。俺もおっさんだし、周りにいたのもおっさんだし、だからおっさんのことしか描けない。若い女の子とか出てこないので。



そういえば出てこないですよね、若い女性。



竜田:非常に弱いですね、このマンガ。そういう意味では。せめてタイトルだけでもと思って、ひらがな4文字にして、ちょっと萌えアニメっぽい感じにしてみたんですけど。



ひらがなのタイトルにしたのはそんな理由なんですか?




竜田:「1F」という業界用語をタイトルにしちゃういやらしさみたいなのも、本当は自分でも分かっているんです。でも今までのイメージをちょっとでも覆そう…とまでは言いませんが、実際にそこに生活があって普通に暮らしているよというのを表現するには、平仮名で『いちえふ』というのがいいのかなと思ったんですよね。あと「フクイチ」って言うやつなんか、現地にはいねえと(笑)。



 日常を描く、というのはたまたまそうなっただけで、それしか書けなかった。特に日常の話については。というか見てきたこと以外を書いちゃうとウソになっちゃうので、なのでこのトーンで描くしかないんですよね。マンガとしては弱くなるかもしれないけれど。



あっ、そういえばインタビューで「マンガ家という意識は今はあまりない」とおっしゃってましたよね。先ほどおっしゃっていた話に沿っていえば、VPとはまた違うんでしょうけど、「人に物を説明するポジションだな、俺は」という、そういう感じでしょうか。




竜田:そうですね。それはでかいですね。VPとか教材とかで「自分の主張はこうだ!」と、前面に出すわけにはいかないじゃないですか。



確かに(笑)。




竜田:そういうものを作り慣れているから、このトーンになったというのはあると思います。



でも、教材だって、ちゃんと面白くなかったら先を見てくれないわけですもんね。




竜田:うん。



そこのバランスが絶妙です。




世の中には、こういうところで働く人もいるんだよ




竜田:面白くなったかどうかはちょっと自分では分からないので、面白いと言っていただけるのが非常にうれしい。



うちには中学3年生の息子と小学3年生の娘がいるんですが、『いちえふ』をリビングに置いておいたら、昨日1日中、ふたりとも齧りついて読んでいましたよ。




竜田:小学生にも読んでもらえるというのはうれしいですね。



働くおじさんたちのマンガとして、ちゃんと楽しく読んでいる。




竜田:そうそう。実は、職員たちの紹介マンガだと思ってます。だから原発の実態がどうのこうのというのはあんまりないんですよ。「世の中にはこういうところで働いている人がいるよ」というだけの話なので。













一方、このマンガを読むと「被爆の許容量の縛りと、作業スキルの高い人の貴重さ」が、収束作業を続けていくための大問題になっていることがものすごく分かります。




竜田:そう言ってくださる方はいらっしゃいますね。



マンガでグラインダーを使っている「おじちゃんの顔」があって、ストーリーと絡めてみると「そうか、このおじちゃんは危険な現場を任されるくらい腕が良いのに、もう働けないんだ」と分かる。エース級の人がどんどん現場にいられなくなる。もちろん、線量の限度を上げてはいけない。となると、どこかで計画的に原発作業の人員を育てないと、こんなのじきにパンクするぞ、と素人でも理解できる。














運命を変えたのは、義憤?




職場仲間や、地元の人とかそういう人も、ずいぶんアットホームというか温かく描かれていますけれど。




竜田:うん。俺が会ったのはみんないい人ばっかりだったので、それはラッキーでしたね。本当にこんなものは運ですよね。行った先でどういう人と出会うかって。福島はみんないい人だなんてわけはないし、実際そんなによくもない人もいるんですけど(笑)、でも基本的に俺が会ったのはみんないい人でしたね。



トンカツを食わせてもらう話、いいじゃないですか。
















竜田:いいでしょう。本当にいろいろな人にお世話になって。仕事はもちろんですが、そういう意味でもあの震災は俺の運命を変えたかなと。



しつこいんですが、まさにその運命を変える行動のもとにあったのが、マンガ家としての職業意識ではなかったとしたら、義憤なんでしょうか。あるいは、「逆境に自らを置きたい」という気持ちとか。




竜田:いや、逆境には強くないですよ、最初の会社から逃げ出したように、むしろすぐ逃げる方だと思います。



義憤の方はどうですか、いわば人のための怒りじゃないですか、義憤って。そういうものを発露する人って、これまでにも、小さくても同じようなことをやっているんじゃないかなという気がするんですけどね。




竜田:いや、むしろそういうことはこれまでなかったと思いますね。



そういうタイプじゃなかったんですか。




竜田:怒りっぽい人間なので、いろいろ社会情勢とかに対して怒ってはきたかもしれないです。けれど、別にそれで行動に移すわけでもなく、だから会社をすぐ辞めちゃったり、その後も何かはっきり定職とかに就くわけでもなく、だらだら暮らしてきたので…むしろそういう自分が嫌だったというところがあるかもしれないですね。



ああ。



竜田:仕事にしても、震災にしても、自分は何かしたのかと。先ほどの、仕事やマンガの煮詰まり感というか、どん詰まり感みたいなものが行動につながったというのもあると思います。だから本当に「俺はこういうことが起こっても何もできていない」というもどかしさみたいなのはずっと感じていました。



本当に好きになっちゃいました




この先、この『いちえふ』以外のいわゆるマンガを描くおつもりというのは。




竜田:今のところ何も考えてないですね。これで手いっぱいなので。これで手いっぱいだし、向こうでも働きたいし。



本当に向こうで働くのが好きになっちゃったんですか。




竜田:そうですね。今でも、だから、今すぐにでも向こうに行って働きたいですね。



わお(笑)。




竜田:特に今年の分の線量(作業員としての年間被爆許容量)がまだ余っているので。10ミリシーベルトぐらい。ちょっとこれはもったいないですよね。最後まで使い切れないというのが。



ということはあれですか、結論として、1Fの収束作業というお仕事は、竜田さんにものすごく合っていたということですか。




竜田:めっちゃ合っていますね。俺にとっては。



本当ですか。マンガを描いているよりも?



竜田:いま編集さんがいないから言えるけど(笑)。マンガを描いているよりは、福島にいる方がいいです。正直に言って。











傍白



「マンガ家として1Fに行ったのではない。作業員がマンガを描いたのだ」



 ということが、竜田さんのお話を聞いた率直な印象だ。さらに言葉を増やすなら「1Fをマンガ家が描くのではなくて、1F作業員としてマンガで説明する係」を自分の仕事として見いだしたのだ、ということなのだろう。



 3.11は人々から人生を、生活を、仕事を無慈悲に奪い去った。一方で、これまでにはなかったフロンティアとして、新しい仕事を生み出してもいる。それを喜ぶわけにはもちろんいかないが、安易な“絶望”からは何も生まれまい。



 マンガを含めて「自分に合った仕事」という手応えを得たことがなかったという竜田さんは、そのフロンティアで天職に出会ってしまったのだ。



 被災地が真のフロンティアとなるのは、収束作業の終了の日だろう。それを描いて最終回を迎えたいという竜田さんの願いが、1日も早く叶いますように。

















「いちえふ」竜田一人氏インタビューより

画像は追加しています。

画像はクリックで拡大します。(スマホ)





























川内原発 メルトダウン





川内原発の真の恐怖とは?

白抜き黒枠データを公表する

信じがたい九州電力原子力規制庁の正体



広瀬 隆













福島第一原発事故を半年前に予言した書『原子炉時限爆弾』で、衝撃的な事実を発表したノンフィクション作家の広瀬隆氏。

壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が話題を呼んでいる。

このたび、新著でおそるべき予言をした著者が、連載第1回に続き、鹿児島県にある川内(せんだい)原発の知られざる危険性を、様々なシミュレーションから緊急警告する!













「日本地理」と「風の流れ」が教える危険性












広瀬 隆(Takashi Hirose)

1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃的な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。



さて、前回述べたように、再稼働を目前にしている鹿児島県川内原発の耐震性は、地震の一撃で大事故を起こす。しかもその地震が目前に迫って、風前の灯である。











ところが昨年、2014年7月16日に出された「九州電力株式会社川内原子力発電所1号炉及び2号炉の発電用原子炉設置変更許可申請書に関する審査書案」(審査書案)には、耐震性の計算式も、このような耐震性の計算のもとになった計算図表もまったく見当たらない。



この審査書案を基に、原子力規制庁の官僚が、ゴーサインを出したはずなのだが、これでは、まともな原発かどうか、誰にも判断できないではないか!



まったく書かれていないどころか、最近出された川内原発の「工事計画認可申請書」は、耐震性だけでなく、重要な部分が、真っ白になって、黒枠で囲まれているのだ。



昔は、都合の悪いデータを墨塗りにして出すことがよくあったが、今や、そちこちが真っ白けである。それを、平気で公開している。われわれが、原子力規制庁の官僚を呼んでヒアリングをおこない、



「一体、誰がこのようにひどい文書を発表するように、あなたたちに命じたのか?責任者はただではすまないぞ」



と質問すると、



原子力規制委員会田中俊一委員長の指示による」という。











ここまで悪質になった原子力行政を、なぜテレビと新聞が痛烈に批判しないのだろうか?なぜ、みな、平気で生きているのだろう?



鹿児島県は九州の最南端にある。そこに川内原発があるのだ。 この地理は、きわめて重要である。



読者は、ここで第二のフクシマ原発事故が起これば、日本はどうなると思いますか?



フィリピン海で発生する台風の進路は、偏西風に乗って北上する。つまり、日本列島が斜めに走っている方向と同じく、北東に向かって、沖縄から九州〜四国〜本州〜北海道へと風が走るでしょ?







だから日本の天候は、西から東へ変化するのだ。したがって、原発事故で出た放射能の流れる方向も、これとまったく同じ方向に流れる。



東京を含む東日本地域で

大量の「癌」&「心筋梗塞」が発生する!



4年前のフクシマ原発事故では、そのため、放出された放射能の8割が、図の黒い矢印で示したように、その偏西風に乗って太平洋に落ちた。2割だけが陸上に降りつもった。



その2割でさえも、東京を含む東日本全域が、これから「おそるべき大量の癌発生」の時期に突入しようとしている。



なぜなら、放射能の被害は、4年から5年の潜伏期を過ぎると、どっと症状が現われるからだ。




フクシマ原発事故から4年を過ぎた今が、ちょうどその大量発症のスタート時期である。



福島県内では、子どもたちの甲状腺癌が、すでに70倍を超える発症率に達しているのだ。福島県だけではなく、

人口1300万人の首都・東京を含めた、東日本全域で大被害が進行中である。また、症状は癌だけではない。おそらく空前の数で、心筋梗塞が発症するだろう。



その警告のために書いたのが、今回の『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』である。



読者は、自分と家族の身を守るために、すぐこの書を読まれたい。

放出された放射能は、読者が想像しているよりはるかに天文学的な、危険な量である。

しかも、地上に降りつもった放射性セシウムは、100分の1になるのに200年かかるのだから、ほとんどが地上に残っている。大被害の発生は、いよいよこれからスタートするのである。



さて、この凄惨な被害を出したフクシマ原発事故に比べて、明日にも起ころうとしている川内原発の事故では、どうなると思うだろうか?



フクシマ原発事故のように放射能の2割が降りつもるのではなく、放出される放射能の「全量」が、さきほどの日本地図に示した赤い矢印のように、偏西風に乗って日本列島に降りつもることは、子どもでも分るだろう。



つまり陸上の作物は、すべて食べられなくなる。水も飲めなくなる。空気が汚染されるのだから、呼吸もできなくなる。



川内原発事故時の

おそるべきシミュレーション










一方、九州大学応用力学研究所の広瀬直毅《なおき》教授たちによる 川内原発における放射性物質流出事故における海洋拡散シミュレーション」では、左の図のように、太平洋沿岸は、北上する暖流の黒潮によって、千葉県の銚子あたりまで沿岸を放射能が一気になめつくす。



カツオがこの海流に乗って泳いでいる。その先は、フクシマ原発の沖合なので、寒流の親潮がすでに大汚染している。



もっとおそろしいのは、日本海側である。



対馬海流も九州から北上して、北海道まで、全域の海を汚染する。この日本海は、内海なので、放射能はほぼ永久にそこにとどまるのだ。



こうして陸も海も、食料の全滅した国が、ニッポンと変るのである。

この地獄図のなかに入る被害者は、読者だけではない。国会議員も含まれる。テレビと新聞の関係者も含まれる。電力会社の社員も含まれる。



Broad wimax



ところが、理解を超えることに、彼らがその“第二のフクシマ原発事故”の責任者なのである。



そのため、膨大な数の国民が、川内原発の再稼働に反対して、デモと集会をくり返しているというのは、当然の怒りだと思いませんか?現在の政治家を選んだ結果が、こうなったのです。



では、原子力規制委員会原子力規制庁の人間を誰が選んだかといえば、この政治家たちなのだ。つまり、ほとんどの悪事は、人事によって決定されてきた。いわば、悪循環に陥っているのが、日本の実態だ。



火山噴火の「身の毛もよだつ」恐怖



火山の噴火が続いている九州なので、噴火のおそろしさについても、ふれておこう。



4年前の福島第一原発では、津波をかぶったために、すべての電源を失うという最悪の事態となって、コンピューターも何も動かないまま、原子炉が最悪のメルトダウン事故に突入した。



では、火山の噴火によって、同じことが起こらないだろうか?



福島第一原発を開発したアメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE)に入社し、技術者として18年間働き、原発建設にも携わってきた専門家である佐藤暁《さとし》氏は、通常の噴火で起こりやすい原発大事故について議論するべきだとして、以下の重大な警告を発している。

火山灰は、硫酸イオンを含んでいるので、少々の雨などで湿気を帯びると、火山灰が送電線に降りつもって、電気が地面にショート(短絡)してしまう。それを防ぐには、停電させるほかないので、福島第一原発と同じように原発の外部電源は完全に失われる。そうした緊急事態に備えて、非常用のディーゼル発電機が、原発内部には備えられている。



フクシマ原発事故では、その非常用のディーゼル発電機が津波をかぶって使えなくなったのだ。



原発内部のすべての電源になるこの命綱のエンジンも、運転すれば過熱してくるので、これを冷却しなければ、運転ができない。

つまりディーゼル発電機室の内部を大量の空気で冷却する必要がある。

その冷却用空気に外部から火山灰が取り込まれてくるのがこわいのだという。



なるほど、それを防ぐために、ディーゼルエンジンには、自動車のエンジンと同じように、空気を浄化するフィルターがついている。このフィルターに火山灰が付着するので、目詰まりを起こしてオーバーヒートし、最終的にはエンジンが停止する。福島原発事故で起こったと同じ、電源喪失 に至るのだ。



川内原発は、日本の火山学者が、口をそろえて、「こんな火山地帯にあってはならない原発だ」と言っている、おそるべき原子力発電所なのである。





なぜ、『東京が壊滅する日』を

緊急出版したのか






このたび、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』を緊急出版した。



現在、福島県内の子どもの甲状腺ガン発生率は平常時の70倍超。2011年3〜6月の放射性セシウムの月間降下物総量は「新宿が盛岡の6倍」 甲状腺癌を起こす放射性ヨウ素の月間降下物総量は「新宿が盛岡の100倍超」文科省2011年11/25公表値)という驚くべき数値になっている。



東京を含む東日本地域住民の内部被曝は極めて深刻だ。

映画俳優ジョン・ウェインの死を招いた米ネバダ核実験(1951〜57で計97回)や、チェルノブイリ事故でも

「事故後5年」
から癌患者が急増。フクシマ原発事故から4年を迎える今、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』で描いたおそるべき史実とデータに向き合っておかねばならない。



1951〜57年に計97回行われた米ネバダの大気中核実験では、核実験場から220キロ離れたセント・ジョージで大規模な癌発生事件が続出した。220キロといえば、福島第一原発東京駅福島第一原発〜釜石と同じ距離だ。



核実験と原発事故は違うのでは?と思われがちだが、中身は同じ200種以上の放射性物質福島第一原発の場合、3号機から猛物プルトニウムを含む放射性ガスが放出されている。これがセシウム以上にタチが悪い。

3.11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多いからだ。



不気味な火山活動&地震発生の今、「残された時間」が本当にない。

子どもたちを見殺しにしたまま、大人たちはこの事態を静観していいはずがない。



最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか?



同時に、日本の原発から出るプルトニウム核兵器がつくられている現実をイラン、イラク、トルコ、イスラエルパキスタン、印中台韓、北朝鮮の最新事情をはじめて触れた。

51の【系図・図表と写真のリスト】をはじめとする壮大な史実とデータをぜひご覧いただきたい。



「世界中の地下人脈」「驚くべき史実と科学的データ」がおしみないタッチで迫ってくる戦後70年の不都合な真実



よろしければご一読いただけると幸いです。





<著者プロフィール>



広瀬 隆(Takashi Hirose)

1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『日本のゆくえ アジアのゆくえ』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。








川内原発メルトダウンしたら












 起こって欲しくないが、起こらないという保証もないのが、原発の破局事故である。既存の川内原発(各89万KW)で炉心溶融事故(メルトダウン)が起これば、下表のようになるのだそうだ。増設計画が撤回されない3号機だと、日本最大の159万KWだから、もっと大きな被害になるはずだ。

 1996年の数字であるから、各市町村の人口は増減している。合併で単一の自治体でなくなった自治体はあるにせよ、全部聞き覚えのある名前である。各市町村の名前を聞けば、誰それの顔も思い浮かぶ。川内原発で大事故が起これば、逃げなければ命を失うのである。はたして逃げおおせるだろうか? 逃げても原発難民である。田畑を失い、牛等家畜を失い、故郷を失う。生活基盤を失い地域社会は崩壊するのだ。たかだか電気をつくるためにこんなに危険なものに手を出す方がおかしい。

 社会通念では、こんなにハイリスクなものに手は出さないし投資はしない。まるでロシアンルーレットである。Fukushimaを経験した今、すぐに手を引くべきだ。九電の経営者らは社会通念を忘れたのか? 





彼らは本当に日本人なのか?






広瀬 隆氏

東京が壊滅する日−フクシマと日本の運命より



KAZASHIMOさんより



画像は追加しています。

画像はタッチで拡大します。(スマホ版)



















東京が壊滅する日 [ 広瀬隆 ]
価格:1728円(税込、送料無料)





























カルデラ破局噴火





カルデラ破局噴火














カルデラ噴火! 生き延びるすべはあるか?







広域火山灰の分布










まずは(図1)をご覧ください。火山が日本中に分布している訳ではないのに、日本中、至る所に火山灰層が分布していることを示す証拠が見られます。このような火山灰は噴出源の火山から数100km以上も離れた地域までの広い領域を覆っているため、広域火山灰と呼ばれるもので、数日から1週間程度で降り積もるものと考えられます。広域火山灰は、歴史的には一瞬のうちに広い地域を覆った時間マーカーなので、遺跡の年代決定などに欠くことができないものです。また、ローカルな火山噴出物との上下関係から、その火山の噴火史を読み解くことにも使われます。



また広域火山灰は、規模が大きく、激しい噴火によって数10kmの高さまで噴き上げられた噴煙が上空の偏西風に流される途中で経路の地表に降り注ぐため、日本に分布する広域火山灰は、必ずしも日本の火山から放出されたものばかりとは限りません。一部には、中国と北朝鮮国境の火山、白頭山や韓国領のウルルン島から噴き上げられた火山灰もあります。



Broad wimax



火山灰のうち、粒子サイズの大きいものは重いのであまり遠くまで流されないうちに降下し、細粒のものは遠くまで運ばれます。この結果、噴火地点に近いほど粒子サイズが粗い火山灰が厚く堆積し、遠くには細粒の火山灰が薄く堆積することになります。さらに、広域火山灰は巨大噴火が発生したことを示す記念碑ともいえます。広域火山灰をもたらす噴火は、非常に短い期間で地下に蓄えた大量のマグマを放出するため、マグマが抜けた後の空隙に地盤が落ち込み、巨大な鍋状の地形を作ります。この鍋状の地形が「カルデラ」と呼ばれることから、このような巨大噴火を「カルデラ噴火」といいます。また、中には規模が大きく、あまりに広範な領域が破滅的状況になるものもあり、これらは「破局噴火」とも呼ばれます。







最新のカルデラ噴火










このような広域火山灰をもたらした噴火の一例が、鬼界カルデラの噴火です。今からおよそ7,300年前、鹿児島市の南方およそ100kmの島で激しい噴火が発生し、島の大部分が失われて海底に巨大なカルデラが形成されました。放出されたマグマは100立方kmを超えます。当時の島の一部は、現在でも薩摩硫黄島などで確認することができます。この噴火によって発生した火砕流の一部は海上を走り、大隅半島薩摩半島にまで上陸。また、海中に突入した火砕流の一部は大津波を発生させ、その痕跡は長崎県島原半島で確認できます。



成層圏にまで到達した巨大な噴煙を構成する火山灰は、途中で火山灰を降下させながら偏西風に流され東北地方にまで達しました。この火山灰はアカホヤ火山灰と呼ばれ、関東地方でも10cm程度、大阪・神戸付近では20cm近くの厚さまで降り積もりました(図2)。この火山灰は今でも各地で確認できます。



活火山のない四国も厚い火山灰で覆われ、南九州から四国にかけて生活していた縄文人は死滅するか、食料を求めて火山灰のない地域に移動し、1,000年近く無人の地となったようです。というのも、この火山灰層の上下から発見される縄文遺跡の土器の様式が全く異なっているからです。このように、活火山の無い四国や近畿、中国地方東部であっても、南九州で大規模な火山活動が起これば、大変な火山災害に襲われることがあるのです。







カルデラ噴火に伴う巨大火砕流










カルデラ噴火には、数10立方kmの火山噴出物を放出するものから、1,000立方kmにも達するような噴出物を放出するものまで、その規模やレベルはさまざまです。



日本の火山の歴史を見ると、この12万年の間では、ほとんどのカルデラ噴火は東北・北海道や南九州に集中しています。しかし規模がやや小さなものや、もっと古い時代のものは関東や中部地方でも発生しています。九州のカルデラを代表する阿蘇山では、30万年前から9万年前までの間に、4回も巨大なカルデラ噴火が発生しています。特に、9万年前の噴火は阿蘇4噴火と呼ばれ、わが国のカルデラ噴火としては最大級のものです。放出したマグマは600立方km以上に達し、先に述べた鬼界カルデラ噴火の5倍以上です。江戸にまで火山灰を降らせた約300年前の富士山宝永噴火の1,000回分に当たるといえば、その例えようもないスケールが想像できるでしょう。











阿蘇4噴火では、火砕流が九州のほぼ全域を襲い、一部は海を越え、山口県にまで到達したこと(100km以上火砕流が走ったことになる)が分かっています(図3)。さらに、(図1)に示したように、噴き上げられた噴煙から堆積した火山灰は日本全土を覆い尽くし、その厚さは北海道東部でも10cm以上に達します。



もし、カルデラ噴火が起こったら・・・



わが国では、100立方km以上のマグマを放出するカルデラ噴火は、1万年に1回程度発生しています。数10立方km以上の噴火ならば12万年間に18回、つまり6千年に1回程度は「起こっている」ことになります。もちろん、これは平均発生頻度で、前のカルデラ噴火から2,000年のうちに起こったものもあれば、1万数千年以上の後に起こったものもあり、このような規模の噴火で、最後に起こったものが先の鬼界カルデラ噴火なのです。











ところが、これまで平均6,000年間隔で起こっていたカルデラ噴火が、最近7,300年間は発生していません。カルデラ噴火はもはや、いつ起こっても不思議がない現象なのです。その規模にもよりますが、一度、カルデラ噴火が起こると、その周囲100〜200kmの範囲は火砕流で覆われます。火砕流の速度は時速100kmを超えるため、その地域は数時間以内に数100℃以上の高温の火砕流に襲われ、壊滅状態となるのは避けられません。もし、過去と同じようなカルデラ噴火が現代に発生すると、発生場所によっては、数10万〜数100万人の犠牲者が発生するといわれます。



THE BED ROOM



では、火砕流の到達範囲外ならば安心? というと、そうではありません。

南九州で、このような噴火が発生した場合、10cm以上の厚さに火山灰が降り積もる地域は関東以北にまで及び、この領域ではあらゆる農作物は枯死してしまいます。さらに火山灰が数10cm以上の厚さまで降り積もった地域では、灰の重みで建物の屋根が落ち、航空路を含むすべての交通網はまひ状態に陥り、物流も人の移動も困難になると予測されます。貯水池や水道浄化池では火山灰のために取水不可能となり、広域で断水状態が続き、また送電線の断線、電柱などのがいしに降り積もった火山灰によるショートで大停電が起こります。このように、断水や商用電源の断絶が起これば、原子力発電所の甚大な事故につながる可能性があることは、福島第一原発の事故を見れば明らかといわざるを得ません。











これまで述べたように、もし万一、南九州で阿蘇4のような超巨大なカルデラ噴火が発生すれば、日本中が壊滅状態になることは確かです。地震で文明が断絶した例はありませんが、火山噴火が文明断絶をもたらすことは、7,300年前の鬼界カルデラの噴火でも実証済みです。にもかかわらず、わが国ではカルデラ噴火の研究は一向に進んでいないどころか、カルデラ噴火の切迫度を確認する手法の開発すら行われていないのです。



これまでの100年間、わが国の火山活動は異常に静かな時期であったことは第4回で述べた通りです。カルデラ噴火は極端な例としても、今後は、規模の大きな噴火が起こることを想定しなければなりません。静かな時期しか知らないわれわれの火山噴火に対する危機感の薄さから、火山研究に対する資源投入は、地震研究に比べて圧倒的に少ないのが現状です。火山研究の進歩なくして、火山大国日本で生き抜く知恵は見出せないのではないでしょうか。



















火山・地震国の日本で原発は無謀「大噴火」



いつ起きてもおかしくない!



富士山や箱根山、桜島、予知困難!



島村英紀氏・ 地球物理学者?



九州電力が「巨大噴火は予知できる」などと



言っていますが、あれは大嘘なんです。















▽しまむら・ひでき 1941年、東京都生まれ。武蔵野学院大特任教授。東大理学部卒。同大学院修了。理学博士。北海道大教授、北海道大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所長などを歴任。専門は地球物理学。近著に「火山入門」。



地球物理学者の島村英紀





「火山・地震国の日本で原発は無謀」?



日刊ゲンダイ



日本全国で火山の噴火が頻発している。



ここ1年ほ どで、御嶽山浅間山口永良部島などが噴火し、警 戒中の箱根山でも、先月末、ついに小規模噴火が起き た。



いったい今、日本列島で何が起こっているのか。



地震・火山研究の第一人者である地球物理学者の島村 英紀氏に聞くと、「今が普通の状態」と、意外な答え が返ってきた。



――日本の火山が異常に活発化しているように見えま す。何が起こっているのでしょうか。



異常ではありません。むしろ、日本の火山も地震も 普通に戻りつつある。



今までが異常に噴火が少なくて、日本人は火山のことを忘れて いただけです。











だけど、忘れてはいけない。地震国、火山国に住んでいるということ を、日本人は頭の隅っこにとどめておかないといけません。



――つまり、現在の状況が普通ということでしょうか。



各地で噴火が起こっているのは通常の状況です。そ れよりも大きな「大噴火」がいつ起きてもおかしくあ りません。



火山学者が言う「大噴火」とは、東京ドー ムで数えると約250杯分以上の噴出物があるもので す。



その大噴火は1914年の桜島、1929年の駒 ケ岳を境になくなっています。



それまでは100年の 間に4〜6回のペースで起こっていた。それがぱった りなくなっているのは非常に不思議で、普通はありえ ないことなんです。



そうした噴火が21世紀中にあと 4回くらい起きても決して驚かないというのが火山学 者の間では通説となっています。











桜島、大規模噴火の可能性!山体膨張/大地動乱の日本列島、原発再稼働はありえない!大正大噴火規模もあり得る!さらには、巨大カルデラ噴火も…!日本列島は全域で大地震の活動期!それでも原発の新設すら認めようとする政党がある!











――普通に戻るきっかけは、やはり2011年3月の東日本大震災でしょうか。



3.11だったと思います。あの大地震でプレートがずれて、地下にマグマができ た。



マグマは周りの岩より軽いものですから、岩の合間を上がってきて、火山の下に マグマだまりをつくる。



そのマグマだまりの一番上がいっぱいになったり、揺すぶら れると噴火するんです。



日本列島大地動乱、関東大地震、東南海、富士山、桜島など!千年前の平安の地震、噴火大災害に似ている!/「貞観地震」の9年後に「関東巨大地震」その9年後に「南海トラフ巨大地震東京五輪の年!?富士山・貞観大噴火など…古文書、三代實録



――不気味な動きを続けていた箱根山は、ついに6月 30日、小規模噴火が起きました。



箱根は昔、大変な噴火をした。3200年前に、山 の上半分が吹っ飛ぶ噴火があって、その時に芦ノ湖や 仙石原をつくった。



火砕流は静岡県側まで到達してい ます。6万年前の大噴火では、50キロ離れた横浜ま で火砕流が到達した記録がある。

















その時は人間は住ん でいませんが、今起これば大変なことになる。そうし た噴火の事実があり、同じことが今後は起こらないと は言えないんです。



大涌谷だけではない箱根火山の危険!約3000年前に大噴火を起こした!富士山と連動の可能性も!噴火が近づいている火山!記憶の風化…武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏も警鐘を鳴らす。



――箱根山から約25キロしか離れていない富士山の動向も気になります。



富士山は1707年の宝永噴火を最後に噴火していませんが、宝永噴火の時は首都 圏に10〜30センチの火山灰が積もった。



今だったら大事件です。経済も電気もみ んな止まります。交通機関では数ミリの火山灰で道路の破線が消えて、滑走路も消え るといいます。



ミリの単位で影響が出るところに、火山灰が数センチも積もったらど うなるのでしょうか。



しかも、火山灰は雪と違って時間とともに消えることがありま せんから、大変なことになると思います。

















富士山大噴火Xデー2015年!国家の危機!東京にガラス火山灰が2週間…降り続き!電気、通信、交通マヒ…!国家存続の危機であるが、国の対応は…ほとんど何もやっていない!



富士山や箱根山は記録が少なく予知は困難



――噴火を予知することは難しいのでしょうか。



富士山も箱根も一番困るのは、最後の噴火が起こる 前の記録が残っていないことなんですね。



宝永噴火の 前の文書か記録があれば、火山性地震などの兆候がわ かるのですが、それがわからない。



今の段階では何が 前兆であるかが、わからないんです。



それにもかかわ らず、箱根は年間2000万人が訪れる観光地です し、富士山は夏は夜でも数千人が登っていて、昼間は 何万人も登っています。



そうした山がいきなり噴火し たら、どうなるかは非常に恐ろしいことです。



箱根、小笠原マグマ活発な動き、繋がる小笠原〜富士火山帯、富士山噴火!巨大噴火・地震/巨大噴火・地震/大地動乱、日本列島、地球…!



――直前の記録がどれだけたくさんあるかで、予知や事前に取れる対策が変わってく る。



富士山や箱根山と違って、浅間山や桜島は、これから何が起こるのかがかなりわか ります。



浅間山は最近100年間に50回噴火したことがわかっています。ですか ら、記録もある。



大学の先生もついて観測している。地震計だけでも20個以上あ る。富士山や箱根山とは桁違いの予知環境なんです。桜島も同じです。



口永良部島は その中間ですが、地元の人が火山慣れしていたので、大事には至らなかった。



――火山ひとつひとつは全く別物なんですね。



そうです。ですから、気象庁が2007年に導入し た「噴火警戒レベル」は、一律に適用できないものな んです。



火山はひとつひとつ違うのですから。気象庁 はよせばいいのに、全国の火山をひとくくりにして



「危なくなったら噴火警戒レベルを適用する」と言い 出した。「俺たちが前に出るから、学者は後ろに下 がっていて」と言っているようなもんです。











この時、 学者は「大丈夫だろうか、噴火レベルを決める根拠が ない山がいっぱいあるんじゃないか」と、かなりいぶ かったんです。実際、その通りになりました。



――昨年の御嶽山の噴火では被害を防げませんでした。



気象庁としては、御嶽山で非常に手痛い失敗をした。



噴火が起こる2週間前に、火 山性地震があったにもかかわらず、警戒レベルが1のままだったんです。「1」とい うのは、山頂まで行ってもいいレベル。



それで、戦後最悪の57人が亡くなってし まった。二度と失敗はできないということで、箱根山では強引に警戒レベルを上げ た。非常に政治的な判断です。











一方で、岩手山のように、あらゆる噴火の前兆があっ ても、噴火しなかった山もある。天気予報は“方程式”があって明日どうなるか計算で きる。



でも、火山や地震にそうした“方程式”はないんです。地震や噴火を機械で観測 するようになって、せいぜい10〜20年。



日本列島に人が住み着いて1万年。で も、噴火や地震は数千万年単位で起きている。



そのごく一部を知って全部わかった気 になることは、かなり無理なことなんです。











――「大噴火」より規模の大きい、恐ろしい「カルデラ噴火」の可能性もありますか。



カルデラ噴火」は「大噴火」の400倍以上の大きな噴火です。日本では過去10万年で12回起きている。



数千年に1度は起きる計算です。一番新しいのは7300年前で、九州の南方で起こっていて、そのマグマは東京ドーム10万杯分にもなった。



数千年前に起きたから、あと1000年は大丈夫という保証はどこにもありません。



もしかしたら来年起こるかもしれない。カルデラ噴火というのは、今のところ全く予知ができないんです。



川内原発カルデラの破局的な噴火!しっかり検討されていないのではないか!火山噴火予知連・藤井会長 /再稼働差し止め却下!











――九州といえば、原発に対する火山の影響が気になります。桜島や口永良部島が噴火するなど火山活動が活発化していますし、阿蘇山では9万年前にカルデラ噴火も起きています。その阿蘇山や桜島などの火山に川内原発は囲まれているため、もしそれらが噴火したらどうなるのか、再稼働を危惧する声もあります。



九州電力が「巨大噴火は予知できる」などと言っていますが、あれは大嘘なんです。



火山学者のほとんどが「危ないに違いない。九州電力の言っていることはあてにならない」と反対している。カルデラ噴火の前兆をつかまえて、「数十年後、数年後にいよいよ起きるぞ」とわかったためしは一度もないんです。











――そうなると、そもそも火山・地震大国の日本が原発に頼ることにムリがある。



 原発のような危険なものを造ること自体、無謀だと思います。



そうしたことを私は以前からさまざまな場面で発信していますが、政府は耳を貸しません。



政府としては、まず「原発推進」という大方針がある。それは、反対の意見も聞かないで推し進められている今の安保法制と一緒です。



今からでも原発の見直しは遅くないと思います。このままでは後世の人につけを残すことになるだけですから。



狂気、川内原発は大噴火でも安全!安倍答弁、再稼働めぐり/小規模噴火でも全電源喪リスクと専門家!

































カルデラ噴火

生き延びるすべはあるか?記事より



みんなが知るべき情報さんより



画像は追加しています。










































I'm Japanese





I'm Japanese












古事記』の原稿を、1から全部書き直して、ようやく脱稿したのが3月の末。

サラリーマン時代からそうでしたが、何かのレポート作成などで、目一杯頭を使うと、終わってから2週間ほど、まるで頭が働かなくなります。



そのせいかどうかはわかりませんが、疲れを癒やそうとスーパー銭湯に行ったら、出掛けに縁石に車を乗り上げて、マフラーが破損。

修理工場に持って行ったら、部品がなかなか入らずに、結局昨日、ようやく修理となりました。

修理が終わって、あらためて車に乗ったらびっくり仰天。

もう15年経つ古い車なのですが、マフラーが新品に変わっただけで、車がまるで違う車になったみたいに調子が良くなりました。



そこで気付いたのですが、人生は何事も意味があって起きるといいますが、おそらく車もマフラーに不具合があったのを気付かずに乗っていたのでしょう。

事故はショックでしたが、結果から見れば、不具合を修理する大きなチャンスになったわけで、結果はとても良かったことになりました。











前回の『百人一首』では、書いている最中に、何かが降ってくることを何度も体験しました。

それは、なにものかによって書かされている、あるいは本当に神様が降ってきているという、明確な体感がありました。

おかげさまで、その何者かによって、すごい本が書けたような気がします。



ところが今回の『古事記』では、何かが降ってきて教えていだたいて書いたというのではなく、逆に『百人一首』で学ばせていただいた知恵で、まるで「書くことを試されている」ような感じがありました。

降りてきたものはあったのです。

書き始めの頃は、毎日が感動の連続でした。





ところが、何度目からの書き直し以降は、何かが降ってきて教えてくれるのではなくて、わからないこと、疑問に思うこと、矛盾を感じる点などを、ただひたすら納得できるまで調べて書くという、地道な作業の積み重ねになりました。



この作業をしながら、確かに感じたのは一点です。

それは、私心や欲が前に出ると、まるで筆が進まなくなるか、長い時間をかけて書いても、結局、数日して読み返したときに全文書き直しになる。

本気で神の書を学ばせていただき、日本を変える力になりたいという「公心」になると、それまで見過ごしていた様々な点が、不思議と理解でき、筆も進むし、書き直しもあまりない。

それは実に不思議な体感でした。

















さて、今日お話するのは、レンタルで観た映画のことです。

ストレスの解消にと、借りてきたビデオに、『ピッチ・パーフェクト2』という映画がありました。

どういう映画かというと、ある大学のダメダメな、唯一の武器は強烈な個性しかないというガールズたちのアカペラ部が、みんなの気持ちがひとつになったとき、信じられないハーモニーが生まれ、全米選手権で優勝するという物語です。

















最初の「1」は、2012年にアメリカで公開されたのですが、全米で扱ってくれたのはわずか335の映画館だったのだそうです。

「売れない」と思われたのですね。

ところが公開されると、週末の3日間で、なんと520万ドルを超える興行成績となり、即座に全米拡大が決定し、世界的な大ヒット映画となったのだそうです。



ヒットの理由は、ティーンを中心とした世代の口コミで、全米中に“ピッチ"旋風が吹き荒れたのだそうです。

ヒットしたということは、そこに共感があったということです。

面白いのは、この映画、アメリカという国の社会を反映して、女性たちの出身国が実に様々な設定になっていることです。

そして、それぞれの人種や民族の、アメリカ人たちが理解している特徴を、極めて象徴的に、笑いの中に本音で、語られています。

ストーリーも秀逸ですが、それ以上に、人種や民族の特徴が、見事に表現されているのです。





「ピッチ・パーフェクト2 」予告編








たとえば「1」では、主演の女性が大学の寮生活を始めるのですが、同居の女性が韓国人という設定です。

とにかくこの韓国人女性が排他的で、意図的に寮の部屋の同居人である主演女性に対して嫌がらせを行います。

そして自分を正当化する。

悪さを仕掛けているのは自分なのに、あたかも自分が被害者であることを装う。

主役の女性は、その韓国人女性の横暴に、ひたすら我慢を強いられるという設定です。

















また、ガールズの女性のグループには、支那人女性がいます。

ニコリともしない女性で、ある日、みんなで自分の人に言えない秘密を暴露しあおうということになったとき、この支那人女性は「妹を食べた」と、しらっと告白します。



「2」にも、この支那人女性は登場します。

そしてここでも、「私の歯は、全部他人のもの」と、恐ろしい事実を告白します。

また、ラストの世界大会で、アナウンサーが、

「いまは、韓国のグループの出演ですが、誰も見る人などいませんね」

「パクリばかりだからでしょう」

と、韓国人をおもいきり笑い飛ばしています。





なんだか中共や韓国の大使館からクレームが付きそうなくらいですが、この映画は、特に支那人や韓国人だけを笑い者にしているわけではなくて、オーストラリア女性、英国系、ユダヤ系、ドイツ系、メキシコ系、アフリカ系など、さまざまな人種が登場し、それぞれが、いわば「ぶっ飛び」を大げさに演じている、笑いあり感動ありのパロディですから、苦情の申し立てのしようがない。

笑いの中に本音をチラホラさせているわけで、これに生真面目に苦情を申し立てれば、かえってそれを認めたことになってしまいますので、苦情の申し立てようもないわけです。











つまり、いまアメリカやヨーロッパ各国が知っている支那人や韓国人の持つイメージが、ひとことでいえば、人食い人種と、協調性のカケラもないわがままな嫌われ者であるということです。

そしてそうした描写が、世界の多くの若者達の共感を得たからこそ、この映画のヒットがあったのではないかと思います。



韓国は、自国民がいかに立派であるかを韓流ドラマなどの映画を通じて、莫大な予算をかけて世界に宣伝しています。

韓国が、「誰も知らない東洋の小国」であるうちは、そういう「つくられたイメージ」も通用します。

ところが米国在住者の数が増えてくると、つくられたイメージとは異なる、本当のその国の民衆の姿が、露わになるわけです。



そしてこの映画でわかることは、コリアンは全米の若者たちからの嫌われ者になっているということです。

いくら、見栄を張り、カネをばらまいて、政治的にイメージを作ろうとしても、若者たちはちゃんと見抜くのです。











私たち日本人は、他人を悪くいうことを好みません。

どちらかといえば、他人の良い所を発見し、そこを見つめていたいし、自分がしっかりと生きていきたいと考えますから、他人から欠点を指摘されれば、それを素直に受け止めて、反省しようとします。



ですから日本人は、悪口をいうことにも、言われることにも好みませんし、慣れてもいません。

だから一方的に、悪い国の悪者扱いの宣伝をされたとき、おもいきりその被害をこうむります。

ところが、世界の人々は、ちゃんと見ているのです。

やはり、正しいものは、冷静に評価されるのです。

















私は、日本がこれからの世界において、よその国から悪口を言われたからと、同じように悪口を言い返したり、そのための政治的工作をすることは、よくないことだし、仮にそれをやったとしても、所詮は民族の血になっていない借り物でしかない悪口と、何千年もの間、他人の悪口を言いつのることで暮らしてきた民族では、おそらく悪口合戦では、勝負にもならないのではないかと思っています。



むしろそうではなくて、なぜ日本人が他人の悪口を言うことを好まず、他人からの悪口に、つねに謙虚に反省をしようとするのかという理由を、日本人としてしっかりと説明できる力を身につけることの方が大事なのではないかと思います。

日本人は「対等」という意識を持っているのだということ、協調性を持って生きることが大事とされる文化を持つ国であり、民族であるのだということなどを、私たち自身が、しっかりと説明できる力を身につける必要があると思います。

















日本人にとっては、悪口を言いふらさない、人と仲良くする、騙す側が悪いと考えることは、常識です。

けれど、世界には、そういう常識が通用しない民族がいるという経験を、私たちは戦後のたった70年で、おおいに学ばせていただいたのではないかと思います。



おもしろいことに、この映画には、2作とも日本人は登場しません。

民族の個性を描いた映画だけに、日本人は没個性で、描きにくかったのかもしれません。

しかし、その没個性的ということが持つ意味の深さを、誰よりも日本人が自覚することの大切さを強く感じた次第です。







ねずさんのひとりごとより

画像、リンクは追加しています。







Spirit of Japan






























I'm Japanese.



























































神隠し


神隠し




松岡伸矢くん行方不明事件



【事件概要】

 1989年3月7日、徳島県貞光町の親戚宅にやって来ていた松岡伸矢くん(当時4歳)が親の目の離した40秒の間に忽然と姿を消した・・・。



【40秒の間に】

 松岡伸矢くんの一家茨城県牛久市に住んでいた。家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん、次男(当時2歳)の5人暮らしだった。正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を買い、1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。

 この年の3月5日、圭子さんの実母が急死し、6日に一家徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の圭子さんの親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。

 翌7日午前8時頃、正伸さんは3人の兄弟と従兄弟の子供を連れて近所に散歩に出かけた。このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。まわりに家はない。
 正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。この間、40秒ほどである。
 伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることが出来なかった。それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることが出来ず、午前10時に警察に通報した。
 


 当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
 ちなみに伸矢 くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。

・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
・周辺に交通事故の痕跡はない。
 貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。


【謎の電話】

 伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。正伸さん一家牛久市に帰る前日の16日、一本の奇妙な電話がかかってきた。正伸さんが電話を取ると、「奥さんはいますか」という。語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。圭子さんが電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。成蹊幼稚園とは伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。圭子さんは明日帰るという旨を伝えたが、その後ナカハラマリコの母親から連絡はなかった。

 見舞金について、こちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。
 後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に「誰かわからないけど、徳島弁だよ」と言っており、茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。また徳島県にいて伸矢くんの幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。


【全国からの目撃証言】

 その後、正伸さんは会社勤めを辞め、自営業に切り替えた。捜索の時間を少しでも持てるようにするためである。50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。それらは全国津々浦々で目撃されていた。


☆90年4月 徳島の主婦 
「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」
 この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会って、その後、徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼した。しかし、そのあと本部から連絡はなく、正伸さんが電話を入れると、担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので・・・」と言った。その後、手がかりなし。

☆90年 
「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」
 この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。

☆91年  
「四国霊場88ヶ所の第21番目の「太竜寺」で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」 圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。

☆?年 北海道の倶知安町に住む老人 
「伸矢くんと名乗る子供を内地(本州)からもらってきたという人を知っている」
 これも決め手にはならなかった。

☆97年 OL 
「横浜の地下鉄で見た」
 この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、正伸さんに似ていた」と言い、少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。

☆98年 中国地方にあるレンタルビデオ店店員 
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」
 応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、すでにその姿はなく、警察に通報したという。その後の手がかりはなし。

☆00年 圭子さんの親友の知り合い 
「伸矢くん失踪の翌月、徳島県の日和佐の海岸で伸矢くんらしき男の子を見た。30代後半の男が子供を抱いているのだが、親子にしては不自然な感じを受けた。親なら子供に何かしら話しかけたりするものだが、まったく言葉をかけたりしなかった。男の子の顔も伸矢くんによく似ていた」
 目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う。







石井舞ちゃん行方不明事件



【事件概要】

 1991年7月25日、福島県船引町で建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が深夜、家から行方不明となった。事件から10年以上経った今も発見につながる情報はない。


【消えた少女】

 ここで事件当日の状況を整理しておく。

 この夜、家には賢一さんと妻ヨシ子さん、夫妻の長男、次男、舞ちゃん、それから賢一さんの両親、賢一さんの姪(当時17歳)、そして賢一さんの建築会社の従業員で姪の恋人のK(当時20歳)の9人の他、ヨシ子さんの友人の子供2人(女の子)が泊まりに来ていた。


 昼過ぎ、姪は実家のある郡山市に出かけており、その後家にはいなかった。

 夕方、Kの部屋で舞ちゃんたちはテレビゲームをして遊んでいた。

 午後9時ごろ、舞ちゃんの祖父母は1階洋間のKの部屋の電気が消えるのを見た。また、同じ頃、2階の部屋で賢一さんは長男・次男が寝始めた。

 9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、カラオケスナックに行った。この時、1階玄関を施錠した。

 9時30分ごろ、舞ちゃんと遊びに来ていた2人の女の子の3人が川の字となって、2階の洋間で寝た。両親や兄弟の眠る隣の部屋である。

 10時30分頃、ヨシ子さんが舞ちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットを掛け直した。その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが南の方に歩いていくのを目撃した。ヨシ子さんはたいして気にも留めず、1階にある浴室で入浴した。しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。そしてヨシ子さんは賢一さんや長男らの眠る部屋に行き、横になった。



 翌午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアは開いていたので施錠した。祖父母は2階にやってきて「Kがいない」と賢一さんを起こすが、「明日聞くから」とまた寝てしまった。

 午前5時20分、舞ちゃんと一緒に寝ていた子供が目を覚ますと舞ちゃんの姿がなかった。一家、パニックとなる。

 午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし、郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた」というものだった。  Kはその後、2週間に渡る取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。


【疑い】

 現場検証の結果、この家に住む人物の以外足跡や指紋は発見できなかった。ということは身内の犯行となる。こうしたことから、祖父母、両親、Kなどが揃って疑われることになった。とりわけ、疑われたのはKとヨシ子さんである。また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。
 当日の午後11時前には石井さん宅の前の道路から東へ少し離れたところで白い車が目撃されている。この車は故障車のようにボンネットが開かれており、翌朝には消えていた。石井家周辺の車の所有者はひとりひとりあたっていったが、この白い車だけは持ち主不明だった。
 
 舞ちゃん行方不明後、TVでの情報提供依頼など積極的に出演していた賢一さんは犯人の目星はついていた。会社で働き、姪の恋人であるKである。雇っていたものの、Kと賢一さんの仲は良いものではなかった。この日、Kは姪と一緒に旅行に行くはずだったのだが、前日に賢一さんがKに仕事を言いつけ、キャンセルさせた。そのことでKには賢一さんを衝動的に恨んだとも考えられる。また、それまでにも何度かシンナーをしていたKを賢一さんが厳しく叱ったこともあった。

 賢一さんの姪は親が離婚し、荒れて暴走族に出入りするようになる。この時、知り合ったのがKである。Kは姪に賢一さんの建築会社を紹介してもらい、ここで働くようになる。しかも石井家の1階の部屋に姪と同じ部屋に住みこむようになった。

 舞ちゃんが行方不明となってから2ヶ月後、母親であるヨシ子さんは当時遊びに来ていた女の子から 決定的証言を聞き出すことに成功した。その内容は当日の夕方、一緒にテレビゲームをしていた時にKが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていというものだ。両親はその証言を警察でも話したが、「無理に引き出させたもの」として相手にされなかった。

 半年以上がたち、賢一さんは従業員10人の再就職を決め、会社をたたんだ。舞ちゃん捜索に集中するためである。賢一さんはKをマークしていた。彼に四六時中つきまとったり、Kの家のまわりに舞ちゃんの行方の情報提供を求めるポスターを貼ったりした。しかし、具体的な手がかりはなにも掴むことが出来ず、ある時、賢一さんはKの顔を見るのも嫌になり、尾行するのをやめたという。

 安全なはずの家から急に少女が行方不明となったこの事件、メディアでもよく取り上げられたりした。しかし、一家にくるのは無言電話やイタズラ電話ばかりで、解決の手がかりのなる有力な情報というのは届けられていない。

 犯人はなぜわざわざ、他の子供達と一緒に寝ている舞ちゃんを危険を冒して連れさらったのだろうか。しかし、身内をよく知る者としては、この家で暮らす者のうち3人が外出しており、普段は両親と寝ている舞ちゃんがこの日に限って子供たちと寝ていたのだから、犯行の日としてこれより良い日はなかったのではないだろうか。大人と違い、子供の眠りは深い。多少の物音を立てても起きることは少ない。だから、連れ去るには持ってこいの夜だったは



香川県坂出市大西有紀ちゃん行方不明事件


大西有紀ちゃんを捜しています。

2005年(平成17)4月29日午後13時40分前後に五色台で行方不明になりました。
幼稚園年長(当時5歳)で、おかっぱ頭。身長106cm・体重15.5kgと細身。
失踪当時の服装は下記の通りである。(※関連画像の項の画像参照)
・ピンクの帽子(左側に花模様)
・赤とオレンジのしま模様の長袖シャツ
・軍手(白・子供用)
・紺の長ズボン(オレンジの三本ラインが入っている)
・ピンクの靴(ウサギの柄)





2005年(平成17)年4月29日金曜日(みどりの日
香川県坂出市王越町の五色台ビジターセンター付近の竹林では、香川県五色台連絡協議会主催の『タケノコ掘りイベント』が開催されていた。イベントには19家族(60人程)が参加。
高松市浜ノ町・会社員大西正芳さん(当時48歳)の二女・有紀ちゃん(当時5歳)は、母親(当時42歳)と姉(当時8歳)の3人でイベントに参加していた。

参加者は午後13時にタケノコを堀りはじめ、午前中は山の草花を見て回る自然観察会が行われ有紀ちゃんも参加した。この時他の家族が撮影したホームビデオに有紀ちゃんの姿が写っていた。午後13時タケノコ堀がスタート、参加者は竹林の中にはいった。
有紀ちゃんと母親は二人で竹の子探しをはじめた。



数本の竹の子を掘り出した後、「有紀もう一本探してくる」といい母親のそばを離れ遊歩道のほうに歩いていったという。
午後13時半ごろのことだった

母親が言うには、
周りに他の家族がいるし声が聞ける範囲の場所だったんで安易に軽い気持ちで子供をちょっと離してしまったらしい

集合時間の14時近くになっても有紀ちゃんの姿がみえないことにきずき、母親が心配になって有紀ちゃんを探し始めた。

集合時間の午後14時に東屋にいっても有紀ちゃんだけが戻って来なかった。

他の家族の協力を得て竹林の中を探しはじめた。

母親から離れた有紀ちゃんの目撃者は二人いた。

一人は女子中学生、遊歩道を歩いてきた有紀ちゃんと会話したらしい。

もう一人は東屋から南側を見下ろしていた男性が有紀ちゃんが左から右に歩いていたのを見ている。
その時が午後13時40分だった。

午後15時に、ビジターセンターから警察に連絡して、午後15時45分頃に警察が到着し警察犬も投入、
午後5時頃には地元消防団も到着。午後9時頃まで竹林の横の通称タンベ池周辺や山林を捜査したが手がかりを発見できなかった。



警察犬に有紀ちゃんの持っていた水筒の匂いを嗅がせて行方を追っていたが、
遊歩道の外れの竹林の中にぽっかりとあいた空間で、警察犬が足を止めて動かなくなった。
他の警察犬も同じ場所で立ち止まり、跡を追うのをやめてしまった。
まるでヘリコプターか何かに真上に吊り上げないとありえない動きだそうです。



警察犬は地面と足や靴による摩擦で発生する匂いを頼りに目標を追っていて、
仮に誘拐だった場合、有紀ちゃんの摩擦臭が途切れても、犯人の摩擦臭が残るため
警察犬はその匂いを追尾できるそうです。
犯人が抱き抱えて移動したとしてもにおいを正確に追うこともできます。
大西有紀ちゃんの体重は15.5kg程だった。

その後、事件・事故両面から捜索が行なわれ、夏には近くの池の水も抜いたが
有紀ちゃんはいまだ見つかっていない。 

連日100人~200人体勢、延べ3000人を動員した捜査を行ったが、
有紀ちゃんの残された形跡が一切ない為、事故なのか誘拐なのかわからないままである。

可能性としては、

森に迷い込んだ説
北側の森林を警察犬を使って徹底的に探してもみつからなかったそうです。
有紀ちゃんの最後の目撃情報は母親のいる場所から南方面に歩いていたところを目撃されているので、西、南、ダンベ池をはさんで東側の森林も捜索したほうがよかったのではと思いました。

池に落ちた説
どっかの穴に落ちたのなら警察犬がその穴を探しあてるだろうし、人が落ちるくらいの穴があれば大人数で捜索すればみつけられるだろうと思いますので可能性は低いかと思います。

動物にさらわれた説
人間の子供をさらえるほどの力のある四国の動物はツキノワグマなのですが、熊の仕業なら、足跡や引きずった跡が残るので可能性はほぼないでしょう

有紀ちゃんの匂いが途中で途切れていることを考えると大きな鳥もしくは木を渡る動物なのですが

日本猿はそんな力はないのですが、チンパンジーだと可能なんです。
外国でチンパンジーが人間の赤ちゃんをさらう事件もあります。
チンパンジーが四国の山にいるわけないと思われるかもしれませんが、動物園にいますし、過去にチンパンジーを無許可で販売して逮捕されたペットショップがあるくらいです。もしかしたらチンパンジーが逃げ出して大騒ぎになるので警察に届けでないままにしているのかもしれません。

あと、鷲や鷹などの鳥の仕業だと警察犬が匂いを追えない理由にあてはまります。
日本に生息している大きな鷲は、イヌワシがいますが有紀ちゃんを抱えて飛ぶのは無理があるでしょう。

人間の子供を連れ去れるくらい大きな鳥といえばカンムリクマタカという外国の鷹なのですが、体長およそ90cm、翼を広げた長さは2mほど。この体でなんと35kgもの動物を狩ることで知られているそうです。
外国で7歳の児童を連れ去ろうとしたがちょうどそこに居合わせた女性がうまくその鳥を引き離してくれたおかげで命拾いしたというニュースがありました。

日本にいないか調べてみたところ、2012年4月15日に茨木県龍ケ崎市貝原塚町で飼育されていた特定動物のカンムリクマタカが逃げだしたとニュースがありました。逃げたカンムリクマタカはみつかったそうなんですが、

有紀ちゃんがいなくなったのは2005年なので、この年に同じようにカンムリクマタカを飼育している人の所から脱走して警察に届けでてないとすれば可能性はあります。

鳥がさらうとしても森林の中で滑走路がないから無理だという人もいますが、森林の中にいるナマケモノをさらう動画を調べたらありました。
日本にカンムリクマタカがはいってくるルートがある時点で可能性は0ではないです。



人に誘拐された説
警察犬が止まった場所で、有紀ちゃんにリュックの中に入るように誘導して、リュックをかついで車道までいって車に乗せたのか、リュックにいれてしまえば有紀ちゃんの匂いが消える、犯人の匂いは竹の子掘りの参加者が捜索で歩き回っているのでどれが犯人の摩擦臭かわからなくて追跡できない

リュックの中にいれて連れていくとき大声で騒がれて周りにばれると思われるかもしれないが、強引にいれたらそうなるだろうが言葉であっちにお母さんがいるからいこうとか山道はつかれるからリュックにはいっていいよ運んであげるよとかいってリュックに有紀ちゃんみずからはいらせれば騒がれないと思う。小さい子だから恐怖で固まって声がでない場合もあるが人なつっこい子だと疑わずに素直に応じると思います。

犯人は偶発的というより計画的に子供を狙っていたように思います。
有紀ちゃんの最後の目撃情報が13時40分で終わりの集合時間が14時なので、
わずか20分の間に誘拐したことになります。
計画的じゃないと人が大勢いる中で短時間で連れ去るのはかなり難しいと思います。

竹の子掘りのイベントなので事前に告知されてるはずで連れ去る計画を練ることもできます。
有紀ちゃんの事を知ってる人の犯行なのか、もしくはまったく有紀ちゃんとは接点のない人で、例えば実際に日本人を拉致してきた北朝鮮工作員などの犯罪組織に狙われたのかもしれないですね。
犯罪組織がかかわってるのなら拉致のプロですから痕跡を残さずさらうことができたのかもしれません。

私のもう一つの意見としては、東屋から男性が有紀ちゃんを目撃した地点からそのままビジターセンターのほうに歩いていって途中で声をかけられて車道もしくは駐車場まで誘導されて車に乗せられたのだと思います。
この方法だと短時間でできるし、有紀ちゃんが一度通った道を引き返すのですから警察犬も同じ道をたどるしかできないだろうし、犯人も参加者の匂いに紛れてわからなくなるのでシンプルですが理論は成り立ちます。
参加者はタケノコ堀に集中してるのと森林ですからたまたまその時に誰も人が歩いてなくて有紀ちゃんを目撃した人がいなかったのだと思います。



未解決事件資料集より
画像は追加しています。






気になった掲示板の書き込み

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/29(月) 13:45:40.15 ID:???
904 :本当にあった怖い名無し:2010/04/15(木) 20:34:07 id:wm1LSjXf0
夕方テレ朝で竹の子掘りで行方不明になった子の特集があった
当時、リュックを背負った男が竹やぶから出てきたのを
道にいた人が目撃してたんだと
事件に巻き込まれたんじゃないかって内容だった
もっと早くそういう情報だしたほうがよかったんじゃないかね

907 :本当にあった怖い名無し:2010/04/15(木) 21:00:59 id:wm1LSjXf0
番組でもリュックに入れられて運ばれたんじゃないかって言ってた
女の子の匂いが途切れた竹やぶが少し明るくなってるところを
下った場所に家族連れがいて男を目撃したんだって 

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 12:48:41.70 id:FJcCUEnX
なんか鳥のせいにしたい流れだね。
でも実際は、祖父と孫のように車まで連れて行ってそのまま連れ去りだと思う。
みんな妄想しすぎ。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 13:13:00.78 ID:???
>>214

何故祖父なの?
あなた犯人なの? 

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/14(木) 12:34:54.63 id:X89DjAub
>>215
この子と思われる子を乗せたステーションワゴンとすれ違った。
その運転手の年齢から判断。

あの辺で祖父と孫2人の組み合わせは珍しいから印象に残ってた。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/18(月) 10:13:33.53 ID:???
>>236は既に警察には情報提供してるよね。 

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/18(月) 12:59:12.56 id:UP9PU7R6
>>250
警察官には言った。
しかし、管轄の警察に言えと言われそのまま。

色々あって、警察嫌いなんで。

あの時その警官がちゃんと動いてたらね。 

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 17:43:46.93 ID:???
専門家がどうの言ってる人いるけど>>89も番組で実際に警察犬使って実験した結果だからな
それから匂いが消えた地点とリュック男目撃地点は獣道で繋がってる
目撃者は獣道があると知らなかったので、男が突然山から出てきたように見えたらしい

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 22:14:55.98 id:B7czZ2KG
確かな目撃情報として、
竹やぶから、リュックを背負った男が
出てきたのを道にいた人がいる。
有紀ちゃんの匂いが消えた地点から、
獣道を通じて、
リュック男目撃地点までつながっている。
目撃者は獣道があるのを知らなかった。
男が突然山から出てきたように見えた。
警察も、そのリュック男の行方を追っている。

この事件は、神隠しなどはなくて、
立派な誘拐事件と考えてほぼ間違いないと思われる。 

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/03(月) 21:14:27.86 ID:???
たまたまそこに出掛けて、たまたま一人でいる女児を見かけて…
というタイプの犯行ではないだろうか 

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/04(火) 00:02:51.49 ID:???
熊本のスーパーのトイレで殺された後、リュックに入れられ連れ去られた女の子
身長1メートル 体重15キロ

有紀ちゃん
身長1メートル5センチ 体重15・5キロ

リュックに詰めての連れ去りは可能だね。
タケノコ堀に大きめのリュック背負ってても不自然じゃないしね。

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 22:51:42.47 ID:???
警察犬がどういう時に吠えるか検索してみた。

警察犬が吠える時は対象者を「見つけた」時のみ。
対象者を追えなくなった時は吠えないらしい。

繰り返すが、警察犬は対象者を「見つけた」時のみ吠える。

警察犬は埋まってる場所、見つけたんじゃないの??? 

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 12:40:38.03 ID:???
161 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2013/10/09(水) 21:32:16.93 id:lY5BG/Xz
ちょうど行方不明になった2005年4月29日に
五色台ビジターセンターで車中泊したことを
ブログに載せていた男がいたが、
事件のことにはふれていない内容だったので
不思議に思った。








クレーマーという輩


クレーマーという輩




うるさいのは私だ



市川の保育園騒動なんだが、恐ろしく狭い道で、幅員3.3メートルしかないw 自動車の幅というのは1.8メートルなので、普通の乗用車でもすれ違えないw そんな場所に、108人入りの保育園という公共的な施設を作ろうというのも強引な話なんだが、実際、都会ではそんな場所しかないんだろうねw ここは以前、火事の時に「消防車が入れなかった」という狭い道です。



待機児童が350人を超える千葉県市川市で、今月開園を予定していた私立保育園が、地域の住民の反対を受け開園を断念していたことがわかりました。



開園を断念したのは、市川市・菅野の住宅街で松戸市社会福祉法人が計画していた定員108人の私立保育園です。
去年、保育園側が開園を伝える看板を予定地に立てたところ、「地域の住民に相談がなかった」などと住民側が反発し、保育園側が説明会を複数回開くなどして理解を求めていました。
「子どもの声もうるさいのもあるが、それだけではない。この道路も狭いし、すれ違うこともできない」(近くに住む人)
市川市は「こうしたケースで断念は聞いたことがなく、残念だ」などとしています。




保育園以前の問題として、幅員3.3メートルなんて狭い道で、こんなにゴチャゴチャと家を建てちゃいけないと思うw 日本特有の、貧民窟の典型ですw これじゃ軽自動車もすれ違えないw

【保育園開園断念】近隣の住民「子どもの声もうるさいのもあるが、それだけではない。この道路も狭いし、すれ違うこともできない」、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。



ニュース速報板からです。

-----------------------
狭いからどうだというんだ
-----------------------
http://i.imgur.com/Gz4it8i.png
こんな所に建てたら朝の送りの時間だけでも大渋滞だぞ
-----------------------
関東地方は子供に厳しい。
関西地方も厳しくなってきたが、年配は「子供の声ぐらいええやん。どうせ昼間だけやろ。」の声多し。
若い連中は「いや、となり遣ったら相当うるさいで。」の声有り。
-----------------------
いやいや
保育園が家の隣にできるとか、どんな地獄だよwwwww
うるさいなんて生易しいもんじゃない
まともな生活が一切送れなくなるんだぞw
確実に病気になるわ

保育園の隣に引っ越すのは自業自得だが、保育園が隣にできるとか断固阻止だろアホ
つーか住宅地に作ろうとするなボケ
川の中州にでも作れよクズ
-----------------------
↑そういうことだ
ここで近隣住民を叩いてる連中も
自分の家にすぐ隣に保育園ができる計画を知ると
発狂しながら反対する
-----------------------
↑お前がその地域から出て行けよ。子供の声や騒音の無い所にいって、自由に過ごせ。千葉県の場合は行政側が本当に役立たずだが、他県はまだ行政側にも知恵がある。とにかく、お前が自分の住みやすい土地に1人で行け。
子を持つ家庭の意見だ。
-----------------------
#うるさいのは私だ
-----------------------
反対するような所には朝鮮学校を建てろ
更にひどい目にあってしまえ
-----------------------
緊急車両さえ入れないなら、その時点で保育園は駄目でしょう。
何かあったらどうするの。
それ以前にあの道幅では、住人さんか園児さんが交通事故にあってしまう。
-----------------------
誰も子どもなんて居て欲しくないない訳だw
労働力不足には、やっぱ移民だなww
-----------------------
昔老人ホームと保育園併設して、おたがい触れ合えてWIN-WINみたいな
構想あったが、老人は子供を害悪としか見てないことがわかったな。
-----------------------
地価の高い住宅街なら、まず幼稚園がボンと建つことはない
-----------------------
「うるさいとか危険とかどうでもよくて地価が下がるのが嫌です」って正直に言えよ
-----------------------
保育園落ちたの私だ日本しね
レシート拾ったの秘書だ日本しね
子供がうるさい日本しね
道が狭い日本しね←今ここ
-----------------------
反対してるの大半がジジババだろどうせ
もう殺処分でいいよ
-----------------------
保育園の子たちがカートに乗せられたり
二列に整列してお散歩してるのは可愛いね
自分の家の隣近所でなければ、本当に可愛いだけだ
-----------------------
保育園バスならいいけど、自家用車で送り迎えとかされたら死ぬわ
-----------------------
↑千葉県の認可保育園は保護者の送迎はNGだって言ってるけど
それを散々関連スレでも言ってるが、今北さんか?
-----------------------
うちの地区は商業地区の中に保育園幼稚園がある
お母さんたちも送り迎えの時に買い物もできて便利そうだ
-----------------------
糞住民め。菅野全域狭くてすれ違えできねえよ。
これからは保育園落ちた反対住民氏ね、だな。
-----------------------
専用スクールバスさえありゃ解決しそうな気はするけどな、道路問題だけは
騒ぎ声は...うーん
でも家の近所にも住宅街の真ん中に幼稚園あるぞ
それどころか中学校だってあるわ
平日の日がな一日ずっと家にいる人なんだねえ
-----------------------
あんな道が狭くて住宅が密集してるところに住むとか頭イかれてるだろ
-----------------------
>去年、保育園側が開園を伝える看板を予定地に立てたところ
>「地域の住民に相談がなかった」などと住民側が反発

これはつまり、
老害 「俺のところに使いをよこして話を通せ。許可を得ろ」 ってことでしょ?
ジジイ世代の共産党員って、身分の低いザコのくせして気位が高く、大物を気取りたがるから、保育園側に無視されたことに腹を立ててヘソを曲げたんだろうな
で、「ボクチンを無視するとこうだ!」と韓国人みたいな卑怯な嫌がらせ(笑)
チキンなオカマ野郎丸出し(失笑)
保育園側も大変だなぁ......同情するわ
何の権力も後ろ盾もないマジな小物のジジイを、チャウチェスクやポルポトみたいな大物扱いしなきゃいけない心境ってどんなだろう......ブン殴って泣かせちゃえばいいのに(失笑)
-----------------------
別に保育園を一切建てるなってことじゃなくて場所を考えろって話
あんな狭い住宅街の真ん中に保育園を作るのが間違ってるんだよ
もっと周りに何もないところに保育園を建てて親に送り迎えさせればいい
それなら騒音がどうとか言われないし送迎用の駐車スペースも確保できて何の問題もなくなる
-----------------------
↑そんなうってつけの場所なんてものがそこここにいくらでもあったら首都圏の保育園問題なんか苦労はしねえよカス
-----------------------
現地民のツイッターより↓

>これ一方通行じゃないし正面から車きたら出口近いほうがバックするというギャンブル要素の高い道路なんですが
担当の方は「すれちがえます!!」って言ってましたが どうやって・・・・?(;´・ω・)
-----------------------
消防車が入れない保育園って保護者的にも嫌だろ
-----------------------
↑その上、住宅過密地帯に木造で建てようとした
子供が路地で轢かれても「当事者同士で」って言い切っちゃうし
普通に通わせたくないわ
-----------------------
つまりこの保育園の経営者は
できるだけマイナスを出さず(対策をあまりしない)
利益の出そうな住宅地に建てた利益最優先+ノウハウ微妙だったってことになるな
-----------------------
大型ダンプとかトレーラーとかが通れるような広い道の方がいいって言いたいのか?この辺りってアホが多いのか
-----------------------
ここは大きな幹線道路の抜け道で通園時間には混むし、一方通行じゃないから大変だろうな。
-----------------------
例えは悪いがゴミ処理場建設と似ている。
「処理場がなくてゴミ溜まりまくり社会でどうする」
「文句言ってるジジババはゴミ出さないのか?」
などとご高説垂れたところで「お前の家の隣に作ってやろうか?」となると黙るわけで
-----------------------
保育園は駅の近くに作るのが一番良いんだよな
ここならうるさくても問題ないし
でも土地代が高くて無理なんだよな
-----------------------
自己中のクズしか居なくなった
子供のために大人は身を捨てるもんだろう
それが真逆になった
もう終わりだ日本は。
-----------------------
せまっくるしいとこに規模デカすぎだろ...
もっとまともな土地ないのか
-----------------------
取れるはずの税金きっちり取れてれば音漏れ対策も万全な育児支援用の箱モノを全国各地に建てられたんじゃないんですかねえ
-----------------------
↑箱ものと言われる変な施設は広い敷地、ガッチリとした建物で立派につくってんのにね
そういう感じで保育園作ればいいのにね
-----------------------
パチンコ屋追い出して駅周辺に作ればええ
-----------------------
だいたいそんなに騒音だの道幅だのいうならテメーがもっとデカい敷地の広々した庭がある、道路と住居の距離にゆとりあるでかい家に引っ越せよなw
貧乏住民が糞みてえな地域にしがみついて資産価値とかケチ臭く気にしてやがってw
-----------------------
やはり乙武レストラン事件と同じじゃないか
詳細を調べずニュースの見出しだけに釣られてレストランの差別はけしからん!っと叩いてた連中のように
この件も子供の声がうるさいなんてけしからん!とキレてる
道幅3mの道路に面した土地に100人預かれる大規模な保育園を木造2階建てで建築するなんて
住民からすれば受忍限度を超えてるよ
-----------------------
原発と一緒で他人事なら賛成できるが隣は絶対嫌だわw
-----------------------
この件と関係ないけどあの道がまず一通じゃないことが間違ってる気がするww
-----------------------
生涯クレーマーを貫く
-----------------------
菅野の住民にそんな心の広さがあるわけない。すごい選民意識。外環だってこいつらのおかげで遅れに遅れた。
まあ皇后陛下のご実家があったところもすごい勢いで保育園反対の幟が立ってるし、どちらもいわゆる「上級国民」様なんでしょ。
-----------------------
昔は姥捨山があったから老人クレーマーが少なかった
-----------------------

市川市は、どこもこんな感じで道が狭いらしいw まぁ、貧民窟だw もうね、貧民窟なんだから、治外法権で、国家の法律の及ばない土地だと認定するしかないよw 自民党が調整を放棄してるんだから、勝手に保育園建てたり、包丁持って殴りこんだりすれば良いw




三途の川の渡し賃を




ネットゲリラさんより
画像は追加しています。



子供たちの弁当集



愛が溢れている 私の弁当です